近所の学習塾に、
「繰り返して上手になる」
というキャッチコピーが書かれていたけれど、ここには子供は通わせないと強く思った。
目的が明確なら、繰り返し作業も苦にならないんですよ。
一日中卵の殻を割り続けたとしても、それが仕事で収入を得るためとか、それによって何か(巨大なケーキとか)を作り上げるとか、卵を割ることを極めたいとか、そういった目的があれば苦にはならない。
ところが、その目的がないまま、
「とにかく目の前の卵を割り続けろ」
と言われたって、やる気なんかでない。
ベスト・キッドだって、カンフーが強くなりたいという明確な目的があるから窓を拭いたりペンキを塗ったりするのであって、全く目的がない状態でそれを続けたら、ただの強制労働ですよ。このご時世。
漢字の書き取りをやらされたけれど、全く覚えなくて。
十個書こうが百個書こうが、全く覚えない。
ところが中学生以降、本を読み始めたらガンガン漢字を覚えるようになった。
私は小学生時代からコンピュータに強い関心を持っていて、わざわざ墨汁をすって和紙に文字を書くより、鉛筆を削って紙に書くより、キーボードを打てば一定のきれいな文字を大量に書き出せることを知っていた。
今の子供には当然の感覚ではある。
読みを変換すれば、知らない漢字で文章は作れる。
私の子供時代は他の人にその認識はまるでなかった。
先を行き過ぎてはいたのかもしれない。
同じように掛け算九九も覚えない。
覚える必要はなかったんですよ。
当時のBASICでも、掛け算九九を全部出力するのにFor Nextルーチンで数十秒程度で終了する。
画面をスクロールさせなければ一瞬の作業。
少なくとも私には、わざわざ九九を覚える必要はなかった。
その代わり三次元座標を回転させるための三角関数の複合方程式や、撃った弾の自由落下シミュレーションをコンピュータ上で再現したり、小学生が全く覚える必要がない一十百千万億兆京…那由多不可思議無量大数といった命数法を覚えるほうが面白かった。
十進数と16進数と2進数を脳内で計算するとかは得意だった。
今考えれば、一般教員の認知を超えていたとは思うけれど。
繰り返していれば何でも覚えられるとか、上達するとか思う人は、違う観点での根本的な解決方法を知らない。
別にベルトコンベアでの流れ作業工員を大量に作り出すためだったら構わないけれど。
自分の子供をそうしたいとは思わない。
ゲームを解くために繰り返して弱点を克服するとかは努力を惜しまなかったけれど。
聞くところによるとこういう地獄があるそうですよ。
賽の河原で石を積み重ね続けるという地獄。
ある程度積み重なったら鬼が壊してくれて、最初からやり直し。
それを永遠と繰り返すんですって。
そんなことを子供にさせるって、今ならもれなく「虐待」という罪状が付くでしょうに。
未だに運動系部活では、よくわからなくても繰り返せとかやってるみたいで、なんだかなぁ。
ベスト・キッドぐらい見なさいよとは思う。
目的のない繰り返しは拷問だということを学びなさいよ。