落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (4)

2013-11-24 10:36:52 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (4)第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・酔うと、目の周りに色香が漂う清子




 それからの清子は膨れた顔を見せたまま、一向に口を開こうとしません。
黙って差し出してきた器へ、なみなみと酒を注ぎ足すと間髪を入れずあおるようにして呑み干してしまいます。
ほっと小さなため息を吐いて見せたものの、器へ目線を落としたままふたたび動作を止めてしまいます。
怒ったときの時の清子は梃子でも動きません。俊彦が先にしびれを切らしてしまいます。


 『切り捨てられたら俺がたまらない。言いすぎたようだ、謝るよ』
まずは仲直りのしるしに、もう一杯だけ飲めと俊彦がよく冷えた青竹を、清子の目の前に持ち上げます。
潮時と読み『はい』と微笑んだ清子が、半分だけにしてくださいなと鼻にかかった声で甘えます。


 「彼という言葉は私の軽はずみすぎる失言でした。誤解されてもいた仕方ありません。
 訂正をいたしますので、もう、そんな目で私を見つめないでくださいな」

 
 清子の切れ長の目の縁(ふち)が、ほんのりとした桜色に変わってきました。
あまり酒に強くないくせに、清子は何故か日本酒ばかりを好みます。
酔うと眼の周りには、妖艶な艶が漂よいはじめます。
『内に秘めた色香が、そのまま眼の中に出る』とささやかれるほど艶やかに、瞳までが潤ってきます。
ホロ酔い加減の風情が何とも堪らないと、常連さん達からおおいに評判を呼び、そのことがまた
舞いの華麗さと共に、お座敷で人気を独り占めにしてきた由縁です。



 「あの方と言い直します。
 あの方は15の時からの、私の大切なご贔屓(ひいき)さんのおひとりです。
 パトロンを持たない独り身の芸者にとって、裕福なご贔屓さんを持つことは暮らしぶりの生命線です。
 知っての通り芸者というものは、舞いや謡(うたい)鳴り物のお稽古などから始まり、お茶やお花、
 衣装代などを含めて、大変な額の経費を必要といたします。
 それゆえに後見人という名のもと、暗黙に男女の秘めた仲という形をとりながら、
 経費のすべてを提供してくれるという花柳界のしきたりが、パトロンと呼ばれる旦那様の制度です。
 ふふふ。ねぇ、ホントはいまだ妬いるんでしょ。あなたの本心は。
 芸以外に身体まで許しただろうなんて、下衆(げす)に勘ぐっていますねぇ、あなたのその目は。
 あら、やだ。・・・・何なのさ、その相槌は。やっぱりまだわたしのことを疑っていますね。
 見かけによらず、疑り深い人ですねぇ、あなたっていう人は」



 青竹を手にした清子が、酒を注ぐ動きを一瞬のあいだ止めてみせます。
『あなたには前科がありますが、私はいまだに、ひたすら純潔を守っています』うふふと、
いまさら思い出したかように、清子が笑いはじめてしまいます。
拗ねた時の清子が、逆襲のための材料として折に触れて持ち出すのが、俊彦が電撃的に結婚したときの話です。
足の怪我のために房総から戻り、桐生の繁華街で蕎麦屋を立ち上げた俊彦が、ほどなくして、
なんの前触れもないまま、同級生の一人と突然所帯を持ったことがあります。


 結果的に、わずか1年足らずで離縁に至りますが、周囲の親しい人間たちは、
2人が結婚するまでのいきさつも、別れる時の理由もまったく窺い知る機会がないままに、
結果として、ひと組の男女が破綻をしたという事実だけを知ることになります。
俊彦自身もそうした経緯について今だに、何ひとつとして詳細を語ろうとはしません。
硬く貝のように口を閉ざしたまま、『もう、すべてが済んだことだ』と寂しく笑うだけです。


 「芸者も駆け出しで、見習いのうちは着物やお稽古代、生活費まで含めたすべてを、
 身元引き請け人である置屋のお母さんが、面倒を見てくれます。
 5年あまりの年季奉公があけ、ようやく独立したばかりのわたしは、とにもかくにも厄介者でした。
 なにしろ、21歳になったばかりだと言うのに、頑として父親の名前をあかさないまま、
 響(ひびき)という女の子を持つ、子持ちの芸者になってしまったからです。
 いくらバブルの前夜で景気が良かった時代とはいえ、21歳で子持ちになった芸者に
 手を出そうというパトロンは、界隈にはおりません。
 それでも中には物好きな方がいて、子持ちでも構わないからと、いくつかお話が舞い込んでまいりましたが、
 どちらも丁寧に、こちらから辞退をさせていただきました」



