「at武道館」をつくった男(和久井光司著)

2008年10月06日 | 音楽本
『at武道館』をつくった男 ディレクター野中と洋楽ロック黄金時代
『at武道館』をつくった男 ディレクター野中と洋楽ロック黄金時代
 2008.7.20 

1972年にCBSソニーに入社し、2年間の宣伝活動の後、洋楽ディレクターとして、モット・ザ・フープル、エアロスミス、ジャニス・イアン、クラッシュ、そしてチープ・トリックなどのディレクターを務めこの6月に定年退職を迎えた野中氏の足跡を辿った書。と一言で言うとこうなってしまいますが、70年代、ちょうど自分が洋楽を聴き始めた時期、こういう風にして洋楽アルバムが日本で発売されていたのか・・ という事がとても興味深く語られています。

最初の2年の宣伝というのは担当のアーティストのシングル盤を持ってラジオ局を回ったり、来日の時はいろいろ裏でお世話する、といった事。特に番組の初めの1曲目にしてもらうようにするのがヒットの要件とか。アルバート・ハモンドの「落ち葉のコンチェルト」は最も力を入れ東京の深夜番組の1曲目を勝ち取ったそうです。・・それを当時私は聴いていたことになります。

あとはポルナレフの宣伝も担当で来日時には空手をしていた彼を空手道場に連れていったりもしてます。そのポルナレフの”敵”がキング・レコードのカーペンターズたった、などファンとして聴くのと、売り手の現場にいるのとではまったく違ってきます。小売と製造、買い手、立場によって見る目が違ってきます。

その後洋楽を日本で売るディレクターとなるわけですが、この洋楽ディレクターというのは、邦楽を売る場合は目の前にアーティストがいるのでそのバックアップということになるのに対し、当のアーティストは海外にいるので”自分がそのアーティストになってしまうこと”だと言っています。ここらへんはなるほどーそうなのかととても興味深いです。アーティストを体現しつつレコートの帯の文句を考えたり、発売のタイミングを考えるのだそうです。

題名にもなっているチープ・トリックに関しては、デビュー・アルバムを褒めたのはロッキング・オンの渋谷陽一だけで、自身の交通事故と、さらにミュージック・ライフの東郷かおる子さんの「この子たちいくわよ」という、この二つの音楽誌が同時に動く新人・・あまり無い事態・・にピンときたという興味深い記事があります。

それにしても野中さんはソニーの社員であったわけで、30余年に渡るサラリーマン生活を満期定年したんだなあ、すごい、というのがこの本の重みでした。

著者の和久井さんはミュージシャンでもありますが、彼は制作側から見た洋楽史を書くのはもちろん、団塊世代の一像を書きたかったとも記しています。和久井さん曰く「1958年生まれの僕は、団塊に圧し潰されて四五度ぐらい捩れてしまった世代(50年代中盤生まれ)を直接の先輩として育ち、さらに四五度ぐらい捩れてしまったという自覚があり、団塊の作った”王道”に素直に同調できなかった」と自らを記してるのですが、あれそうかい、それじゃあ私は45度かいと思いました。和久井さん年代と同一と思ってたのが2年違いでさらに思いは複雑だったのかと。


「社長の履Rec書」 野中規雄さんのblog
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