落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(132)

2013-11-10 10:00:04 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(132)
「美和子を待ち構えていたのは、自作のCD、夜の糸ぐるま」




 貞園が前橋の駅の近くで、美和子を助手席へ乗せたまま車を停めます。
携帯電話を取り出し、慣れた口調で電話をかけ始めました。


 「赤いBMWの貞園です。すこし早めに約束の場所へ到着をしてしまいました。
 はい。となりに座っている妊婦さんの様子なら、とても元気を保っています。
 あと5分くらいで到着ですね、了解いたしました。このままここで待機しています。
 はい。ではのちほど。ごきげんよう」

 「ねぇ。親しそうにお話をしていたけど、電話の相手はいったい誰なの?。貞ちゃん」


 「あんたの、身元引受人」

 「あたしの身元引受人?。どういう意味なの、事情がまったく理解できません」



 「千佳子というもと暴走族で、今は康平のお母さんをしています。
 温泉から帰ったらどこにも連れて行かず、まず最優先で連れてきてくださいと頼まれています。
 あなたの身元と、お腹の赤ん坊も、まとめて引き受けてくださるそうです。
 まもなくあなたを引取るため、もう少しでここへやって来ます」


 「そんなぁ・・・。あまりにも突然すぎる話で、気持ちが動転しています。
 だいいち康平とはなんの話もしていないし、約束もできていない状態だもの。
 離婚だってこのあいだ、ようやく成立をしたばかりなのよ。
 あと2ヶ月でこの子も生まれてくるというし、何がなんだかわからない展開ばかりです。
 いきなり康平のお母さんと行き会うなんて、どうすればいいのさ、あたしは・・・・」



 「あんただって、まもなくお母さんになるんじゃないの。
 向こうだって一人しか産んでいない母親だし、美和子だってこれから一人の子持ちになるんだもの。
 数字的にはまったく互角の勝負です。これ以上ジタバタしないでしっかり覚悟を決めなさい。
 きっと悪くない話に、たぶんなるはずです・・・・うふふふ」


 「なに、訳のわかんないことを言ってんの、貞ちゃんたら。そういう問題ではないでしょう。
 あ、あら、あの車かしら。あのハイブリッドのなんとかという車?」


 反対側の車線へ、ゆっくりと白いハイブリッド・カーが停ります。
運転席から現れた千佳子が、貞園へ手を振ってから車道を横切り、助手席へ近づいてきます。
『ほら来ました、噂の千佳子が。もう覚悟をしっかり決めるのよ、あなたのお義母さんになる人だから』
小声で囁やいている貞園が、千佳子に応えて先程から軽く手を振り返しています。



 「こんにちは。美和子ちゃんね。康平の母で千佳子です
 あら~まぁ、ずいぶんと立派なお腹です。
 8ヶ月目に入ったと聞いていますが、順調ですか、お腹の赤ちゃんの様子は?」


 「はい。おかげさまで順調そのものです。
 あっ、はじめまして。美和子といいます。康平さんとは・・・・」



 「よく知っています。細かい話はあとにして、慎重に助手席から降りてくださいな。
 この赤い車は走るのには低重心で快適だけど、乗り降りするには座席が低すぎて妊婦さんは大変です。
 ほら。手を貸してあげますから、ゆっくりと足から出して、降りておいで」

 「あ。はい・・・・」


 ドギマギしながらも、ようやくのことで美和子が助手席から車外へ出ます。
『ありがとうね貞ちゃん。面倒をかけました。またあとで走りに行こうね、これはいい車だもの』
と千佳子が、運転席の貞園へ微笑みかけます。


 「お約束通り妊婦さんは、温泉でしっかりと静養をさせてまいりました。
 念願の温泉旅行を堪能しましたので妊婦さんもあとは、元気で丈夫な赤ちゃんを産むだけだと思います。
 また遊びに行きますので、赤城山を最速で走るコツなどを私に教えてください。
 じゃね、美和ちゃん。またあとで~逢いましょう、バイバイ~」