 「響(ひびき)を抱えたままの芸者家業か。大変だったろう」



 「響がいることを知っていたのは、置屋のお母さんと伴久ホテルの当時の若女将。
 あなたの同級生で任侠稼業の岡本さんに、急逝をしてしまった宇都宮のやり手社長の、4人だけ。
 あとの皆様は、風の噂などでそれとなく耳にされているだけです。
 真相も実態も闇の中で、子持ちだと見破られたことは一度としてありません。
 だいいち父親であるあなたでさえ、響が24歳の時に行き合うまで、まったく気がつかなかったくせに。
 あの子が家出なんかしなければ、一生隠し通せたのに、実に残念なことをいたしました」


 「おいおい。まるで俺が君の邪魔をしているような口ぶりだ」


 「響を、24歳まで育てたのは私です。
 突然、桐生の街で鉢合わせをするまでは、自分に娘がいることさえ知らなかったくせに。
 自分の娘だとわかった瞬間から、とたんに態度を変えて甘えさせてしまうのだもの。
 損をしてしまうのは、今まで育ててきた母親だけです」


 俊彦は黙って、ただ苦笑するしかありません。
押し黙ったまま差し出す青竹の器に、トクトクと音を立てながら青竹の酒が注がれていきます。



 「たしかに、その事実を知ったとき俺も正直言って驚いた。だが、嬉しくもあった。
 あの当時、伴久ホテルの若女将が毎日、俺の目の前であの子を遊ばせていたという理由がやっとわかった。
 房総で怪我をして湯西川で静養をしていた時のことだから、ちょうど響が3歳になったばかりだ。
 かわいい女の子だと思って見ていたが、まさかそれが俺の子供とは・・・・全く気がつかずにいた。
 一番可愛い盛りの時期の響に、若女将が内緒のまま俺に会わせてくれたんだ。
 女将の粋な計らいぶりには、今でも、心からの感謝をしている」


 「感謝をするのならこの私でしょう。
 まったく。この人ったらトンチンカンにも、ほどがあります。
 母ひとり、娘1人で一生を仲良く暮らすハズだったのに、あの子ったら突然家出なんかするんだもの。
 おかげであなたに半分以上も、美味しいところを盗られてしまいました。
 あんたに会ったせいで、原発になんかに興味を持ちはじめるし、被災地の福島や岩手では飽き足らず、
 敦賀原発がある若狭湾へ行ったきりで、何が気にいったのか何時まで待ってもあの子はここへ帰ってきません。
 つまんないわね、やっぱり。子供に見捨てられた母親は」


 「ずいぶんご機嫌斜めだね。やっぱり変だな、今日の君は」



 「変でなければ45歳で、女としていちばん油の乗り切った時期に、芸者を引退なんかいたしません。
 ふん。なにさ。やっぱり大嫌いです。なんにも気がつかない唐変木のあんたなんか!」


 せっかく機嫌を直しかけた矢先だというのに、清子がいきなりぷいと横を向いてしまいます。
形の良い唇を尖らせ、『知りません、もう』とばかりに、また膨れてしまいました。




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『ひいらぎの宿』(3)

2013-11-23 10:54:40 | 現代小説
『ひいらぎの宿』(3) 第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・別館『嬉野(うれしの)』と、はかない出来事




 別館の特別室、『嬉野(うれしの)』の間から見下ろす、平家の落人集落は
見わたすかぎりの銀世界の下、比較的早い時間帯だというのにひっそりとして静まりかえっています。
1時間あまりでかまくらと氷のぼんぼりの道の散策を切り上げた二人が、伴久ホテルのロビーへ
姿を見せた瞬間、(待ちかまえていた)女将がフロントから立ち上がります。
バーへ案内をすると思いきや、予想に反し、女将は別館へ続く通路を先に立って歩き始めてしまいます。
『あわててお部屋へ行かなくても・・・』と渋る清子へ、女将が『はい』と電子カードを手渡します。


 「いまどきのお部屋は、電子ロックで管理されています。
 お部屋にはお祝い用の特別料理と、清子の好きな『凍結青竹酒』を準備しておきました。
 バーでゆっくりとしていたら、アッというまに特製のおすすめ品が溶けてしまいます。
 それから・・・・恋するあなたたちに、時間などはいくら有っても足りないでしょう」


 それだけ言うとくるりと背を向け、女将は立ち去ってしまいます。
別館は、それぞれの部屋ごとに内風呂が設置されています。
2つだけ作られた特別室にはテラスの中に、もうひとつの露天風呂が用意されています。
贅を極めた内装とともに落ち着いた雰囲気を醸し出しているこの空間の広さが、別館の持つクオリティです。
特別室がある3階に、人の気配はまったくありません。
浴衣1枚で歩けるほど温かな廊下と部屋の様子は、この地が真冬であることを忘れさせてしまいます。



