『ひいらぎの宿』 (7)第1章 2人の旅籠が出来るまで
・初めての女将さんとの酒宴は、別れの苦い酒になる
「どうして私を呼び寄せるの。もう2人でとっくにおネンネをする時間じゃないか。
飲みたいのなら、フロントへ電話を入れて部屋までお酒を届けさせれば、それで済む話じゃないの。
なんでわざわざ私を指名して、お酒を運ばせるのさ。全く、この子ったら」
「あら。ごめんなさい。
せっかくの勇退のお祝いです。お世話になった女将さんと一緒に飲みたかっただけの話です。
夜中を過ぎていますので、もしかしたら、そちらのほうこそ取り込み中でしたかしら?」
「あたしはそれで嬉しいが。でも、俊彦さんにしてみたら迷惑きわまる話だろう。
今日の清子は、まるでサカりのついた子猫だもの。舞い上がったままはしゃいでいるし、
俊彦さんだって湯西川を訪ねてくるのは、ほんとに久しぶりのことだ。
今頃はさぞかし、お二人でくんずほぐれつの濡れ場の真っ最中だろうと思って、
大人の配慮というものをしていたというのに。
それをシャアシャアとしてあたしを呼び出すんだもの、この子ったら。
何を考えているんでしょ、いったい」
「女将さん。プロレス興行じゃじゃあるまいし、私はそこまで乱れません」
「そこまで乱れないと言い切るからには、そこそこは乱れるという意味なんだろうねぇ清子も。
たったいま、そんな風に聞こえました」
「いい加減にしてくださいな、女将さん!。」
苦笑した清子が、女将の器へ日本酒を継ぎ足しています。
一口で飲み干した女将がその青竹を清子から受け取ると、さっきから黙ったまま女同士の会話に
聞き入っていた俊彦へ、『一杯注がせてください』と目で促します。
「湯西川一番の売れっ子芸者が脂が乗り切っているいまの時期に、突然引退を決めました。
なんだかんだといいながら、15歳でやって来たこの清子と、
2人3脚で女将と芸者のコンビというものを組んでから、気がついたらもうまる30年がたっています。
清子は、田舎のひなびた温泉地に置いておくのにはもったいないほどの、舞の名手に育ちました。
面倒見がよくって、華があって気の利く清子は、いつだって宴会の一番の主役です。
しかし、清子がすごいのは、10代で身ごもった我が子を『なにがなんでも生む』と言い切り、
泣き言ひとつも言わずに、女手ひとつで見事に育て上げてきたことです。
女としての生き様の潔さと心根の凄さを見て、私は心のそこから清子に惚れました。
だけどね。日本中を探したって、こんな馬鹿げた行き方をする女はほとんどいないだろうと思ってます。
女の20代といえば一番の華があり、放っておいたって男たちが群がってくる時期です。
それを最初から、棒に振ろうというんだから、この子の覚悟も半端じゃありません。
お座敷で、舞を通じて艶と粋をさんざん男たちに売りこんできたくせに、男を封印したまま、
響を一人前にするために、毎日を一生懸命に走り回ってきました。
『芸者を辞めたい』と初めて言ってきた時、私は何がなんでも引き止めるつもりでおりました。
だけどねぇ、『やっぱり、枯れる前にひとりの女に戻りたい』と告白された時、
あたしゃこの子に向かってなんにも言えなかった。
30年間も封印してきたものを解き放して、トシさんのために、ただの女に戻りたいと言われた瞬間、
もうこの子を引き止めることは、一切、すべて諦めました」
そうだよねぇ。こんな風に清子と飲むのは最初で最後かもしれないねぇ・・・
と、女将さんがつぶやいています。
「清子ももう、45だ。
咲き誇っているとはお世辞にも言えないが、まだそれなりに華は残っている。
あんたたちの響も、もう、自分の道を歩き始めている。
トシさんさえよければ、それでもいいというのなら、二人で暮らしはじめるのもいいことだと思う。
あたしゃ賛成するし応援します・・・・あれ、どうしたのさ、2人とも」
うつむいてしまった清子の姿を見て、女将さんが口を閉ざします。
怪訝そうな眼差しで見つめてくる俊彦の様子に、ようやく気がついた女将さんが急に姿勢を正します。
「なるほど。よくわかりました。
清子が言うべき話を、勝手に私が先に暴露をしてしまったわけですか。
そういう事なら、私が清子のために一肌を脱ぎましょう。
俊彦さん。この子は30年もお座敷に出て、たくさんの男たちを手玉にとってきたくせに、
本当に好きな人の前に出ると、自分の本心がたったの一言さえも言えない女です。
母親がわりの私から、どうぞあらためてお願いなどをいたします。
あなたさえよければ、この子と一緒に暮らしてください。
『女が枯れないうちに、好きな男と一度でいいから暮らしてみたい』とぬけぬけと
言われた時には、この私も、心の底から仰天をいたしました。
30年も一途な思いを秘めながら、あなたのために響も育て上げました。
最近になってからは、衰えかけた身体に必死になって手入れなども始めたようです」
清子はうつむいたままで、いっこうに顔を上げません。
『あんたもさぁ、いまさら純情ぶってどうすんのさ・・・・困った子だねぇ、この子も』
どれ、もうお2人さんにはお邪魔でしょうから、私もこのあたりで失礼しますと女将が腰をあげます。
「女将さん。そう言わずに、もう少し飲みましょう。
俺も無頓着なふりをよそおったまま、清子をほったらかしにしてきました。
