思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

平成時代!?令和時代!?そんな時代はどこにもありません。凄まじいばかりの天皇教=元号教には呆れ返ります。怖ろしいこと。

2019-12-28 | 社会思想

 最大の陰謀家と歴史家が言う岩倉具視(ともみ)がつくった一世一元の新元号制度は、明治維新当時は多くの民衆、とりわけ東国の人は、天皇という存在を知っている人が極めて少数であったことを受けて、天皇をいやでも意識させるために、元号と天皇を1対1に対応させたのものです。

 それは、まんまと成功し、まるで、特定の天皇の存在=元号名の時代が実在するかのような幻想を日本人に深く植え付けることに成功し、今では、左右を問わず(共産党は別)元号表記を当たり前のものとして受け入れ、役所は元号を実際上、強制しています。戦後の一時期を除き、いまはまた天皇という記号を絶対化するニッポン教=天皇教=元号教で染め上げられています。

 今年2019年の5月1日からは、日本では令和という新しい時代が始まったというのですから、呆れるを通り越して、あまりに容易く占脳・染脳されるわが日本人には言葉がありません。愚かも度が過ぎます。お人良しも度が過ぎます。理性はどこにあるのでしょうか。

 日本人は、無宗教どころか、世界一の宗教国家ではないでしょうか。天皇教とは、仰々しい儀式だけがあり、中身は形式主義=序列主義という思想ともいえないイデオロギ=で、その時々の世俗の価値を肯定し絶対化する世俗ISMですから、知らずに心身の奥まで侵食されてしまいますが、それに気づくこともなく「天皇陛下」などという民主制とは二律背反の言葉を平気で使う人が大多数ですから、なんということか、です。

  「陛下」という言葉は、階上にいる天子=天皇には、階下の役人を通してしか話すことすらできないという意味で、民主政治とはおよそかけ離れた言葉で、近代市民社会でこんな言葉が使われることには、絶句するほかありません。日本人は、いつまで明治政府がつくった天皇神話に呪縛されたままなのでしょうか。日本の歴史は天皇が中心だったというような真っ赤な嘘をいつまでひきづるのか、うんざりします。

 天皇を国事行為から解放し、伝統文化の象徴とし、住居を江戸城という徳川の城からほんらいの住まいである京都御所に戻す。そうすれば、日本には市民主権の民主制(政)が花咲き、皇族の人権も回復されます。


 ※「天皇ismは、理性を育てません」(クリック)


武田康弘



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