 「儚(はかな)いと、心から思える出来事がつい最近に起こりました」


 キンキンに冷えた青竹の冷酒を器へ注ぎながら、清子がポツリと語り始めます。
『長いあいだ贔屓(ひいき)にしていただいた常連客の、思いがけない通夜という出来事です』
と、遠い目を見せながら述懐をします。


 「常連さんは、60代の半ばになったばかりです。
 私が15歳でこの湯西川へやって来た時から、なにかにつけお世話になってまいりました。
 毎年、雪が深くなる今頃に『雪見酒を飲みに来たぞと』言いながら、同級生の皆様とやってまいります。
 年間を通じ、度々接待などで湯西川を訪れますが、毎度のこととして必ず私を指名してくれました。
 今年も1月の初めにいつものようにやってきて、いつものように楽しい時間などを過ごしました。
 お座敷も終わり、『ありがとうございます』とその日に限り、泊まらずに帰るということで
 さして気にもせず、笑顔でホテルの玄関先でお見送りをいたしました。
 ところが、一晩が過ぎた次の日のお昼頃。急に亡くなりましたという連絡が
 私の元へ届きました。おそらく、突発性の心筋梗塞だろうというお話です」


 「凍結青竹酒」は、お酒もその器となる青竹も、ともにキンキンになるまで冷やし、
氷の桶に入れた形のまま、特別な宴席などに供されます。
見た目も風流ですが、辛口の日本酒を口当たり良くするための工夫が心地よいために、
こうして真冬でも同じような形で、特別なときにだけ部屋に提供されています。


 「あれほど上機嫌に、楽しくお酒を召し上がった人が、
 たった一晩が過ぎただけで、次の日のお昼にはもう、ものを言わぬ人に変わってしまいました。
 人の命がこれほどまでに儚いものであることを、初めて知る機会になりました」


 「人の夢とかいて、はかないと読ませる。
 まさにその典型のひとつといえるような、はかなすぎる人の寿命の話だ。
 その儚すぎるという出来事が、30周年で勇退を決めるきっかけになったのかい?」


 「いいえ。私はもともとから、芸者を生涯にわたって続ける決意でおりました。
 でもね。いまとなっては最後になってしまったその雪見の宴の席上で、
 その方が上機嫌で、私に何度もこう言うの。
 『女は華があるうちが一番だ。惜しまれてこそ散り際に華というものがある。
 お前さんみたいに良い女が、女を封印したまま、このまま朽ち果ててしまってなんとする。
 初めて見た時からもう30年が経ったが、いまだにお前さんは昔のままに器量よしだ。
 だが、それももう、ここらあたりが潮時になるだろう。
 清ちゃんよぉ。俺の目から見ても今のお前さんは、脂が乗り切っていてたぶん今が、
 女の華ってやつが、満開に咲き誇っている時期だ。
 そいつを過ぎてしまうと、人生にはよく有りがちな急な下り坂ってやつが待っている。
 独り娘の響(ひびき)も無事に育て上げたんだ。衰退傾向ばかりが続いている芸者稼業には
 いい加減で見切りをつけ、好きな男でもいたら、いまからでもそいつと暮らしたらどうだ。
 そこらへんの何もない若いコンパニオンたちと一緒になり、酌婦代わりに宴会に出て
 小銭などを稼いでいても拉致があかないだろう。
 芸歴30年をほこる堂々たる芸者だが、よく見れば、45歳になったばかりの生身の女だ。
 華があるうちに引退をしちまえ。引退しちまえばギリギリどっかで女の華が咲く。あっはっは』って。
 あたしの顔を見ながら真顔で何度も、何度も、そんな話ばかりを繰り返すの。
 まるで今となっては、あたしへの遺言になってしまいました・・・」


 ゆっくりと顔を上げた清子が、伏し目の下から俊彦を見つめてきます。
『芸者を勇退しようと決めた理由はそれだけではありません。聞いてくれますか?。その先も』
と、その目が俊彦へ問いかけています。
答える代わりに俊彦が『お代わり』とひと言つぶやき、空の器を持ち上げます。



 「まずは言いかけた、儚いお話の続きから片付けます。
 私が急逝の連絡をいただいたのが、お昼の少し前のことです。
 その足のまま急いで宇都宮へ向かいましたが、事故以外の可能性も考えられるいうことで、
 その日は警察へ安置されたままで、家族以外は一切合わせてもらえません。
 ようやくお顔を拝見させてもらえたのは、司法解剖を終えた翌日の3時過ぎのことです。
 安らかなお顔を見た瞬間、これが間違いや悪い夢ではないことを、つくずくと実感してしまいました」


