消費者レベルを超えないクリエーターもいますが。
私などは芸術に関してはド素人のレベルですが、科学技術に関しては相当なレベルにはいますよ。
培ってきた基礎技術は多岐にわたりますからね。
複数の力が複雑にかかる構造体の変形強度予測とか、多変数のビックデータ整理とか、図面を書き続けた上での幾何学的図形処理能力とか、小さな複数のプログラムから大きなプログラムを作り上げる能力とか、そういった地道なテクニックの積み重ねでは他を圧倒する自信はあるのですよ。
それでも毎日まだ足りないなと精進し続けてしまうものだから、よりニッチなテクニック向上をしてしまいます。
そしてさらに知識技術の裾野を広げていってしまう。
一生勉強ですよね。
一般消費者の意見は、その視野の狭さで、
「広範囲の他の価値観ではそれは成り立たないよ」
というツッコミはよくあってですね。
最近多いのはSNSでのツッコミ。
実際はツッコまないのですが。
キリがない。
Twitterで広範囲なすべての価値観で判断できる量の論説や検証は不可能で。
だから単因子の極論ぽくなってしまう。
限られた文字数で論文のような複雑な現象を論じることは不可能だと思います。
連投すればできないことはないけれど。
同様にFacebookも長文を書けるけれど、編集機能はそんなに良くはない。
引用や誤記修正とかしづらいんです。
てにをはチェックも。
従ってブログを書くというスタイルに落ち着くのです。
YouTubeのコメントも熟慮しないので内容が薄くなる。
いちいち感情逆撫でコメントを拾って対応しきれないとも思う。
クリエーターほど考えてコメントする人はそんなにいないし、当該クリエーター以上の水準を持つ人はコメントできないですよ。
勉強するために消費しているから。
下手にアドバイスできなくもなる。
自分のやり方が正解とも限らないと知ってしまうから。
それでも原理原則を逆に行ったり、そもそもの重要なポリシーが矛盾したりすれば、物事は成立しないことはわかる。
しかしながらそれはなかなか指摘しづらい内容でもあったりするんだよなぁ。