昨夜も11時までお勉強(もちろん二人でね。)。
生物(発生)のあと、英語の文法問題に取り組んだ。
助動詞を使っている英文を、日本分に直していくもの。
中に、こんなのがあった。
She is busy today. She may not be at home.
のんびり娘は、Busy が苦手。
まず、読めない。読んだ後も、visit とごっちゃになりやすい。
今回も、ここで?。止まる。
「ぶーーーじ・・・?」
って、ヒントを出すと、次に進めるんだけどね。
そうして、
「彼女は急がしい。」
って、書き始めた。
まてまて、もうひとつ単語を忘れているぞ。
と注意を促すと、
こちらはすんなり 「とぅでい」と読んだ。
「なんていう意味?」
と、さりげない風を装って聞いてみる。
実は、「昨日」「今日」「明日」
っていうのは、日本語でも英語でも、彼女が苦戦し続けていた概念だから。
中学に入ってから、これらの言葉に何回触れたかわからない。
(のんびり娘の中学は、他の学校の倍、週8時間英語があるし、補習やゼミもびっしりだったのだ)
だけど、そのつど、どれがどれだかわからなくなる。
「概念」がしっかりしていないのに、
それに当てはめる言葉がすんなり記憶されるはずもないわね。
のんびり娘の脳は、「昨日」「今日」「明日」という時間の流れに
名前をつける必要を感じていなかった。
括りがはっきりしないものに、名前をつけられる人はいないもんね。
だから、いつも迷ってた。
昨日なのか、明日なのか、
なぜか、「今日」という言葉は、明日や昨日より思い出しにくいようだった。
その都度、毎回絵を買いた。
時間の流れを絵にして、名前をつけて・・
何百回とは言わないけれど、百回は越える回数は描いてるなぁ・・・。
と、回想はこの位にして、昨夜のこと。
すんなり「きょう!」っていう言葉がのんびり娘から出てきたのだ。
ごく「ふつー」に。「当たり前」の言葉っていう感じで。
絵を描き続けているときに、別に確証があったわけではないの。
「いつかきっとわかるに違いない」
なんてこと、思ってもいなかった。
でも、
「ずっとわからないに違いない」
とも思わなかった。
淡々とした毎日は積み上がって、そうして
いつの間にか彼女の中に
「昨日」「今日」「明日」の概念ができたのね。
生物(発生)のあと、英語の文法問題に取り組んだ。
助動詞を使っている英文を、日本分に直していくもの。
中に、こんなのがあった。
She is busy today. She may not be at home.
のんびり娘は、Busy が苦手。
まず、読めない。読んだ後も、visit とごっちゃになりやすい。
今回も、ここで?。止まる。
「ぶーーーじ・・・?」
って、ヒントを出すと、次に進めるんだけどね。
そうして、
「彼女は急がしい。」
って、書き始めた。
まてまて、もうひとつ単語を忘れているぞ。
と注意を促すと、
こちらはすんなり 「とぅでい」と読んだ。
「なんていう意味?」
と、さりげない風を装って聞いてみる。
実は、「昨日」「今日」「明日」
っていうのは、日本語でも英語でも、彼女が苦戦し続けていた概念だから。
中学に入ってから、これらの言葉に何回触れたかわからない。
(のんびり娘の中学は、他の学校の倍、週8時間英語があるし、補習やゼミもびっしりだったのだ)
だけど、そのつど、どれがどれだかわからなくなる。
「概念」がしっかりしていないのに、
それに当てはめる言葉がすんなり記憶されるはずもないわね。
のんびり娘の脳は、「昨日」「今日」「明日」という時間の流れに
名前をつける必要を感じていなかった。
括りがはっきりしないものに、名前をつけられる人はいないもんね。
だから、いつも迷ってた。
昨日なのか、明日なのか、
なぜか、「今日」という言葉は、明日や昨日より思い出しにくいようだった。
その都度、毎回絵を買いた。
時間の流れを絵にして、名前をつけて・・
何百回とは言わないけれど、百回は越える回数は描いてるなぁ・・・。
と、回想はこの位にして、昨夜のこと。
すんなり「きょう!」っていう言葉がのんびり娘から出てきたのだ。
ごく「ふつー」に。「当たり前」の言葉っていう感じで。
絵を描き続けているときに、別に確証があったわけではないの。
「いつかきっとわかるに違いない」
なんてこと、思ってもいなかった。
でも、
「ずっとわからないに違いない」
とも思わなかった。
淡々とした毎日は積み上がって、そうして
いつの間にか彼女の中に
「昨日」「今日」「明日」の概念ができたのね。