 「事故以外の疑いが有る?。ということは、自宅以外で亡くなったか、
 あるいは死因に、何か別の不審な点があったという意味か?」

 
 「集合場所へは、いつものようにご自分の車で行かれたそうです。
 いつもなら彼が運転をする車で湯西川温泉まで、みなさまを乗せてやってまいります。
 今回に限り宿泊を予定していないため、知人の女性が、別の車を用意してくれたそうです」

 「君に、お別れだけを言うためにやってきたような、そんな雰囲気があるね」

 「まさに、その通りの結果になってしまいました」

 「たったいま彼と言ったよね。親密な関係だったのかな、その彼とは」



 「殴りますよ、あなた。
 たった一度だけ彼と表現をしただけでいきなり過剰に、反応などをし過ぎです。
 ・・・・もしかしたら、その方がパトロンとでも思いこんだのかしら。あなたは。
 たしかに湯西川の芸者は芸に精進をすることと、情が深いことで世間に知られています。
 ですが芸は売りますが身体は一切売りません。それもまた、湯西川芸者の誇りです」


 
 切れ長の清子の目に、怒りを含んだような青い光りが宿ります。
『切り捨てますよ』と言わんばかりの鋭い清子の視線が、真正面から俊彦へ飛んできました。




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『ひいらぎの宿』 (2)

2013-11-22 11:07:51 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (2)第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・角巻きと、着物の上に羽織る洋物のコート



 
 1月の半ばを過ぎると、湯西川温泉の積雪は50センチを越えます。
かまくら祭り会場へ向かう道の両脇には、今年もまたバージョンアップが施された、
青い光のイルミネーションが雪道を照らし出しています。
白い息を吐きながら雪化粧の『葛(かずら)の橋』を渡ってきた伴久ホテルの女将が、
俊彦との久しぶりの再会に、思わず目を細めています。



 「斬新ですしお洒落ですねぇ。今日の女将さんのいでたちは。
 和装コートの『道行』ではなく、洋物のコートで足元にブーツを履きこなすとは、
 新鮮だし、驚くほど似合っています」



 「全部、清子からの入れ知恵です。
 清子も私も仕事がら、一年を通じて着物で過ごしております。
 雪の降る今頃からの外出が、ひと苦労いたします。
 これ(洋物のコート)の内側は暖たかな素材ですから、ぬくぬくといたします。
 外側に雪がついても、つるりとすべり落ちてくれますからその点でも重宝をします。
 手軽に、丸洗いなどもできますから、扱いも苦になりません。
 男性用のコートには和洋兼用などのものもありますが、婦人物にはなぜかそれがありません。
 雪の日に着物で外出するのに億劫な思いをしてきましたが、清子のおかげで
 たいへん楽になりました。
 ねぇ、清子や。もう、いい加減で背中から出てきなさい。
 俊彦さんも、ご迷惑です、」


 立ち話をはじめてしまった女将の様子に、ようやく覚悟をきめたのか、
少しだけ顔を赤らめた清子が、角巻からひょっこりと半分だけ顔を見せます。



 「まったく、この子ったら。
 いまさら発情期の子猫じゃあるまいし、イチャイチャするのも大概になさい。
 本日の予定されたお座敷も、お前の希望通り全てキャンセルをいたしましたから安心しなさい。
 これでもうお前も気兼ねなく、休日を満喫できると思います。
 そのかわりと言ってはなんですが、もうすこし慎み深く行動などをしなさい。
 なんですか。16や17の小娘じゃあるまいし、見ている私のほうが恥ずかしくて顔が火照ってしまいます。
 いい歳をして恥ずかしくないのかしら。この子ったら。・・・うふふ」


 「あらまぁ。誰かと思えば、伴久ホテルの女将さん。
 上手に隠れたつもりなのになんでバレてしまったのかしら。変ですねぇ」


 「頭は隠したようですが、お尻が見えたままです、お前。
 こんな雪の日に、角巻なんかを羽織って外出をするのは、湯西川広しといえども、
 私が知っている限り、芸者をしてきた清子だけだと思います。
 俊彦さん。お二人での散策などが済みましたら、ホテルのバーへ顔を出してください。
 清子の芸者生活30周年の記念と、勇退のお祝いを同時に差し上げる予定ですから、
 是非ともお忘れなどのないように。では後ほどに、ごきげんよう」


