きぼう屋

生きているから生きている

国民保護法という虚構

2006年11月28日 | 平和のこと
昨晩は守ろう憲法と平和きょうとネットの例会で
国民保護法について分かち合いました。

各地域行政ごとに国民保護の計画づくりが進んでいるところですが、
その会議に市民として足を運び続けている田中三郎さんより、
その問題点と考えるべきことを教えていただきました。

この法律は有事法に基づくもので、
戦争やテロが起こった場合の避難方法等を取り決めているものですが・・・

中身は、戦争ができる国づくりに市民を巻き込む国家レベルの運動ということです。

たぶんこれからどんどん街あげての戦争時に備える避難訓練が始まると思います。
そこではちゃんと表現されなくとも
明らかに「北朝鮮」を敵とするところの訓練が行われます。
するとまずは在日朝鮮人のみなさんも敵とされるケースが増加します。
もちろん北朝鮮という国、国民に、戦争なんてなんにも起こっていない段階から敵意を抱くことになります。
同時にアラブ人によるテロも想定されます。
するとアラブ人にも必要のない敵意を自然と抱くようになります。

さらに訓練で国家斉唱などが出てきそうな気配です。
もちろん日の丸にもとに集まったりするでしょう。

こんなことを
天災による避難訓練とごちゃまぜにしながら行う時がもう目前です。

で、
意見交換をしたのですが
戦争を経験している方おふたりがずばり言いました。

-戦争がはじまったら、どこに避難しようと、訓練どおりしようと、それでも死んでしまう。60年前そうだった。
-沖縄では軍隊が民間人を殺した。政府、軍隊は民間人を法律があたって守らない。

つまり、戦争があったら・・・
なんて想定して法律を作ることがあまりにも無駄で
これはただただ
戦争をしないために努力するしかなく、
戦争が起こったら、法律もぶっ壊されるということです。

法律制定の前提がない!法律だということ・・・・・

またアムネスティにかかわり
韓国軍事政権化で、そういう民間人訓練に参加経験のある方も言いました。

-訓練でも、それに同調しきらないと、つかまる・・・

この国は、そういう道へと着々と、
しかし結構な速度で
進んでおりまして・・・・・・・・・