視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
TwitterID @seibou_udoku

文化遺産とは?

2008-04-30 02:12:41 | 文化
先週末は歴史関係の講演会にいっていた。

1)中近東文化センター附属三笠宮記念図書館
  語る会 次世代に語り継ぐもの
  「松本健(国士舘大学イラク古代文化研究所)が語る東地中海域の柱頭」

2)飛鳥資料館の特別公開「キトラ古墳壁画十二支-子・丑・寅-」
 キトラ古墳十二支像公開記念シンポジウム
 「飛鳥の謎と文化遺産の保存・活用・国際貢献

共通するテーマは
「誰のための文化遺産?」

伝説的な大洪水の後、最初に王権が降りたとされる都市キシュを、長年調査している国士舘大学イラク古代文化研究所は、現在イラクでの調査はまったく出来ず、UNESCO関係でヨルダンで遺跡調査をしているとのこと。
 
イラク国内は博物館の略奪、遺跡の盗掘破壊が横行しているようだ。
徹底的な略奪にあったイラク博物館は現在は誰も入れない(現政権の文化庁長官も?)状態のようだ。
そこには金目の物を奪うということもあるが、フセイン前政権にとっての"文化遺産"への嫌悪感も多大にあるのではないか、とのこと。 

明日香村における文化遺産・景観保護も住民不在の要素が結構あるようだし、中国の杜暁帆・ユネスコ北京事務所文化遺産保護プロジェクト担当官の報告では、中国国内における世界遺産登録=>観光収益の向上と住民側はみるが、実際は住民が潤う例は少なく、より別の問題が逆に噴出しているようだ。

勿論世界遺産登録を申請するは地域の意思であり、それが存在する国家なのだろうが、UNESCOが誕生して60年弱、人類の歴史は数千年、"登録行為"は結構不遜な行為のような気がしてきた。

二つの講演会は小生を含め多くの老人が聴講していた。特にキトラ古墳関係はほとんどすべてという位。中には携帯用酸素ボンベを引きながらいらしている方もいた。
果たしてこのようなテーマを中心に聴きたかったのだろうか?
でもそういう聴衆にたいして"今"問われなければいけないテーマを提示することは主催者として大事だと思う。
と、同時にこのようなテーマを我慢強く最後まで聞いていた"老人"に拍手を送りたい。
内容は5月4日の朝日新聞にでるようだ。

キトラ古墳特別壁画公開(4月18日(金)~6月22日(日))に続いて、5月31日~6月8日国宝高松塚古墳壁画修理作業室が一般公開される。
抽選だが当選したらぜひ視にいきたい。見損なったらたぶん一生視る機会はないだろう。

☆今から20年前のイラク
イラク・イラン戦争停戦直後の1988年年末にツアーでいったときの写真。
泊まっていたバクダッドのホテルからの街並み。
左端は湾岸戦争開始(1991/1/17)直後、バクダッド空爆のCNNの映像によく写っていた水タンク。



イラク博物館。
この時は幸いにも内部を見学できた。今は?



パルティア王国の首都クテシフォンの遺跡。
2003年のイラク戦争時、バクダッド(首都)侵攻を図るアメリカ軍の通り道にあったはずなので、どうなっていることやら・・・・・


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東京大学科学技術インタープリター養成プログラム

2008-04-28 03:23:20 | 星望★雨読
4月17日から東京大学科学技術インタープリター養成プログラムの社会人むけ講座を受講しはじめた。

実はこのブログにはまったくコメントしなかったが、昨年11月からヒョンなきっかけで国立天文台と三鷹市の連携プロジェクト、平成19年度文部科学省科学技術振興調整費<地域再生人材創出拠点形成>「宇宙映像利用による科学文化形成ユニット(科学プロデューサ養成コース)」を受講する機会を得、今年3月、担当の先生方のご尽力でやっと修了証をいただいた。

小生は科学技術関係の仕事を職業としてきたわけではない。
小さい頃から自動車や天文が好きなだけである。大学もまったくの"文系"だった。
ここ数年、自然科学の勉強をちゃんとしたいと思って、無謀(!?)にも放送大学に入学して全然思考回路が違う学問の勉強に悪戦苦闘している毎日だ。

しかし「科学プロデューサ養成コース」のカリキュラムで総研大の「パブリックアウトリーチ入門」を受講する機会を得、その中でリタイヤ後の地元での活動で、少しでも役に立つような知識、技能とともに、活動指針となる"考え方"を更に得たいと思って、この社会人向け講座の受講を思いたった次第。


また、いつまでも古き良き科学技術の世界(?)に浸ってばかりにいる訳にはいかないという"思い"もある。


授業は大体2週に一回90分の講座。受講者は50名位、年齢層は40~50代が中心か?