 「勇退?。え・・・清子が、芸者を引退すると言うのですか?」



 「あら、まぁ。言っていないのかしら、この子ったら。
 ははぁ・・・・トシさんをびっくりさせるつもりで突然呼び寄せましたね、この子は。
 この一週間、この子のおかげで湯西川は上へ下への大騒ぎです。
 予約の入っていたお座敷は、立てつづけにキャンセルするし、何やら下見に行くということで
 3日間も姿をくらしてしまいます。
 どうしたことかと温泉の関係者一同で心配をしていたら、今頃になり
 悠々とトシさんと2人で相合い傘で現われます。
 公衆の面前だというのに、濡れ場まで演じる始末に、まったく呆れてものが言えません。
 たっぷり叱ってあげます。2時間経ったらホテルへ顔をだしなさい。
 わかりましたね、清子」


 「はい。承知しました女将さん。でも・・・なぜ2時間後なのでしょう?」

 
 「昔から、2時間と決まっておりました。男女が使うラブホテルでは。
 ただし湯西川で一番の売れっ子のお前さんは、いくら素顔のままとはいえ簡単に
 男と2人でホテルなどへは入れないでしょう。
 だいいち、明日の夜にお部屋をひとつ用意しておいてくださいと、みんなの心配をよそに、
 涼しい声で勝手な電話をあたしにかけてきたのは、他ならぬあなたのほうでしょう。
 いつものように別館『嬉野』を用意しておきましたから、通りすがりの観光客のような顔をして、
 そのあたりの風情などを楽しんできてください。
 この寒さです。いくらお熱い二人とはいえ、2時間も表を歩けば限度でしょう。
 あら。・・・・結局のところあたしったら、おふたりにヤキモチなどを妬いております。
 では、あらためましてごきげんよう。のちほど会いましょう、俊彦さん。清子」



 くるりと背を向けた女将が、傘を傾けながらぼんぼりの道を下っていきます。



 「うふ。2時間の執行猶予をいただきました。
 3度目の正直と申しますが、別館『嬉野(うれしの)』は、私たちに因果の深いお部屋です。
 1度目は、響(ひびき)が生まれる7ヶ月ほど前のこと。
 私の方からあなたへ、理由も告げずに、いきなり別離を告げたときのことです。
 2度目は、あなたの足の治療のために房総から連れ戻した時のことです。
 あのときあなたが出会った私の響は、3歳児になったばかりの、とても可愛い盛りです。
 ・・・そして、3度目の正直となるのが今夜です。
 この春で芸者を卒業してしまう清子が、本気であなたへ愛を告白をする記念日です。
 あなたを見初めてから30年。一人娘の響がうまれてから25年。
 念願の告白の日が、本当に私の目の前にやってこようとしています。
 わかるでしょう?、あなたにも。私が、どんな思いでワクワクとしているか・・・・
 たぎりはじめてしまった女の血は、もう、どなたにも止めることなど出来ません。うふっ」


 いつもの清子の切れ長の美しい目が、真正面から熱く俊彦を見つめてきます。





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『ひいらぎの宿』(1)

2013-11-21 10:38:29 | 現代小説
『ひいらぎの宿』(1) 第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・氷のぼんぼり・かまくら祭り




 『光輝く氷のぼんぼりと、かまくら祭り』は、
毎年1月の下旬から約1か月間にわたり、湯西川温泉で繰り広げられる冬の風物詩のひとつです。
大小様々なかまくらが、温泉街のメインの通りに賑やかに建ち並びます。
1000個を超える高さ30センチあまりの氷のぼんぼりが、日暮れとともに淡く灯されていくと、
山あいにある落人伝説の湯の郷が、幻想的なまでに浮かび上がってきます。


 静かに舞い続ける細かい雪は、日が暮れても鎮まる気配をみせません。
ぼんぼりの淡い光の連なりが2人の歩む足元を、かすかに静かに照らし出していきます。
傘を傾け積もった雪を払い落とした清子が、ついでとばかり俊彦へそっと肩などを寄せてきます。



 「他人が見たら、ワケアリの2人だと絶対に誤解をする。お前、くっつき過ぎだ」


 「誤解をされて困る歳でもないし。幸いなことに周りを見回しても人の姿などは見えません。
 このまま傘に隠れて口づけなどをしましても、たぶん闇に紛れてどなたからも見えないと思います。
 うふふふ。変ですねぇ、あたしったら。勝手にウキウキしっぱなしで。
 今からあなたを誘惑をして、いったいこの先でどういうことになるのかしら。
 うふふ、楽しみで仕方がありません」


 『いいから来て。今年はどうしても氷祭りにやって来てください。大切なお話もありますから』
と、一方的に清子から呼び出され、俊彦がやっとの思いで雪の湯西川温泉へ到着をしたのは、
日が暮れるすこしばかり前のことです。



