ネットにブログを上げている時点で、相当なうそ発見になります。
自分も含めて、大抵人には言動に矛盾があります。
で、それを指摘されると大抵怒る。
矛盾を抱えて生きているのが人であったりするので、そこに葛藤が存在して悩んだりしている。
大抵の葛藤の原因は、すでに自分でわかっているわけです。
わかっているけどやめられない。
だから矛盾とわかっていながら、やり続ける。
そして真面目な人はうそを正そうとするわけです。直そうとする。
大変なエネルギーが必要です。
めんどくさいね。
逆に、うそを更にうそで構築するのが得意な人もいる。
通称「いいわけ」。
天才的にとっさのうそがズラッと言える人に感心したりもするし、意外とそれが魅力に見えたりする。
でもいずれ破綻もする。
これもめんどくさいね。
人類知のすべての学問が発展途上の数%程度だと思っているので、最も確からしい情報でさえ、90%以上わからないと考えている。
「わからない」と人は不安になるものなんです。
暗闇に幽霊や妖怪やらを見出すように、なんらかの「悪いもの」を定義する。
その時点ですでにうそだったりするのだけれど、そう定義しないと不安になってしまうからせざるを得ない、生まれ持った防衛反応とも言える。
「わからない」ものは「わからない」と答えていいのだけれど、「わからない」ことそのものが不安なので、わかったふりをする。
しかしながら、専門的な学問というのは、結構数値モデル化が進んでいて、そこそこな計算ができる。
製品によく使われるねじの設計は意外と難しくて、それだけで数百ページの専門書があるぐらいですが、一番の肝の静摩擦係数はよくわからないんだけど、
「0.3」
にすると、大体うまくいくとか。
経験則的なんですけどね。
力を加えてものがどう変形するかは、工業的な面と、ILMなどの映像技術的な面から、相当精度が高いシミュレーションができるようになってきた。
感心します。
それでも自分の中にある「わからない」ものと、それを補うために存在する「うそ」。
それを発見するにはネットは有用な「うそ発見器」になるとは思います。
ネット社会そのものがうそだとすると、それもわかりにくいけれど、マスメディアと地元情報だけで生活が左右されていたちょっと前にくらべれば、随分良くはなったと思います。
自分も含めて、大抵人には言動に矛盾があります。
で、それを指摘されると大抵怒る。
矛盾を抱えて生きているのが人であったりするので、そこに葛藤が存在して悩んだりしている。
大抵の葛藤の原因は、すでに自分でわかっているわけです。
わかっているけどやめられない。
だから矛盾とわかっていながら、やり続ける。
そして真面目な人はうそを正そうとするわけです。直そうとする。
大変なエネルギーが必要です。
めんどくさいね。
逆に、うそを更にうそで構築するのが得意な人もいる。
通称「いいわけ」。
天才的にとっさのうそがズラッと言える人に感心したりもするし、意外とそれが魅力に見えたりする。
でもいずれ破綻もする。
これもめんどくさいね。
人類知のすべての学問が発展途上の数%程度だと思っているので、最も確からしい情報でさえ、90%以上わからないと考えている。
「わからない」と人は不安になるものなんです。
暗闇に幽霊や妖怪やらを見出すように、なんらかの「悪いもの」を定義する。
その時点ですでにうそだったりするのだけれど、そう定義しないと不安になってしまうからせざるを得ない、生まれ持った防衛反応とも言える。
「わからない」ものは「わからない」と答えていいのだけれど、「わからない」ことそのものが不安なので、わかったふりをする。
しかしながら、専門的な学問というのは、結構数値モデル化が進んでいて、そこそこな計算ができる。
製品によく使われるねじの設計は意外と難しくて、それだけで数百ページの専門書があるぐらいですが、一番の肝の静摩擦係数はよくわからないんだけど、
「0.3」
にすると、大体うまくいくとか。
経験則的なんですけどね。
力を加えてものがどう変形するかは、工業的な面と、ILMなどの映像技術的な面から、相当精度が高いシミュレーションができるようになってきた。
感心します。
それでも自分の中にある「わからない」ものと、それを補うために存在する「うそ」。
それを発見するにはネットは有用な「うそ発見器」になるとは思います。
ネット社会そのものがうそだとすると、それもわかりにくいけれど、マスメディアと地元情報だけで生活が左右されていたちょっと前にくらべれば、随分良くはなったと思います。