思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

行政独裁の恐ろしさ、立法権を犯して閣議決定ー 自民党議員はこれほどの事態にも沈黙。安倍総理の腰巾着ばかりというテイタラクでは日本沈没です。

2020-02-27 | 社会批評

検察庁の人事にまでストレートな政治介入=閣議で自由に法解釈を変える。完全にかつてのヒトラーと同じ手法。

唯一の立法権をもち、国権の最高機関であるという憲法41条は、ないに等しい政治が続きますが、他の民主主義国ならば、激しいデモが起き、もう何度も政権が転覆しています。

日本人は、三権分立という重大な問題を、受験の時に暗記した、というテスト対策のレベルでしか分からない人が多数ですから、安倍政権は何をしても安泰です。

総理が何でも決めるのが当然と思わされている人が大勢なので、一般の国会議員は脇ちょの人!?(笑哀)くらいにしかなりません。

日本は、独裁国家ではないのです。法律を国会(立法機関)ではなく、内閣(行政機関)で自由に解釈をかえられるなら、ナチスドイツとまったく同じ政治となります。

(学校では、現実の政治と結びつけて社会科の基本学習をしっかりやらないと、もうすべて手遅れとなり、また来た道へ逆戻りです)

行政権の肥大化は、民主主義の息の根を止めてしまう恐ろしい問題で、安倍政権以前から行政権の肥大化=官僚主義の政治を改革する必要が言われていました。

しかし、安倍政権は、官僚の人事への露骨な介入で、官僚たちを政権の意のままにして、民主化の反対に、安倍政権がもつ国家主義の思想に官僚を従わせる事に成功した結果、官僚組織は、政権のイデオロギーを支える強大な力をもつことになりました。

官の民主化のために民主主義=主権者ファーストの思想をもつ政治が介入するのとは逆に、主権者ではなく、国体思想の政治家の思惑に官僚が完全に従うことで政と官が一体化したのです。行政権はゴジラのように巨大化して、国会を一飲みにしています。


いま、コロナウイルスの検査をしようにも、患者は、医師から検査機関に行くように言われても、医師の紹介で直接検査機関に行くことはできず、まず、保険所を介します。
保健所も行政の出先機関なので決められず、地元の行政機関(例えば千葉県なら千葉県庁)に伺い、OKが出て、ようやく保健所から検査機関に連絡が行く、という仕組みになっているため、世界の中で日本だけが検査を受けた(受けられた)人が極小です。

なぜ、医師から検査機関に直接連絡し、とできない事態になるのか? というと、何事もあいだに行政が入る=行政機関が一番偉いものという反民主的な思想があり、行政機関・行政マンが仕切るからです。明治の時に山県有朋がつくった東大法学部による官が支配するという仕組みは今もそのままで、受験知(パターン知と丸暗記)の勝者を登用することで、事務方が仕切るという支配=管理の方法ですので、内容ではなく形式です。わたしの言う「東大病(教)ー官僚主義ー近代天皇制」による支配の体制です。


それは中央政府(国)でも地方政府でも同じで、行政権力の肥大化は、目を覆うばかりですが、国体思想の安倍政権に本気で戦えないテイタラクな政治家ばかりでは、「はじめの一歩」が踏みだせません。

野党のみならず、良識ある保守派の政治家のみなさんには、気骨を示してほしいものです。それがほんとうの日本のためです。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員 国会所属の官僚に「哲学」と「日本国憲法の哲学的土台」を講義)



 

 

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