 「滑りどめのチェーンを巻いたが、それでもやはり、何度か山道では滑った。
 まったくなぁ。真冬にお前さんに会いに来るには、いつものことながら命懸けだ」

 
 「そう言わないの。でもその命懸けのドライブも、それも今回で終わりになります。
 でも嬉しいな。たった一本電話をあなたにかけただけで、
 何も言わずにこの雪の中を、わたしのために飛んできてくれるんだもの。
 あなたのその熱い気持ちでこの雪が溶けてしまったら、もっと素敵なのに。うふふ」


 「大丈夫か。熱でもあるんじゃないか、清子。
 さっきから少しおかしいぜ。いつも以上にベタベタと俺にまとわりついてくるし、
 なんだか色香までが必要以上に、俺の周りでムンムンと漂ってくる。
 何か特別な問題でも発生したのかい?。
 どうにも気分が入れ込み過ぎているようだ。まったく。どこかの発情期の小娘じゃあるまいし」



 「仔細については、のちほどにゆっくりとお話などいたします。
 そんなことよりも、せっかくですもの恋人気分などを、もっと満喫いたしましょう。
 あ、あら・・・・まずい。俊彦。ちょっと背中を貸してね」


 たくし上げた角巻を清子がそのまますっぽりと頭から被り、残りの部分を
素早く俊彦に羽織らせます。本人はそのまま、するりと俊彦の背中へ消えてしまいます。
角巻は、北海道や東北地方の女性たちが、外出するときに身にまとう防寒着です。
大きめの四角い毛織物で、三角に折り背中から羽織るように着用をする冬の必需品です。


 ショールと異なり、すっぽりと体が収まるくらいの大きさのものです。
色合いも茶や赤、紺などと様々で、四角形のふちに房がついていて歩くとさらさらと揺れます。
角巻は明治の初期、開拓民たちの歴史と共に始まり、昭和30年代にその役割を終えています。
厳寒地方特有の冬の風物詩のひとつですが、和服の衰退とともに姿を消しはじめたと言われています。
こうした角巻の存在を知っているのは50歳代以上と言われ、今を生きる雪国の若い人たちには
まったく無縁ともいえる、昭和期の伝統衣装のひとつです。



 「ごきげんよう」。傘の下から顔を見せたのは、老舗の伴久ホテルの女将です。
洋装用と思えるコートなどを羽織っています。単衣(ひとえ)でも暖かいというモーリークロスの
ヒネモスノタリという着物の裾からも、やはり洋物と思えるブーツの先端が覗いています。
洗える素材というその着物の裾は雪のために、やや短めに着付けられています。



 「あら、俊彦さんお一人ですか?
 おかしいですねぇ。遠目の様子では、お二人のようにも拝見をいたしましたが?」


 女将の涼しい目が、中途半端なままにモコモコと動きつづけている俊彦の
角巻の様子になぜかピタリとして、クギ付けになっています。






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からっ風と、繭の郷の子守唄(最終回)

2013-11-17 11:47:37 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(最終回)




 斜面を下っていく康平と美和子の目の前に、やがて一ノ瀬の大木が大きくそびえます。
風花を含んだどんよりとした灰色の雲が去り、ふたたび目の前に、関東平野の北端部が広がってきました。
苗を育てるために多くの枝が切り落とされ、ふた回り以上も小さくなってしまった一ノ瀬が、
それでも精一杯に枝を張り、相変わらずの勇姿で2人を見下ろしています。


 3000本の桑苗は、親を見上げるような形で北風の中で翻弄されています。
凍てついた黒い大地は、午後のこの時間帯になっても未だに解けず、朝からの霜柱を残したままです。
氷点下が続く連日の冷え込みに手助けされながら、霜はやがて畑の表層に氷の層を作ります。


 「女たち3人による2泊3日の温泉三昧は、結局、
 それぞれの男たちのもとへ戻ろうということで、いつのまにか結論が出てしまいました。
 貞ちゃんは、長年面倒を見てもらってきた設備会社社長の老後を、最後まで面倒見るそうです。
 彼が亡くなったらその時、台湾へ戻ると決めたそうです。
 千尋も、彼女を追って群馬までやってきた英太郎さんと、もう一度話し合いをもつそうです。
 2人とも、それぞれの男性のもとへ戻るということで、ほどよい結論などが出ましたが、
 離婚が成立をしてしまった私はどうするの、と不平などを言い出したら、
 2人で顔を見合わせて、とても愉快そうに、ただ『勝手にしなさい』と笑っていました」




