落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(最終回)

2013-11-17 11:47:37 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(最終回)




 斜面を下っていく康平と美和子の目の前に、やがて一ノ瀬の大木が大きくそびえます。
風花を含んだどんよりとした灰色の雲が去り、ふたたび目の前に、関東平野の北端部が広がってきました。
苗を育てるために多くの枝が切り落とされ、ふた回り以上も小さくなってしまった一ノ瀬が、
それでも精一杯に枝を張り、相変わらずの勇姿で2人を見下ろしています。


 3000本の桑苗は、親を見上げるような形で北風の中で翻弄されています。
凍てついた黒い大地は、午後のこの時間帯になっても未だに解けず、朝からの霜柱を残したままです。
氷点下が続く連日の冷え込みに手助けされながら、霜はやがて畑の表層に氷の層を作ります。


 「女たち3人による2泊3日の温泉三昧は、結局、
 それぞれの男たちのもとへ戻ろうということで、いつのまにか結論が出てしまいました。
 貞ちゃんは、長年面倒を見てもらってきた設備会社社長の老後を、最後まで面倒見るそうです。
 彼が亡くなったらその時、台湾へ戻ると決めたそうです。
 千尋も、彼女を追って群馬までやってきた英太郎さんと、もう一度話し合いをもつそうです。
 2人とも、それぞれの男性のもとへ戻るということで、ほどよい結論などが出ましたが、
 離婚が成立をしてしまった私はどうするの、と不平などを言い出したら、
 2人で顔を見合わせて、とても愉快そうに、ただ『勝手にしなさい』と笑っていました」




 一ノ瀬の裸の梢を見上げて、美和子が立ち止まります。
 
  「私も、ここから見える景色が大好きです」



 関東平野の北端が広がる景色の中で、美和子が立ち止まります。
一ノ瀬の裸になった梢を揺らして、雪の気配を含んだ北風が強く吹き抜けていきます。


 「通学の電車の中で、いつも赤城山を見つめていたあなたの横顔が大好きでした。
 時々、盗み見るように私を見つめていた、あのまぶしそうなあなたの目も大好きでした。
 私が傷ついたときや、心が辛い時に、何も言わずにそっと見つめてくれていた、
 いつものあなたの瞳も大好きでした。
 今だから白状をしますが、ほんとはね。私のほうがあなたに一目惚れをしていました。
 今ぐらいしたたかな女なら、ちゃんとあなたにそれを伝えられたのに、
 青春の真っ最中だったあたしには、あなたをただ、見つめ返すことしかできませんでした。
 お互いに、肝心な1歩を踏み出せないままでいたことが、無駄な10年を作ってしまったようです。
 ねぇ。康平。お願いだからはっきりと聞かせて頂戴。
 他人の子供を、本当に、私と一緒に育ててくれるつもりなの?
 そんな女は大嫌いですと、すっぱりと言い放ってくれたほうが私の気持ちは楽になります。
 これから先も見つめていてくれるだけで、私は充分に幸せです。
 あなたが遠くから見つめていてくれるだけで、私はこの子と二人で元気に
 生きていくことが出来ます」



 「俺と暮らすのは、まっぴらだという風にも聞こえた」


 「馬鹿ね。先を急がないで、これからを生きていきましょうというお話です。
 この子があなたを、父親のようだと認めたら、私もその時点から一緒に住むことを考えます。
 康平。あなたの気持ちは、涙が出るほど嬉しい。
 10年間。ずっと私を見守ってくれていたことにも、あらためて感謝をしています。
 でもね。今の私には、この子を育てることが第一だしすべてなの。
 あなたのお母さんは、安心をしていつでも甘えにおいでよと私に言ってくれました。
 もちろん、あたしもよろこんで相談に伺うつもりです。
 子育てにいき詰まったら、いつでも相談に乗ってもらうつもりでいます。
 あら、なによ、そんな顔をして。あんたの悪い癖ね、行き詰まると直ぐ顔に出るんだもの・・・・
 そんなつまらない顔なんか見せないの。
 別れ話をしているわけではないでしょう、康平。
 会えるじゃないの、すぐにでも。あたしたちの家はすぐ近所だもの。
 この子のために子守唄を歌うけど、康平にも、ちゃんと歌ってあげますから。
 だから、疲れたら忘れずにあたしを思い出して、訪ねてきて。
 その昔。このあたりの集落には夜這いという、とても気の利いた風習などがあったと聞きました。
 男の人が親の目を盗み、こっそりと年頃になった女性の寝室に忍んでいくという、
 とても大らかな時代の、小洒落たしきたりです。
 年頃の娘を持った親たちは、表に面したお部屋にカギをかけずに、娘たちを寝かせるそうです。
 ときには何人もの男性が忍んでくることも、あったようです。
 子供が出来ると、父親に関しては女性の側から指名ができるというから、驚きです。
 父親が不明の場合でも、で責任をもって子供を育てたというから、これもまた驚きです。
 あたしも、カギをかけずに実家のお部屋で、この子と2人で寝ています。
 ねぇぇ。それならばあなたもなんとか、我慢などができるでしょ?。
 困らせないでよ、康平。ワガママばっかり言わないで」



 「夜這いかよ。ずいぶんと全近代的な言葉だね・・・・男の方から忍んで来いということか。
 そういえば、『村の娘と後家は若衆のもの』という、村落内で女たちを共有するという時代があったと聞いている。
 近代化以前の農村に、『若者組』という組織があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、
 夜這いに関しても一定のルールを設けていたそうだ。
 都会では廓や娼婦の制度があったが、田舎では夜這いの風習が有ったために
 そうした遊郭や娼婦などは必要なかったと言われている。
 男の方から訪ねていく古来日本の『妻問い婚』みたいなものか、それも悪くないか」