 戸惑ったままの美和子を残し、貞園の真っ赤なBMWが悠然と立ち去っていきます。
『妊婦が広すぎるここの道路を横切るのは大変だ。車を回してくるから、あんたはここにいるんだよ』
そう言い残した千佳子が、道路を急ぎ足で横切り自分の車へ戻っていきます。
急展開に動き始めた場面の連続に、美和子は戸惑いを覚えたまま、いまだに狼狽えています。
康平の母はそんな美和子をいたわりながら、ハイブリッドカーの助手席へ乗り込ませます。


 「お母さん。これっていったい・・・・」


 どういう意味なのですかと聞こうとした矢先、千佳子が一枚のCDを美和子へ手渡してきます。
『聞いてご覧。いい歌だから』と千佳子が微笑みます。
腑に落ちない表情を見せたまま、言われた通りに美和子が、CDを挿入します。
耳慣れた前奏が流れてきた瞬間、美和子がはっとして思わず体を固くしてしまいます。





 小指に絡む 絹糸は 二人を結んで切れた糸
 根よりの松さえ寄り添うものを ああ 切ない ここは前橋、恋のまち

 むなしく廻る 糸ぐるま 白衣の眼にさえひとすじの
 涙で散ります面影もみじ ああ わびしい ここは高崎、ネオンまち

 夜霧に濡れる 乱れ帯 せつない逢瀬の綾織も
 こらえて流した渡良瀬川に ああ 別れの ここは桐生、霧のまち

 憾みはしない 恋絣 離れた愛なら紬ます 
 届かぬ想いをお酒にすがる ああ 酔えない ここは伊勢崎 なみだまち

 榛名の空に 六連星(むつらぼし) 哀しい運命(さだめ)のもつれ糸
 嘘とは知りつつ明かした夜の ああ 想い出 ここは渋川 未練まち



 「いい歌だろう。そう思うだろう、あんたも。
 この曲は康平から『母さん、聞いてくれよ』とポンとなにげなく渡されたものだ。
 珍しいこともあるもんだと、受け取って聞いた次の瞬間から、大のお気に入りに変わった曲さ。
 康平に聞いたら、『知り合いの女の子が歌っているんだ』と言うだけであとは、知らんぷりだ。
 どんな子が詞を書いて、どんな子が歌っているのか、そりゃあ興味が湧いたわよ。
 しばらくしてから、となり村のあんんたのことだとわかったとき、そりゃあ、びっくりした。
 でもね、嬉しいよねぇ。もうCDじゃなくて、本物でこの歌が聞けるんだ。
 私にしてみれば、今世紀最高の楽しい出来事さ」


 「あのう・・・・お母さん、」


 「あんたの身元を引き受うけるのは、この私だ。
 お腹の中の赤ん坊の身元引受人も、同じくこの私だ。
 あんたの実家へ顔を出したいというのなら、私の家から好きな時に通えばいい。
 ひとつ山を越しただけの隣り村の集落だ。運動がてらに歩いたって行ける距離だもの」


 「あのう、お母さん。まだ康平さんからは何ひとつ聞いていません・・・・」


 「私が好きに勝手にすすめていることさ。康平にはまったく関係がないことだ。
 私が面倒を見るというんだから、遠慮をしないで私の所へ転がり込んでくればいいさ。
 なんだい、その不服そうなその顔は。なにか問題でもあるのかい?」

 「あ、いいえ。でも、あの、その・・・・」



 しどろもどろで当惑したままの美和子を乗せた千佳子のハイブリッドカーは、
前橋の市街地を抜け、赤城山麓のゆるい傾斜地帯へ差し掛かります。
軽くアクセルが踏み込まれた車体は、身重の美和子を乗せたまま、最初の高台で御神木のように
高くそびえている一ノ瀬の大木を目指して、すこしきつくなってきた勾配の道を
すこぶる元気に登り始めました。


   ※ 引用をした楽曲、『夜の糸ぐるま』
 (歌:いしだけいこ 作詞:菊池清明 作曲:千木良正明)





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