思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

度し難い愚か者=麻生外相・安部幹事長・・・靖国天皇主義

2006-05-20 | 社会思想

今朝もまた、テレビで、麻生外相は、「靖国で会おう」と言って死んでいった英霊を祭るには「靖国神社」しかない、これが日本の立場だ、と繰り返し述べていました。

戦前、日本政府が国家の総力をあげて、天皇現人神=皇室崇拝という国家宗教を押しつけたおぞましい事実=、「天皇陛下万歳!」「お国のために」「皇紀は2600年」・・・という異様な宗教についての根源的な反省が必要であることは、ふつうの正常な頭と心の持ち主ならば、誰もが分かることです。

国家が意図的に画策した若者の洗脳を解くことこそ、英霊に報いる唯一の道であることは、論を待ちません。死後もまだこのような狂気の国家主義のイデオロギーに縛るという麻生や安部をはじめとする自民党右派の言動=所業は、万死に値するものです。日本のよき伝統を破壊したのは、明治政府作成の近代天皇制であり、その思想=国家宗教の象徴が靖国神社であることは、「遊就館」を訪ねればひと目で分かります。

「靖国で会おう」と言わざるをえないところまで追い込んだ政府の悪行を反省し、その反省をカタチにすること=新たな、ほんとうの意味での鎮魂施設をつくりこと以外には、問題の解決はあり得ません。民主制社会を続けるためには、それ以外の選択肢はないのです。これを覆すというのなら、再び「天皇中心の神の国」(森前首相)にする他ありません。

そのような狂気の国家の創造が現代世界で許されると思うなら、愚か者というより、異常な宗教的想念にとりつかれた危険人物という他ありません。こういう頭の構造をもった人間が自民党の中枢を占めているという冷厳な事実をみながしっかりと認識しなければ、日本に未来はありません。これは、市民社会の原理です。自民党権力者のいう「日本の立場」とは、右翼的想念にとりつかれた一部の日本人にしかあてはまらないのです。私をはじめ、まっとうな多くに日本人は、いまどき「靖国思想」など全く認めていません。手前勝手に「日本の立場」などという言辞を吐かれることは、日本人として許しがたく、極めて迷惑な話でしかありません。

武田康弘


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