思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

今日は天皇誕生日。徳仁さん、いまも江戸城住まいでよろしいですか?

2021-02-23 | 社会思想

いまも江戸城に住み続ける天皇家のみなさまへ。以下の拙文をお送りします。




 天皇家は、薩長同盟による革命=明治維新に利用され、同調し、利害を共有し
ましたが、それにより、まったく縁もゆかりもない江戸城に住む(住まわされる)
ことになりました。150年前のことです。

 明治天皇とよばれることになる睦人(むつひと)は、まだ15才にもならない
うちに、伊藤博文や山県有朋らにより、京都御所から江戸城に連れて来られ、新
たな「近代天皇制」(天皇は、神の系譜で神聖な存在であり、同時に国家の主権
者)にふさわしい天皇になるべく教育されました。

 その近代天皇制の70数年間は、日清戦争、日露戦争、朝鮮併合、第一次世界
大戦、シベリア出兵、満州事変(満州国建設)から太平洋戦争までの15年戦争
(まる14年間)と戦争の歴史でしたが、1945年8月15日に「ポツダム宣
言」※を受諾し、9月2日に降伏文書にサインして、無条件敗戦をして終わりま
した。

 主権者は天皇から国民へとコペルニクス的転回をして、大日本帝国憲法から
日本国憲法に変わりました。昭和天皇は「人間宣言」をして現人神(あらひとが
み)ではなくなり、明治政府のつくった近代天皇制は、その大元の思想を否定さ
れました。しかし、天皇家は、いまだに徳川家の城に住んで(住まわされて)い
ます。

 天皇家の住まいは京都御所であり、東国の江戸城とはまったく縁がありませ
んでしたので、ほんらいならば、戦後の新憲法発布後は、京都御所に戻る(戻ら
せる)ことが必要でした。いまなお江戸城に住み続ける(住まわせ続ける)天皇
家では、日本の伝統に反してしまいます。

 わたしたち国民とその意思の代行者である政府、当事者である天皇家の方は、
よく考える必要があります。いつまでも他者の城に住む(住まわせる)のでは、
道徳的にもよいとは言えません。伝統文化の象徴である天皇家は、それにふさわ
しい京都御所があるのですから、それとは無縁の東京に住み続けるのには無理
があります。明治政府による伝統の破壊を超えて、日本にふさわしい天皇家とす
るためにも、ほんらいの住まいに戻ることが必要です。


※ なお、天皇家は、東国には、財産(土地、建物)はありませんでしたが、
明治政府の伊藤博文が、国有地を次々と天皇家の名義に書き換えましたので、
大変な財産家になりました。

武田康弘


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