お笑い芸人のように、バカを演じ続ける、バカであると扱われ続けるというのは、生きることが大変で。
バカ=能力が低い=モラルがない
と認識されるため、重要な仕事を任せられない、収入を得る仕事を得られないなど、社会的な立場も低くなる。
バカなのに要職に就いてしまう、モラル欠如人間もいるけれど。
ジョーカーを観たけれど、見ていてしんどかったなぁ。
先日、お笑いトリオの一人がなくなったとの報道があり、その報道の扱いについて議論があった。
自死?だったのか、しっかり確認はしていない。
バカにされながら生きるというのは、非常に生きづらいものですよ。
他人からも、自分からも、常に否定され続ける。
自己の尊厳も、自己肯定感も下がる。
YouTubeなどの配信者も、バカであるかどうかはともかく、カリスマ性があるかどうかも重要で。
一日の貴重な時間を、その配信者のコンテンツを見るために割くというのは、それはもちろん嫌いであれば連続しては見ない。
一時の好奇心で再生数が伸びることはあっても、長い期間、別のコンテンツにも視聴者が付くのは、カリスマ性という魅力があるためで。
知名度の高いVTuberが、メンタル不全や体調不良で休んだり、辞めたりするのは、そのような心理状態なのかもしれないと思っている。
基本的に彼ら、彼女らは長い下積みを経て、表舞台に出るための修行をしてきたわけではない。そんな人は多くないけれど。
ほとんどの人と同じく、バカにされれば傷つくし、社会に不要だとか、悪だとか、生きている意味が無いとか言われれば、死にたいぐらい落ち込む。
そうならないように、評価されるよう毎日配信し続けるけれど、更にミスを重ね、自己肯定感を下げて、自分を傷つける。
そんな負のスパイラルが起こる。
お笑い芸人でも、そのようなカリスマがあるからこそ政治家になる人もいる。
文化人となる人もいる。
特別であり続けるというのは、少数派であり立場が弱い。
攻撃に耐えようと思えば、攻撃する人を馬鹿にするとか、無頓着になるとか、別の達成価値を見つけて邁進するとか。
落ち込むんですよ。当たり前にね。