スケジュール
1) 黒田 玲子(大学院総合文化研究科教授)
  『医療の進歩と社会』
2) 松田 良一(大学院総合文化研究科准教授)
  『「羊水」は教えられているか?-日本と諸外国の生物教育比較』
3) 嶋田 正和(大学院総合文化研究科教授)
  『科学技術の社会的受容:GM作物の開発と許認可体制をめぐって』
4) 石浦 章一(大学院総合文化研究科教授)
  『意識を分子で語る』
5) 廣野 喜幸 (大学院総合文化研究科准教授)
  『脳科学と社会-脳科学リテラシーの観点から』
6) 村上 陽一郎(本プログラム特任教授)
  『医療と医学の間(はざま)』
7) 藤垣 裕子(大学院総合文化研究科准教授)
  『わかりやすさとは何か ~生命科学の場合』

生命科学を切り口とししての講座内容。
医療と医学の問題はこの年齢(還暦)になると生々しい。いつでも病や死が身近にある。
「死」と「生」のとらえ方から考え直すきっかけとなればと思う。

評価は受講後、担当講師から出されたテーマについてのミニレポートを提出する。
早速、黒田玲子教授からの課題がでた。
きまった答えがある課題ではない。自分の"生命科学"へのスタンスを考える課題だ。
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F1 疾走するデザイン展

2008-04-26 04:35:20 | ロードスター

東京オペラシティアートギャラリーで開催されているF1 疾走するデザイン展を視にいってきた。
歴代F1レーシングカー8台、ホンダのF1エンジン、レースに使用されたタイヤ、レース開催時のパンフレット等が展示されている。

(展示車両)
Cooper T51(1959)
Brabham BT20(1966)
Team Lotus Type 77(1976)
McLaren-Honda MP4/4(1988)
Williams FW14B(1992)
B・A・R Honda 006(2004)
Ferrari F2005(2005)
Renault R25(分解展示)(2005)

参考:http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_1630/

お目当てはCooper T51

コンストラクター:クーパー・カーズ 英国
製造年:1959
エンジン:コベントリー・クライマックス FPF 直列4気筒
排気量:2,499cc
最高出力:230bhp 7,500rpm
グランプリ出走回数:126回

1959年、60年とジャック・ブラバムがドライブして年間チャンピオンになったレーシングカーである。
戦前にもアウトユニオンのようなリアミッドシップエンジンのレーシングカーは存在したが、戦後このCooperの勝利でリアミッドシップエンジンがレーシングーカーのスタンダードとなったのは間違いない。
実物を視るのは初めてだったが、背後に展示されている1966年のBrabham BT20(ジャック・ブラバムが自身でコンストラクターになって製作したF1マシン)と比べるとまさにイギリスの片田舎の町工場で作られたような匂いがプンプンするレーシングカーで嬉しくなってしまった。
展示会場は撮影禁止だったのでYouTube(下サイト)を視ていただくと判るが、今から考えると(多分当時も?)信じられないような細いタイヤや、リアサスがリーフスプリングなのは驚きである。
と、同時にリツター当たり92馬力という低馬力の信頼性抜群なコベントリー・クライマックスの直4エンジンと、古典的な足回りの組み合わせは、当時としてはリアミッドシップエンジン配置という斬新なコンセプトを信頼性で固めたデザインの勝利といえるのだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=6u6OZNQMOgc

Monaco Grand Prix 1959(ジャック・ブラバムがCooper T51で優勝のシーンが視られる)

1959年といえばまだCar Graphicも創刊されておらず、海外のレース情報はモーター・マガジン、モーターファン、自動車ジュニア等の少数の自動車雑誌の片隅にのっていた時代。鈴鹿の日本グランプリ開催も数年先だ。モノポスト・レーシングカーといえばインディ500に出場するレーシングカーのイメージしか伝わっていなかった時代。
小生といえば、自動車ジュニアの購読と、たまに行く原宿のキティランドの奥の雑誌コーナーに置かれていたRoad&Track誌のレース記事を立ち視していた。
まさに「誰も知らない、誰も話相手のいない」トッテもレアな関心事だった。
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東儀秀樹氏講演会

2008-04-23 05:28:40 | 星望★雨読
いつもの軽薄物見で東京工業大学世界文明センター人文学院・芸術学院主催のレクチャーシリーズのひとつ、雅楽師東儀秀樹氏の「雅楽の秘められた力と可能性」を聴講してきた。 
東京工業大学に"芸術学院"があるというのは何か不思議な感じがするが、ホームページによると「多彩な創作活動の実践と教育を通じて、芸術と科学技術の織り成す新たな世界を切り拓きます」とのこと。
今回のレクチャー・シリーズでは橋爪功氏、東儀秀樹氏、高橋源一郎氏、渡辺えり氏、青木保氏という顔ぶれ。
入場無料・先着順ということで、今回は280名収容のホールは立ち見で溢れかえっていた。内、東工大の学生は1/4くらいか?