 一ノ瀬の裸の梢を見上げて、美和子が立ち止まります。
 
  「私も、ここから見える景色が大好きです」



 関東平野の北端が広がる景色の中で、美和子が立ち止まります。
一ノ瀬の裸になった梢を揺らして、雪の気配を含んだ北風が強く吹き抜けていきます。


 「通学の電車の中で、いつも赤城山を見つめていたあなたの横顔が大好きでした。
 時々、盗み見るように私を見つめていた、あのまぶしそうなあなたの目も大好きでした。
 私が傷ついたときや、心が辛い時に、何も言わずにそっと見つめてくれていた、
 いつものあなたの瞳も大好きでした。
 今だから白状をしますが、ほんとはね。私のほうがあなたに一目惚れをしていました。
 今ぐらいしたたかな女なら、ちゃんとあなたにそれを伝えられたのに、
 青春の真っ最中だったあたしには、あなたをただ、見つめ返すことしかできませんでした。
 お互いに、肝心な1歩を踏み出せないままでいたことが、無駄な10年を作ってしまったようです。
 ねぇ。康平。お願いだからはっきりと聞かせて頂戴。
 他人の子供を、本当に、私と一緒に育ててくれるつもりなの?
 そんな女は大嫌いですと、すっぱりと言い放ってくれたほうが私の気持ちは楽になります。
 これから先も見つめていてくれるだけで、私は充分に幸せです。
 あなたが遠くから見つめていてくれるだけで、私はこの子と二人で元気に
 生きていくことが出来ます」



 「俺と暮らすのは、まっぴらだという風にも聞こえた」


 「馬鹿ね。先を急がないで、これからを生きていきましょうというお話です。
 この子があなたを、父親のようだと認めたら、私もその時点から一緒に住むことを考えます。
 康平。あなたの気持ちは、涙が出るほど嬉しい。
 10年間。ずっと私を見守ってくれていたことにも、あらためて感謝をしています。
 でもね。今の私には、この子を育てることが第一だしすべてなの。
 あなたのお母さんは、安心をしていつでも甘えにおいでよと私に言ってくれました。
 もちろん、あたしもよろこんで相談に伺うつもりです。
 子育てにいき詰まったら、いつでも相談に乗ってもらうつもりでいます。
 あら、なによ、そんな顔をして。あんたの悪い癖ね、行き詰まると直ぐ顔に出るんだもの・・・・
 そんなつまらない顔なんか見せないの。
 別れ話をしているわけではないでしょう、康平。
 会えるじゃないの、すぐにでも。あたしたちの家はすぐ近所だもの。
 この子のために子守唄を歌うけど、康平にも、ちゃんと歌ってあげますから。
 だから、疲れたら忘れずにあたしを思い出して、訪ねてきて。
 その昔。このあたりの集落には夜這いという、とても気の利いた風習などがあったと聞きました。
 男の人が親の目を盗み、こっそりと年頃になった女性の寝室に忍んでいくという、
 とても大らかな時代の、小洒落たしきたりです。
 年頃の娘を持った親たちは、表に面したお部屋にカギをかけずに、娘たちを寝かせるそうです。
 ときには何人もの男性が忍んでくることも、あったようです。
 子供が出来ると、父親に関しては女性の側から指名ができるというから、驚きです。
 父親が不明の場合でも、で責任をもって子供を育てたというから、これもまた驚きです。
 あたしも、カギをかけずに実家のお部屋で、この子と2人で寝ています。
 ねぇぇ。それならばあなたもなんとか、我慢などができるでしょ?。
 困らせないでよ、康平。ワガママばっかり言わないで」



 「夜這いかよ。ずいぶんと全近代的な言葉だね・・・・男の方から忍んで来いということか。
 そういえば、『村の娘と後家は若衆のもの』という、村落内で女たちを共有するという時代があったと聞いている。
 近代化以前の農村に、『若者組』という組織があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、
 夜這いに関しても一定のルールを設けていたそうだ。
 都会では廓や娼婦の制度があったが、田舎では夜這いの風習が有ったために
 そうした遊郭や娼婦などは必要なかったと言われている。
 男の方から訪ねていく古来日本の『妻問い婚』みたいなものか、それも悪くないか」



 「毎晩、鍵をかけずに康平のことを待ってます。うふふ。いやですねぇ・・・
 なんというお話を昼間からしているのかしら、あたしたちったら」


 西に傾いた太陽が、榛名山と妙義の山肌をオレンジ色に染め始めます。
長く尾を引き始めた山の影が、関東平野の最北端に日暮れが近いことを告げていきます。



 「情を織り成すのが縦の糸なら、喜怒哀楽を奏でるのは横の糸。
 糸に独特の風合いを生み出してくれるのは、義理人情と群馬の四季とこの風土かしら。
 そんな風にして生糸をひきはじめたのは、もう10数年も前のこと。
 二度と糸をひくことは無いと思っていたのに、康平がまた余計なことを始めてしまうのだもの。
 私は、生まれて育ったこの大地へ、子育てのためだけに戻ってこれただけでも充分だというのに、
 康平ったら、もう一度、私に糸をつむげと迫るんだもの・・・・困っちゃう、うふっ」


