視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
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カティンの森

2010-01-30 05:52:18 | 映画・テレビ他


昨年末から観にいこう視にいこうと思っていた映画「カティンの森」をやっと岩波ホールで視てきました。

映画「カティンの森」公式サイト:http://katyn-movie.com/pc/

事件発覚当時の映像がばっちり出てくるという、内容が内容ですから精神的に落ち着いた時期に視ないとたまったものでありません。
そこで放送大学期末試験がヤット終わった昨日午後、"ホッと"した精神状態の中、視にいってきた次第です。

「カティンの森事件」についてご存知のない方は「カティンの森事件」(Wikipedia)をお読みください。

 小生が「カティンの森事件」のことを知ったのは1978年4月から5月にかけてNHKで放送された「あの時、世界は・・・ 磯村尚徳・戦後史の旅」の第一回「ワルシャワの墓標ー冷戦の発端ー」を視たときでした。
 昨年(2009年)がベルリンの壁崩壊20周年でしたから、今から30数年前の旧ソ連とアメリカが冷戦まっさかりの時代の番組です。
 当然、旧ソ連はまだ健在でしたから「カティンの森事件」の本当の加害者についてナチスドイツの仕業とも旧ソ連の仕業とも断言するような番組構成ではありませんでした。
 それでも番組放送後、当時の親旧ソ連ポーランド人民共和国大使館から抗議を受けたということが、番組放送1年後に発刊された番組関連本(写真)に書かれていました。

 番組が放送された1978年は第2次世界大戦終了から30年以上たっていた訳ですけど、1978年当時でも「カティンの森事件」をマスメディアでとり上げること自体が"まだ"はばかれるような"第2次世界大戦がまだ終了していない状況"に自分自身(当時30歳くらい)が生きていることにショックを受けた記憶があります。

 この番組がきっかけとなって「カティンの森事件」や「冷戦の発端」に関して調べまくる時期がありました。
 その後出始めのMAC電子ブックの製作ソフト「エキスパンドブック」を使って「カティンの森」CD-ROM資料集のようなものも作った記憶もあります。

さて映画ですが、アンジェイ・ワイダ監督の父親が軍人として「カティンの森事件」で殺害された背景での映画ですから、当然"重い"です。
 18世紀終わりに隣国の帝政ロシア等に分割された地域に"亡国の民"として存在していた、ポーランドの民が第1次世界大戦の帝政ロシアの崩壊によって、やっと建国出来たポーランド共和国の国民として第2次大戦の最中に、"ポーランドの民のアイデンティテイ"を民衆、否"家族同士"で守るために、戦争中の支配体制とどう関わったか?をワイダ監督の一族を投影した登場人物たちの生き様、死に様で伝えていたと思います。

ポーランドの歴史 Wikipedia

 中央ヨーロッパにおけるポーランド国の歴史地図を繁栄の17世紀、18世紀の亡国の時代、第1次大戦後のポーランド共和国、第2次大戦中の旧ソ連とナチスドイツに占領されていた時代、第2次大戦後の親旧ソ連当時のポーランド人民共和国、そして現在のポーランド共和国の各時代の国境の変遷を視ることで、歴史が現在と繋がっているということを実感します。

 岩波ホール、多分そうだろうな?と思っていましたが、観に来られていた方の平均年齢は75歳近かったのではないでしょうか?女性同士が多かったですが、結構老夫婦の姿も見られ、映画鑑賞後、どのような会話をなさるのか?一寸知りたい気持ちになりました。

映画「カティンの森」は2月19日で終了し、岩波ホールのその後のメニューにはジャン=ピエール・メルビルの「海の沈黙」、ロベール・ブレッソンの「抵抗 死刑囚の手記より」と重い映画が続きます。

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