以下メモ書き
東儀氏は雅楽師の家系ではあるが実際は商社マンの家庭に生まれた帰国子弟とのこと。音楽活動はしていたが、雅楽を本格的に学ぶために宮内庁に入ったのは18歳になってからということなど。
篳篥(ひちりき)、笙(しょう)、竜笛(りゅうてき)の音色を個々に演奏してくれた。個々の楽器を生音で聴いたのは初めてである。
笙が結構大きな音が出、パイプオルガンのような音色が出るのにビックリした次第。
アジアのどこかで生まれ中国、朝鮮半島を通って日本にきたのと、中央アジアを越えてヨーロッパでパイプオルガンの元になったというルーツを考えれば当然か?
現在、中国、朝鮮半島には笙を使う音楽はないとのこと。正倉院と同じようにドン詰りに保存・継承された文化か?
学生との質疑応答のなかで、雅楽には西洋音楽のようなタイプの楽譜はないということを知った。
雅楽は口伝(くでん)で伝承される。
口伝で演奏法が先輩から後継者へ伝えられていく教育システムが、宮内庁という国家機関のなかで古来から延々と続いているというのも、考えてみれば凄いことである。天皇家は1200年以上は続いているだろうから・・・・
20世紀後半の数十年は知らず、ここ2000年の間"文化"の辺境で、流入文化を醸造してきた民族のアイデンティテイに思いをめぐらす・・・・

P.S.
講演があった東工大西9号館の横にディーノが留まっていた。東儀氏の車だろうか?
それで思いだしたが、外出時、街道でフォードGT40を視た。公道で走っているのだから、先年米フォード社で再生産されたGT40だろう。日本に輸入されていたのか?
ボーッと視界から消えるまで視続けていた。

雅楽―僕の好奇心 (集英社新書)
東儀 秀樹
集英社

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小林彰太郎氏トークショー

2008-04-21 04:53:02 | 星望★雨読


日曜日、Car Graphic初代編集長 小林彰太郎氏のトークショーを聞きに、多摩テックで開催されたホンダSミーティングにいってきた。
小林彰太郎氏は小生にとって、単に自動車の嗜好だけでなく、大げさにいえば"生き方"に非常に大きな影響を与えた人物だと思っている。
Car Graphic初刊号が出たのは1962年。小生は丁度中学2年で私立の中高一貫の進学校で成績はいつも下から数えてヒト桁台。
それは卒業するまでの6年間変わらずで、勉強もせず毎日毎日読み耽っていたのがCar Graphicだった。
日本ではまだ見る事などかなわなかったフェラーリなどのスポーツカーやレース、海外、特にヨーロッパの車社会事情を載せたCar Graphicのモノクロ写真をなめるように視、小林彰太郎氏の文を読み返して想像の世界に耽っていた。
その中で自動車をキーワードとしてヨーロッパ文化や、文化というものの考え方を知らず知らずに学んでいったことは間違いない。
さらに小林彰太郎氏のような"好きなことを仕事にする"生き方に憧れていった次第。
自家用車なんていうものが身近になかった中学高校時代、学内でやはりCar Graphicを読んでいる学友が見つかったときは本当に嬉しかった記憶ある。
”見たこともないフェラーリのスペックや、当時花形だったレーシングドライバー、ジム・クラークの話が出来る奴がいる"

「オタク」である。

社会人になってCar Graphicと小林彰太郎氏に人生の道を誤させられた(笑)が奴がたくさんいることを知った。(小生の所属するカークラブにもけっこういそう?)

トークショーでは小林彰太郎氏はそれほどご健康という状態ではないようだが、言葉もシッカリしておられ、、1964年にホンダのF1初参戦を取材するため、発売直後のホンダ・S600をご自身で購入されてヨーロッパに持ち出し、2ヶ月半で12,000kmを走破されたときのことを中心にお話された。
小生のようなCar Graphic初号からの愛読者でいまだに捨てられないでいる読者にとっては馴染みのあるお話だが、それでも初めて聞く話もあった。

自動車、モータースポーツへの情熱を語る現在79歳の小林彰太郎氏に圧倒された一日だった。
小生も平成5年式NAをあと20年の乗り続ける気持ちになった。
あと20年?俺は80歳か!?
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