きぼう屋

生きているから生きている

ひーじーじ

2006年11月07日 | 「生きる」こと
しばらく忙しかったのと
バザーや11.3京都集会があって
公っぽい記事しか書いていませんでしたが

その間もいろいろあって・・・
少しずつ思い出しつつ書いていきたいなあと思います。。。

ひーじーじが京都にやってきました。
93歳です。
ひーばーばの墓参りに岡山に行き
そこで甥っ子と一緒に温泉に行き
その後に京都の孫の私と妻と、ひ孫たち4人に会いに来ました。

元気で何よりです。
なんといってもまだ現役で仕事もしてまして・・・
あっぱれ!!

で、京都に来たのにはもうひとつ理由がありました。

「若き哲学徒の手記」がベストセラーになった
戦中に日本海で沈んだ船で消えてしまった京都大学でカントを学んでいた青年
その折に、救命ボートに他の人を優先し
「どうぞお先に」
という言葉をみんなに残して、自分は死んでしまったという青年

弘津さんという名の青年ですが・・・

この沈没事件は、翌日の朝日新聞トップで、
「お先にどうぞ」の言葉と共に報道されたわけですが・・・

その記事を現地で聞き取りをして書いたのが
若き日のひーじーじだったということです。

そしてその弘津さんの弟さんが京都在住で・・・
34年ぶりに会うために京都に来ました。

そこにわたしも同席させて頂いて
いろいろと話を伺いました。

そうしたら不思議なもので
その弘津さんの奥様は紫野教会のオルガニストというではありませんか。
しかもバプテスト病院の小児科で長年活躍してくれている
同じく紫野教会の谷岡先生夫妻とは、
それこそ「若き哲学徒の手記」の弟さん夫婦ということで知り合い
一緒に旅行に行く仲だというではありませんか。

つながりの不思議を経験しました。

若き哲学徒の先生は京大の天野先生で、
私が知りうるところでは
戦後、日の丸君が代を学校でちゃんとやるべきと言い始めた印象悪い先生ですが・・・

そんなところとも何となくつながり・・・


で、
そのひーじーじの記事ですが

1965年から69年の
東京書籍発行の国語の教科書に載っていたとのこと・・・
あわてて東京書籍に問い合わせ・・・
懸命に探してくれたのですが・・・
在庫なしとのこと・・・

誰か持っていないかなあ・・・

これを探し当てるのが最後のひーじーじへの恩返しとなるかなあと
思っているところでありまして・・・

わたし
父親側のじいさまが牧師で
そっちの影響受けてると思われがちですが

残念

母親側のこっちのじいさまの影響を受けておりまして・・・
昔の学校の文集を開くと
将来の夢は「新聞記者」と書き続けているんですが・・・
なぜか牧師していますが・・・

ひーじーじ
100歳まで現役を続けてみてくださいな。