のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

あえて、言おうかな。

2010-12-08 07:34:26 | 母の作戦、考え
数を頼んで、自分達だけが正義のような顔をして
一人を責める。
そういう様子を見ていることが、たまらなく嫌なのは、
自分の中のトラウマだろうか。

昨夜は見なかったけれど、ニュースでも情報番組でも
御曹司の記者会見をやっている。

彼は、責められるべきだとおもう。

「休みをとっておきながら、夜中に飲みに行ったこと。」
「そういう状況で出てきているのだから、せめてほどほどで引き揚げればよいものを、
仲間がかえった後も、いつまでも飲み続けてたこと。」
「よく知りもしない人と、(一定の線引きをせず)飲んでいること。」


これはすべて、本人の言っていた「おごり」からきているもの。

「自分は特別」という思いがあって、
「飲んでも、舞台は立派に勤められるんだ。」
という自分に対する酔い。
「特別な自分が、こんなにラフにしていることは、相手にとって気持ちの良いことに違いない。」
という思い込み。

彼の行動からはそういう気持ちが透けて見える。
そんな思いが招いた今回の状況は、結果として多くの方に迷惑をかけた。
そのことは、彼が心に刻んでいかなくてはいけないこと。
向き合っていかなくてはいけないこと。


事件のあった夜、彼の中の「自信」や「おごり」が、暴力によってボロボロにされた。
おそらく、ある程度の自信を持っていたであろう腕力が、
まるきり通用しないことに対しての焦り。
役者として、一番守りたかった顔さえ守れなかったこと。
おしゃれな街を、みじめな格好で逃げ回る自分。
自分に自信があっただけに、とても応えたのだと思う。

容赦ない暴力は、人の中の何かを壊す。
彼の中でも、何かが壊れたのだと、会見の表情を見ながらそう思った。


それを、「成長の糧になる」
と、言う人もいるだろう。
私も、結果としてそうなればよいとは思う。


ただ、だからと言って、暴力を肯定することはできない。

例え、御曹司の行動が、見るに堪えない、聞くに堪えないことであっても
(これだって、今の段階で流れている情報は、まだ信用できないと思っている。
被疑者の身内は、当然その罪を軽くするように証言するでしょうから。
警察の精査を待たないといけない情報だと思っている)、
「つまみだす」なり「離れる」なりの対応ができる状況で、
加害者たちの擁護はできないし、するべきではないと思う。


挑発的なミニスカートをはいていたから襲われて当然だ。
態度が悪いから、袋叩きにされて当然だ。
それは、まさに、
「いじめられる人間にも落ち度があったのだから、
いじめられる方も悪い
(この言葉の中には、実は「いじめられる方だけが悪いんだよ」
というニュアンスが隠されていますよね)


私は女で、腕力でいえば世の中の半数を占める男性には
とてもかなわないから、
この日本が、
「顔の骨が折れたり、ひびが入ったりするほど殴られても、
殴られた人間に落ち度があったのだ。」
というような国になるのはたまらない。



マスコミというのは、世の中が「武力」ではなく「言語力」で
成立しているという背景があって初めて機能するものなのに、
昨夜の記者会見場で質問をする方々の中に、
それがわかっていないように感じる方が複数いたことを
なんだか、悲しく感じてしまいました。