宿題に追われる中、とうとう漢検の当日になってしまいました。
勉強できたのは、昨日の2時間ほどだけ。焦るわ(私が・・)。
漢検の6級、彼女は『画数』『書き順』は、まぁそう心配が無いの。
あと、『部首』も結構いける。
なにせ、真面目なのでね、教わった事を覚えこむ事はそう苦手ではないし、
視覚記憶はそれほど悪くないから。
『音と訓』に関しては、昨年夏補習をした後は非常に得点率が高かったのだけど、
今年最初の試験ではボロボロ。
『音』と『訓』、どっちがどっちかわからなくなってたのね。
苦手なのは『類義語』『対義語』。
あと、熟語の組み立て(その熟語は、反対の意味を持つ文字の組み合わせか、似た様な意味を持つ漢字の組み合わせか・・・など)。
つまり、「漢字」一つ一つの意味(もっと言うと、その漢字一つの読み方も)がつかまえられなくて苦手としてるんですね。
熟語はそのセットとして覚える。バラになると別物。
読み方も、意味もなかなかつながっていかない。
そういう風に書くとね、
「だから、漢字は意味が大事だから、文字の形とか書き取りするんじゃなくて、意味を教えてあげればいいのに」
という声が聞こえそうですけど、
当然、そんな事はやってますわ。
ただ言葉で教えるだけでなく、絵にしてみたり、実物に貼り付けてみたり、
漢字から「意味」が見えるようにあらゆる工夫はしてきましたけど、
それを彼女の脳が受け止めて溜めていくかどうかはまた別問題なんですよね。
のんびり娘の脳に合う教え方はないものかと、漢字の教材に関してはあらゆる種類のものをそろえましたけど、なかなかでしたのよ。
彼女には彼女の、ものを覚える道筋というのがあって、こちらで誘導しようとしてもそうはいかない。のんびりというより、なかなかの頑固者でもあるのです。
さて、その娘がようやくこちらの手の内に入ってきたぞ。
そう思えるようになったのは、ここ1年くらいのことです。
昨年夏の漢検の補習で、熟語の組み立てを学んできた時、
私は(まだわからないだろうな。)って思いました。
この「わからない」のレベルが伝えにくいのですけど、
個々の漢字の意味がわからないのは当然のこととして、
そもそも、問題の意味がわからないだろうというのが私の読みでした。
「同じ様な」というのと「同じ」の違い、
「上の漢字が下の漢字を修飾する」の「修飾」の意味。
これは「詳しくする」というように言い換えてわかるかというと、そういうもんではないですからね、のんびりちゃんは。
例えば、
「銅板」という熟語があって、
「銅の板」だから、上の漢字が下を修飾する。
となればいいけれど、
のんびり娘の場合は、
「板が銅?」なぁんてやってしまって、
下から上に読むほうが意味が良くわかる。
なんていうのを選んだりするのよ。
この違いをどう捉えさせるか、難しいのだ。
やはり、のんびり娘苦戦はしたけど、
私の読みと違ったのは、
「何をしたらいいか」までは掴んできた事。
定着までは行かなかったけど、
もともと持っている語彙が少ないから、
問題を解くにはまだまだ力は弱いけど、
少なくても、先生の教えてくれる「解き方」を掴んでくる事はできた。
漢字ひとつずつの意味を考える。
その取っ掛かりになったのね。
さて、1年後の今年は残念ながら漢検対策の補習がなくて、
昨夜、ガミガミ母さんと勉強する事になったのだけど、
かつて、ほぼ全滅だった『読み』がずいぶんできる様になっていました。
『書き』も、出来るのが増えたね。
これは、
「2年で何とか追いつかせます」
と、毎日漢字の宿題を課す、国語の先生方(チームで意志を共有してくださってます)のお蔭ですね。
そうして、自分の頭の中から取り出せる漢字が増えてきたことで、
彼女の脳に少しゆとりができたというか、結びつきとか、共通のものとか、意味とか、
そちらに、頭を動かす事ができるようになってきたのを感じるんですね。
といっても、一つ一つの意味や読み方を思い出すのにものすごく時間がかかりますし、
意味の取り違えも多いです。
今現在、彼女の持っている語彙と、彼女が覚えた漢字とでは、漢字のほうの量がずっと多い。だから、自分の言葉でその漢字の意味を説明させるとどうしたってわかってないものの方が多いのね。
わからないのを答えようと考えて、全然違う言葉をあてはめちゃう事も多い。
それを少しずつ修正したり埋めていかなきゃならないというのは、大変なのは大変なんですけど、こうして、考えかたの道筋が、こちらによってきてくれたのはありがたいです。
この道を歩いていけば、少しずつでも先へ進んでいけると見込みのつけられる道だから。
ここまできてようやく、買い溜めた「漢字本」が役に立ちます。
ドラえもんシリーズ、ようやく役立つねぇ。