 「毎晩、鍵をかけずに康平のことを待ってます。うふふ。いやですねぇ・・・
 なんというお話を昼間からしているのかしら、あたしたちったら」


 西に傾いた太陽が、榛名山と妙義の山肌をオレンジ色に染め始めます。
長く尾を引き始めた山の影が、関東平野の最北端に日暮れが近いことを告げていきます。



 「情を織り成すのが縦の糸なら、喜怒哀楽を奏でるのは横の糸。
 糸に独特の風合いを生み出してくれるのは、義理人情と群馬の四季とこの風土かしら。
 そんな風にして生糸をひきはじめたのは、もう10数年も前のこと。
 二度と糸をひくことは無いと思っていたのに、康平がまた余計なことを始めてしまうのだもの。
 私は、生まれて育ったこの大地へ、子育てのためだけに戻ってこれただけでも充分だというのに、
 康平ったら、もう一度、私に糸をつむげと迫るんだもの・・・・困っちゃう、うふっ」


 「無理強いはしない。俺はただ、自分の夢をひたすらに追いかけていくだけのことだ」

 「生まれてくる娘にも座繰り糸を教えて、2人で並んで糸をひこうかしら。
 楽しいでしょうねぇ、もしも、そんなふうになれたなら・・・・」
 
 「え?。生まれてくるのは、女の子なのか。もしかして」



 「まだ、はっきりとはわかりません。
 エコー検査で、女の子かもしれませんと、お医者さんから言われただけの話です。
 あら。あなたは女の子でも別に構わないの?。後継の男の子を産まなくてもいいのかしら?」


 いつのまにかまた、二人が仲良く肩を並べて歩いています。
『風邪ひくなよ』ふわりと、康平が首に巻いていたショールを美和子へ回しかけます。



 「やっぱり妬けるなぁ・・・・千尋からのプレゼントでしょ、これ。
 ねぇ。ひとつだけ聞いてもいいかしら。京都から千尋を追ってあの英太郎くんがやって来なければ、
 あんたたちは、あのまま結ばれていたのかしら。もしかして」

 「そうなっていたとしたら、君は、いったいどうするつもりだったの」



 「それもまた人生の一つだと思います。別にどうこうありません。
 ただ普通に、お二人を祝福をして終わりにします。
 私はお腹のこの子と、既に生きていこうと決めていますので。あら。やっぱり構わないのよ。
 夜這いに来るのがそんなに嫌だというのなら、鍵をかけてさっさと眠ってしまうだけですから。
 女は平気なのよ。欲望なんかには決して左右をされないし、男が居なくも全然平気なの。
 その点、生理現象とやらでそのたんびに、右往左往している男たちは見るからに可哀想。
 男さえいなければ、女はいつだって、清く正しく生きられます。
 じゃあね、康平。いくら話し合っても平行線のままで時間の無駄のようですから、
 私はもう実家へ戻ります」



 くるりと向きを変えた美和子が、うふふと笑いながら意味深な流し目を見せます。
一ノ瀬の大木から麓へ下る道の途中には、心配をして顔を見せた千佳子の姿が有ります。
『寒くなってきたから、いい加減で戻ってらっしゃい~』と叫ぶ背後からまた、別の人影が現れます。
笑顔の千尋が顔を見せ、その両肩へ手を置くような形で長身の英太郎まで登場します。


 もう終わりかなと思って見ていると、ひょっこりと貞園までが姿を見せ、
少し遅れて、赤い顔をした同級生の五六までが現れます。
『なんだよ、いつのまにかのオールスターメンバーが勢揃いか。まるでこれから宴会でも
始まりそうな気配がしているなぁ・・』


 「お~い。おふたりさんよぉ。
 いい加減で、積もる話とラブシーンを打ち切って戻ってこいよ。みんなで一杯やろう!。
 早くしねぇと、徳次郎じいさんが一人で勝手に酔っ払って出来あがっちまう。
 英太郎と千尋の二人からも、なにやら耳寄りの報告が聞けそうだ。
 大人のお前さんたちは一向に構わねぇが、お腹の赤ん坊に、風邪をひかせたら大変だ。」

 
 (完)
 



 
 
 ・最後にあたり、少し残念なニュースをひとつ・

 2012年12月1日。地元紙の片隅に小さな記事が掲載されました。
「都道府県の施設として唯一、カイコの品種を体系的に保存をしている、群馬県蚕糸技術センター(前橋市)が、
生糸向けの新種開発から事実上撤退することが1日、明らかになった」とあります。


 国内における養蚕業が急激に縮小しているため、今後は既に開発した品種の維持と、
医薬品向けタンパク質の生産につながる遺伝子組み換え技術の研究に、主軸を移すと発表しています。
同センターは、品種の維持と開発に必要な「保存原種」、105品種あまりを飼育していますが
今後の3~4年をかけ、34品種にまで減らすことを決めました。
「ぐんま」など、県が独自に開発し普及している12品種と、天蚕(野性のカイコ)、
著しい特徴がある突然変異種などを除いて、残りは、すべて廃棄する予定だといいます。

 残念なニュースですが、これもまた、時代の流れの象徴だと思います。
絹の里の歴史と伝統が、こうした時代の試練を乗り越えながら、さらに後世へ生糸の技術と
絹の世界を伝えてくれることを切に期待をして、今回はこのあたりで筆を置きたいと思います。
最後までのご愛読、心からの感謝を申し上げます。

 2013年 1月18日 落合順平