 「無理強いはしない。俺はただ、自分の夢をひたすらに追いかけていくだけのことだ」

 「生まれてくる娘にも座繰り糸を教えて、2人で並んで糸をひこうかしら。
 楽しいでしょうねぇ、もしも、そんなふうになれたなら・・・・」
 
 「え?。生まれてくるのは、女の子なのか。もしかして」



 「まだ、はっきりとはわかりません。
 エコー検査で、女の子かもしれませんと、お医者さんから言われただけの話です。
 あら。あなたは女の子でも別に構わないの?。後継の男の子を産まなくてもいいのかしら?」


 いつのまにかまた、二人が仲良く肩を並べて歩いています。
『風邪ひくなよ』ふわりと、康平が首に巻いていたショールを美和子へ回しかけます。



 「やっぱり妬けるなぁ・・・・千尋からのプレゼントでしょ、これ。
 ねぇ。ひとつだけ聞いてもいいかしら。京都から千尋を追ってあの英太郎くんがやって来なければ、
 あんたたちは、あのまま結ばれていたのかしら。もしかして」

 「そうなっていたとしたら、君は、いったいどうするつもりだったの」



 「それもまた人生の一つだと思います。別にどうこうありません。
 ただ普通に、お二人を祝福をして終わりにします。
 私はお腹のこの子と、既に生きていこうと決めていますので。あら。やっぱり構わないのよ。
 夜這いに来るのがそんなに嫌だというのなら、鍵をかけてさっさと眠ってしまうだけですから。
 女は平気なのよ。欲望なんかには決して左右をされないし、男が居なくも全然平気なの。
 その点、生理現象とやらでそのたんびに、右往左往している男たちは見るからに可哀想。
 男さえいなければ、女はいつだって、清く正しく生きられます。
 じゃあね、康平。いくら話し合っても平行線のままで時間の無駄のようですから、
 私はもう実家へ戻ります」



 くるりと向きを変えた美和子が、うふふと笑いながら意味深な流し目を見せます。
一ノ瀬の大木から麓へ下る道の途中には、心配をして顔を見せた千佳子の姿が有ります。
『寒くなってきたから、いい加減で戻ってらっしゃい~』と叫ぶ背後からまた、別の人影が現れます。
笑顔の千尋が顔を見せ、その両肩へ手を置くような形で長身の英太郎まで登場します。


 もう終わりかなと思って見ていると、ひょっこりと貞園までが姿を見せ、
少し遅れて、赤い顔をした同級生の五六までが現れます。
『なんだよ、いつのまにかのオールスターメンバーが勢揃いか。まるでこれから宴会でも
始まりそうな気配がしているなぁ・・』


 「お~い。おふたりさんよぉ。
 いい加減で、積もる話とラブシーンを打ち切って戻ってこいよ。みんなで一杯やろう!。
 早くしねぇと、徳次郎じいさんが一人で勝手に酔っ払って出来あがっちまう。
 英太郎と千尋の二人からも、なにやら耳寄りの報告が聞けそうだ。
 大人のお前さんたちは一向に構わねぇが、お腹の赤ん坊に、風邪をひかせたら大変だ。」

 
 (完)
 



 
 
 ・最後にあたり、少し残念なニュースをひとつ・

 2012年12月1日。地元紙の片隅に小さな記事が掲載されました。
「都道府県の施設として唯一、カイコの品種を体系的に保存をしている、群馬県蚕糸技術センター(前橋市)が、
生糸向けの新種開発から事実上撤退することが1日、明らかになった」とあります。


 国内における養蚕業が急激に縮小しているため、今後は既に開発した品種の維持と、
医薬品向けタンパク質の生産につながる遺伝子組み換え技術の研究に、主軸を移すと発表しています。
同センターは、品種の維持と開発に必要な「保存原種」、105品種あまりを飼育していますが
今後の3~4年をかけ、34品種にまで減らすことを決めました。
「ぐんま」など、県が独自に開発し普及している12品種と、天蚕(野性のカイコ)、
著しい特徴がある突然変異種などを除いて、残りは、すべて廃棄する予定だといいます。

 残念なニュースですが、これもまた、時代の流れの象徴だと思います。
絹の里の歴史と伝統が、こうした時代の試練を乗り越えながら、さらに後世へ生糸の技術と
絹の世界を伝えてくれることを切に期待をして、今回はこのあたりで筆を置きたいと思います。
最後までのご愛読、心からの感謝を申し上げます。

 2013年 1月18日 落合順平