大瀧詠一―総特集 大瀧詠一と大瀧詠一のナイアガラ30年史
2005.11
読みました♪たてよこななめ、昔のから新しめのまでたくさんの記事が載っておりました。
氏のHPで演劇少年からアメリカンポップスに目覚めることは分かったのですが、どこでギターを始めたのか、どういう風にポップスに目覚めたのか知りたかったのです。
おもしろかったのは「ナイアガラ・ライフ30年」内田樹氏との対談と、「大滝詠一のポップス講座~分母分子論」相倉久人(聞き手)や、関係ある人たちの「私的大瀧詠一ベスト5」
「ナイアガラ・ライフ30年」では大瀧さんの歌い方は鼻音にあると自身で語っていて、歌はセクシャリティに関係していてそれはmとnやkの発音にかかっていると言っていました。言葉のある歌を聴いて、特に異性の歌手がいいなあと思うのは楽曲とともに、そんな歌い方にも関係しているのかあと目からウロコでした。確かに大瀧氏の声はつやがあって、今回個人的にどんな人か興味が湧いたのも鼻音の発音にあったのかも。
分母分子論というのは83年に雑誌「FMファン」で対談されたもので、明治以来日本の音楽は洋楽(世界史・分母)を音楽教育とかの土台にしてきて、そのうちそういう洋楽を消化した人(古賀政男や服部良一など)が「君恋し」などの歌謡曲を発表して、日本の流行歌になる(分子)。戦後の流れだとロカビリー、GS、フォーク、ニューミュジックなどどんどん新しい流れは出てくるが、ロカビリーなどの人は分母が洋楽でそれを意識しているが、次の世代になるとそのロカビリーを分母として新しい音楽を作るようになり、消化された洋楽を土台にしてるので、自分で大元のルーツの音楽を意識していなくて影響されるものが二重三重になってくる・・ というようなのが分母分子論?なのかな。
でロング・バケイションは自らのルーツの50年代ポップスの確認作業であったと言っています。それで盗作が目立つなどと言われたとか。
で肝心の氏のポップス元年は・・
「私の100枚」(サウンドレコパル81年所収)の一文と「巻末の年表」でわかりました。家にあった蓄音機で「お富さん」とか聴いてが、10才の時にコニー・フランシスの「カラーに口紅」をラジオで聞いたのが最初のポップスとの出会い。で中学時代の61.62.63年には当時のヒット曲のシングルを買い集める。64年の高校一年、ビートルズが出てきてLPを買うためにプレスリーのレコードを手放してしまう。66年ビートルズの日本公演をTVで見てギターを始める。
しかし「FMファン」に「サウンドレコパル」となつかしい雑誌です。
はぴいえんどがバッファロー・スプリングフィールドに影響を受けているようなのですが、こうみると氏の分母はアメリカンポップスとビートルズのようですが、次の世代の自分だとはぴいえんどが分母になってしまっている、ということでしょうか。
大瀧氏のHP「Amigo Gara-Ge」 手作りHPという感じでナマな読み応えが。
対談:船村徹氏と 2005年の姿が・・
上流階級倶楽部~ナイアガラなパラダイス UTOさんのHP 大瀧氏の作品一覧など細かいデータがたくさん
2005.11
読みました♪たてよこななめ、昔のから新しめのまでたくさんの記事が載っておりました。
氏のHPで演劇少年からアメリカンポップスに目覚めることは分かったのですが、どこでギターを始めたのか、どういう風にポップスに目覚めたのか知りたかったのです。
おもしろかったのは「ナイアガラ・ライフ30年」内田樹氏との対談と、「大滝詠一のポップス講座~分母分子論」相倉久人(聞き手)や、関係ある人たちの「私的大瀧詠一ベスト5」
「ナイアガラ・ライフ30年」では大瀧さんの歌い方は鼻音にあると自身で語っていて、歌はセクシャリティに関係していてそれはmとnやkの発音にかかっていると言っていました。言葉のある歌を聴いて、特に異性の歌手がいいなあと思うのは楽曲とともに、そんな歌い方にも関係しているのかあと目からウロコでした。確かに大瀧氏の声はつやがあって、今回個人的にどんな人か興味が湧いたのも鼻音の発音にあったのかも。
分母分子論というのは83年に雑誌「FMファン」で対談されたもので、明治以来日本の音楽は洋楽(世界史・分母)を音楽教育とかの土台にしてきて、そのうちそういう洋楽を消化した人(古賀政男や服部良一など)が「君恋し」などの歌謡曲を発表して、日本の流行歌になる(分子)。戦後の流れだとロカビリー、GS、フォーク、ニューミュジックなどどんどん新しい流れは出てくるが、ロカビリーなどの人は分母が洋楽でそれを意識しているが、次の世代になるとそのロカビリーを分母として新しい音楽を作るようになり、消化された洋楽を土台にしてるので、自分で大元のルーツの音楽を意識していなくて影響されるものが二重三重になってくる・・ というようなのが分母分子論?なのかな。
でロング・バケイションは自らのルーツの50年代ポップスの確認作業であったと言っています。それで盗作が目立つなどと言われたとか。
で肝心の氏のポップス元年は・・
「私の100枚」(サウンドレコパル81年所収)の一文と「巻末の年表」でわかりました。家にあった蓄音機で「お富さん」とか聴いてが、10才の時にコニー・フランシスの「カラーに口紅」をラジオで聞いたのが最初のポップスとの出会い。で中学時代の61.62.63年には当時のヒット曲のシングルを買い集める。64年の高校一年、ビートルズが出てきてLPを買うためにプレスリーのレコードを手放してしまう。66年ビートルズの日本公演をTVで見てギターを始める。
しかし「FMファン」に「サウンドレコパル」となつかしい雑誌です。
はぴいえんどがバッファロー・スプリングフィールドに影響を受けているようなのですが、こうみると氏の分母はアメリカンポップスとビートルズのようですが、次の世代の自分だとはぴいえんどが分母になってしまっている、ということでしょうか。
大瀧氏のHP「Amigo Gara-Ge」 手作りHPという感じでナマな読み応えが。
対談:船村徹氏と 2005年の姿が・・
上流階級倶楽部~ナイアガラなパラダイス UTOさんのHP 大瀧氏の作品一覧など細かいデータがたくさん