「10・21」と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
小生の掛かりつけの老医者が語るには昭和18年10月21日の
「学徒出陣」の日、どしゃぶりの雨の神宮外苑競技場を行進して、そのまま戦争にいってしまった悲しい思い出の日とのこと。
彼は終戦後、再び医学部に入学なされて以降、ずっと現役でお医者をなされていらっしゃいます。
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小生にとっての「10・21」は昭和43年10月21日の「国際反戦デー」の新宿駅の記憶です。
当時、まったくのノンポリ(non political)学生だった小生は、夕方友人と新宿駅の西口に愛用のカメラを持って出かけました。
以前はフォークゲリラでいっぱいだった西口地下広場から、当時はまだ高層ビルなんてまったく無かった淀橋浄水場跡方面に向かい、機動隊の集結具合を視て、小田急デパート前の野次馬の間を抜けながら、甲州街道沿いに南口から東口にむかいました。
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今のアルタ前で待っていると、デモ隊が新宿御苑方面からやってきました。
彼らはそのまま新宿駅構内に突入、それを視ていた野次馬も(小生も)一緒に新宿駅構内に流れていきました。ホームに上がってみると、線路上ではデモ隊と機動隊が乱闘しています。止まっている電車に向かって投げられた火炎瓶によって電車が燃えています。
再び中央通路に戻ると、機動隊が発射した催涙ガスで煙もうもうの状態。眼が開けられない状態なので顔をハンカチで押さえながら西口地下広場に脱出しました。
そこも催涙ガスでいっぱいなので、地下鉄方面に逃げると、なぜかまだ地下鉄が動いている。それに飛び乗って最寄駅まできたところで地下鉄も止まってしまいました。
家に戻ってテレビをつけたところで
「騒乱罪」が発動されたことを知りました。
級友の中にはそれから何日か行方不明のものもおりました。
この2枚の写真はいまだに処分できません。
この時、生まれて始めて「時代」というものを肌で感じたような気がしています。
関連サイト:
誰か昭和を想わざる