「どうして私が死ぬときは、トート様が来てくれないの?」と、出雲綾さんがゾフィーをやっていたときに、
仰っていたと、『歌劇』で読んで、鋭い指摘と思った覚えがあります。
エリザベート、確かに、ウィーン版でも、ソウル版でも、
ゾフィーが死ぬときは、トート様、来ないよね。
エリザベート&ルドルフの時は、トート様チューしに来るのにね。
ソウル版だと、皇帝の執務室のシーン。
「自由」と叫んで捕まっちゃった息子の減刑を懇願しに
1人の母親がやってきます。
そのとき、トート様、その息子と一緒に、舞台後方の高いところに登場します。
ウィーン版&宝塚版、このとき、トート様、舞台上にいましたっけ?
1人の息子を自ら手にかけるトートさま。
この人が出てくると、人が死にますよ、人の生死を司りますよという
デモンストレーションのために、トート様登場してるのかなあ。
それにしても、ソウル版ゾフィーは、自由と叫んだ息子よりも
トート様にとって、重要度が低いということかしら、、、。
仰っていたと、『歌劇』で読んで、鋭い指摘と思った覚えがあります。
エリザベート、確かに、ウィーン版でも、ソウル版でも、
ゾフィーが死ぬときは、トート様、来ないよね。
エリザベート&ルドルフの時は、トート様チューしに来るのにね。
ソウル版だと、皇帝の執務室のシーン。
「自由」と叫んで捕まっちゃった息子の減刑を懇願しに
1人の母親がやってきます。
そのとき、トート様、その息子と一緒に、舞台後方の高いところに登場します。
ウィーン版&宝塚版、このとき、トート様、舞台上にいましたっけ?
1人の息子を自ら手にかけるトートさま。
この人が出てくると、人が死にますよ、人の生死を司りますよという
デモンストレーションのために、トート様登場してるのかなあ。
それにしても、ソウル版ゾフィーは、自由と叫んだ息子よりも
トート様にとって、重要度が低いということかしら、、、。