と、中2の娘に持たせる母なのであります。
勉強できたのは、昨日の2時間ほどだけ。焦るわ(私が・・)。
漢検の6級、彼女は『画数』『書き順』は、まぁそう心配が無いの。
あと、『部首』も結構いける。
なにせ、真面目なのでね、教わった事を覚えこむ事はそう苦手ではないし、
視覚記憶はそれほど悪くないから。
『音と訓』に関しては、昨年夏補習をした後は非常に得点率が高かったのだけど、
今年最初の試験ではボロボロ。
『音』と『訓』、どっちがどっちかわからなくなってたのね。
苦手なのは『類義語』『対義語』。
あと、熟語の組み立て(その熟語は、反対の意味を持つ文字の組み合わせか、似た様な意味を持つ漢字の組み合わせか・・・など)。
つまり、「漢字」一つ一つの意味(もっと言うと、その漢字一つの読み方も)がつかまえられなくて苦手としてるんですね。
熟語はそのセットとして覚える。バラになると別物。
読み方も、意味もなかなかつながっていかない。
そういう風に書くとね、
「だから、漢字は意味が大事だから、文字の形とか書き取りするんじゃなくて、意味を教えてあげればいいのに」
という声が聞こえそうですけど、
当然、そんな事はやってますわ。
ただ言葉で教えるだけでなく、絵にしてみたり、実物に貼り付けてみたり、
漢字から「意味」が見えるようにあらゆる工夫はしてきましたけど、
それを彼女の脳が受け止めて溜めていくかどうかはまた別問題なんですよね。
のんびり娘の脳に合う教え方はないものかと、漢字の教材に関してはあらゆる種類のものをそろえましたけど、なかなかでしたのよ。
彼女には彼女の、ものを覚える道筋というのがあって、こちらで誘導しようとしてもそうはいかない。のんびりというより、なかなかの頑固者でもあるのです。
さて、その娘がようやくこちらの手の内に入ってきたぞ。
そう思えるようになったのは、ここ1年くらいのことです。
昨年夏の漢検の補習で、熟語の組み立てを学んできた時、
私は(まだわからないだろうな。)って思いました。
この「わからない」のレベルが伝えにくいのですけど、
個々の漢字の意味がわからないのは当然のこととして、
そもそも、問題の意味がわからないだろうというのが私の読みでした。
「同じ様な」というのと「同じ」の違い、
「上の漢字が下の漢字を修飾する」の「修飾」の意味。
これは「詳しくする」というように言い換えてわかるかというと、そういうもんではないですからね、のんびりちゃんは。
例えば、
「銅板」という熟語があって、
「銅の板」だから、上の漢字が下を修飾する。
となればいいけれど、
のんびり娘の場合は、
「板が銅?」なぁんてやってしまって、
下から上に読むほうが意味が良くわかる。
なんていうのを選んだりするのよ。
この違いをどう捉えさせるか、難しいのだ。
やはり、のんびり娘苦戦はしたけど、
私の読みと違ったのは、
「何をしたらいいか」までは掴んできた事。
定着までは行かなかったけど、
もともと持っている語彙が少ないから、
問題を解くにはまだまだ力は弱いけど、
少なくても、先生の教えてくれる「解き方」を掴んでくる事はできた。
漢字ひとつずつの意味を考える。
その取っ掛かりになったのね。
さて、1年後の今年は残念ながら漢検対策の補習がなくて、
昨夜、ガミガミ母さんと勉強する事になったのだけど、
かつて、ほぼ全滅だった『読み』がずいぶんできる様になっていました。
『書き』も、出来るのが増えたね。
これは、
「2年で何とか追いつかせます」
と、毎日漢字の宿題を課す、国語の先生方(チームで意志を共有してくださってます)のお蔭ですね。
そうして、自分の頭の中から取り出せる漢字が増えてきたことで、
彼女の脳に少しゆとりができたというか、結びつきとか、共通のものとか、意味とか、
そちらに、頭を動かす事ができるようになってきたのを感じるんですね。
といっても、一つ一つの意味や読み方を思い出すのにものすごく時間がかかりますし、
意味の取り違えも多いです。
今現在、彼女の持っている語彙と、彼女が覚えた漢字とでは、漢字のほうの量がずっと多い。だから、自分の言葉でその漢字の意味を説明させるとどうしたってわかってないものの方が多いのね。
わからないのを答えようと考えて、全然違う言葉をあてはめちゃう事も多い。
それを少しずつ修正したり埋めていかなきゃならないというのは、大変なのは大変なんですけど、こうして、考えかたの道筋が、こちらによってきてくれたのはありがたいです。
この道を歩いていけば、少しずつでも先へ進んでいけると見込みのつけられる道だから。
ここまできてようやく、買い溜めた「漢字本」が役に立ちます。
ドラえもんシリーズ、ようやく役立つねぇ。
と、中2の娘に持たせる母なのであります。