朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

さあ、一緒に行って、万軍の主を尋ね求めよう、と

2016-05-22 07:52:55 | 聖書から
聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。

 主の栄光は、地をすべて覆う。イザヤ書6:3(5/22の週の聖句)




 さあ、共に行って、

主の恵みを求め、

万軍の主を尋ね求めよう。ゼカリヤ8:21




 このキリストによって

私たち両方の者が一つ霊に結ばれて、

御父に近づくことができるのです。エフェソ書2:18




      (ローズンゲン日々の聖句5/22;日)




 「父である神」に対して、「御子である神」に対して、「聖である霊」と呼ばれる方に対して、御座近く使える天使が「聖なる」、「聖なる」、「聖なる」万軍の主と、賛美しているのだそうです。




 これに接したイザヤは、畏敬の念に打たれ、

「ああ、私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、

くちびるの汚れた民の間に住んでいる。し

かも万軍の主である王を、この目で見たのだから」と言うしかなかったのだそうです(イザヤ6:1~5)。




 けれども、その天使のひとりが飛んで来て、火ばさみで、祭壇の上から取って来た燃え盛る炭をイザヤの口に触れ、

「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの不義は取り去られ、

あなたの罪は贖(あがな)われた」と宣言して、イザヤは預言者としてつかわされることになったのだそうです(イザヤ6:5~13)。




 そのように、イエスが、私たち、すべての人間の罪を背負って十字架刑での処刑を受けてくださっている今は、これを受け入れる者は、イエスの死によって罪を贖っていただいた者としていただけるのだそうです。




 イエスは、三日目に死人のうちより、新しいからだに復活し、40日に渡って何度も弟子たちに現れて、数多くの、確かな証拠をもって、ご自身が、確かに生きていることを見せたうえで、オリーブ山で、弟子たちの見ている前で、天の「父である神」の右の座に帰られたのだそうです。




 そして、そのイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方が、受け入れる者の心に「父である神」の私たち一人一人に対する御思いを置いてくださるので、受け入れる者は、その部分において、「父である神」と同じ思いを持つ者、一つ心になった者とされ、「父である神」が私たち一人一人を通してしようと思っておられることをする者にしていただけるのだそうです。

イザヤがそうであったように。




 それで、「キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない者であった」私たちなのですが、これを受け入れるなら、キリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者としていただき、「聖である霊」と呼ばれる方によって、「父である神」のみもとに近づくことができる者、神の国の国民、神の家族としていただけるのだそうです(エペソ2:11~22)。




 それで、多くの人が、

「さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう」、

「私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ」(ゼカリヤ8:21~23)と言うようになるのだそうですね。




 そして、歌うのだそうです。

「主は情け深く、憐れみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。

主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。

主よ。あなたの造られたすべてのものは、あなたに感謝し、あなたの聖徒はあなたをほめたたえます。

彼らはあなたの王国の栄光を告げ、あなたの大能のわざを、語るでしょう。

こうして人の子らに、主の大能のわざと、主の王国の輝かしい栄光を、知らせましょう。

あなたの王国は、永遠にわたる王国。

あなたの統治は、代々限りなく続きます」(詩篇145:8~13新改訳)と。

この新しい週も。


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