せっかくの機会です。俺の知らない清子の思い出などを、たくさん聞かせてください。
たぶん今夜は、いい思い出の夜になると思います」
「そうですか。俊彦さんが是非にと言うのであれば、仕方ありません。
実は、たくさんあるんですょ清子には。びっくりするほどの、とっておきのお座敷での武勇伝の数々が。
どれから暴露などをいたしましょうか。
30年間にわたるこの子の悪行のすべてを、この私が清子に変わってすべて白状をいたします。
うふふ。なんだかようやくのことで盛り上がってまいりましたねぇ、
清子の引退記念日が」
「女将さんったら、余計なことは言わないで・・・・」清子が、目を白黒とさせたまま、
俊彦の横顔をハラハラしながら盗み見ています。
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・初めての女将さんとの酒宴は、別れの苦い酒になる
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「あら。ごめんなさい。
せっかくの勇退のお祝いです。お世話になった女将さんと一緒に飲みたかっただけの話です。
夜中を過ぎていますので、もしかしたら、そちらのほうこそ取り込み中でしたかしら?」
「あたしはそれで嬉しいが。でも、俊彦さんにしてみたら迷惑きわまる話だろう。
今日の清子は、まるでサカりのついた子猫だもの。舞い上がったままはしゃいでいるし、
俊彦さんだって湯西川を訪ねてくるのは、ほんとに久しぶりのことだ。
今頃はさぞかし、お二人でくんずほぐれつの濡れ場の真っ最中だろうと思って、
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何を考えているんでしょ、いったい」
「女将さん。プロレス興行じゃじゃあるまいし、私はそこまで乱れません」
「そこまで乱れないと言い切るからには、そこそこは乱れるという意味なんだろうねぇ清子も。
たったいま、そんな風に聞こえました」
「いい加減にしてくださいな、女将さん!。」
苦笑した清子が、女将の器へ日本酒を継ぎ足しています。
一口で飲み干した女将がその青竹を清子から受け取ると、さっきから黙ったまま女同士の会話に
聞き入っていた俊彦へ、『一杯注がせてください』と目で促します。
「湯西川一番の売れっ子芸者が脂が乗り切っているいまの時期に、突然引退を決めました。
なんだかんだといいながら、15歳でやって来たこの清子と、
2人3脚で女将と芸者のコンビというものを組んでから、気がついたらもうまる30年がたっています。
清子は、田舎のひなびた温泉地に置いておくのにはもったいないほどの、舞の名手に育ちました。
面倒見がよくって、華があって気の利く清子は、いつだって宴会の一番の主役です。
しかし、清子がすごいのは、10代で身ごもった我が子を『なにがなんでも生む』と言い切り、
泣き言ひとつも言わずに、女手ひとつで見事に育て上げてきたことです。
女としての生き様の潔さと心根の凄さを見て、私は心のそこから清子に惚れました。
だけどね。日本中を探したって、こんな馬鹿げた行き方をする女はほとんどいないだろうと思ってます。
女の20代といえば一番の華があり、放っておいたって男たちが群がってくる時期です。
それを最初から、棒に振ろうというんだから、この子の覚悟も半端じゃありません。
お座敷で、舞を通じて艶と粋をさんざん男たちに売りこんできたくせに、男を封印したまま、
響を一人前にするために、毎日を一生懸命に走り回ってきました。
『芸者を辞めたい』と初めて言ってきた時、私は何がなんでも引き止めるつもりでおりました。
だけどねぇ、『やっぱり、枯れる前にひとりの女に戻りたい』と告白された時、
あたしゃこの子に向かってなんにも言えなかった。
30年間も封印してきたものを解き放して、トシさんのために、ただの女に戻りたいと言われた瞬間、
もうこの子を引き止めることは、一切、すべて諦めました」
そうだよねぇ。こんな風に清子と飲むのは最初で最後かもしれないねぇ・・・
と、女将さんがつぶやいています。
「清子ももう、45だ。
咲き誇っているとはお世辞にも言えないが、まだそれなりに華は残っている。
あんたたちの響も、もう、自分の道を歩き始めている。
トシさんさえよければ、それでもいいというのなら、二人で暮らしはじめるのもいいことだと思う。
あたしゃ賛成するし応援します・・・・あれ、どうしたのさ、2人とも」
うつむいてしまった清子の姿を見て、女将さんが口を閉ざします。
怪訝そうな眼差しで見つめてくる俊彦の様子に、ようやく気がついた女将さんが急に姿勢を正します。
「なるほど。よくわかりました。
清子が言うべき話を、勝手に私が先に暴露をしてしまったわけですか。
そういう事なら、私が清子のために一肌を脱ぎましょう。
俊彦さん。この子は30年もお座敷に出て、たくさんの男たちを手玉にとってきたくせに、
本当に好きな人の前に出ると、自分の本心がたったの一言さえも言えない女です。
母親がわりの私から、どうぞあらためてお願いなどをいたします。
あなたさえよければ、この子と一緒に暮らしてください。
『女が枯れないうちに、好きな男と一度でいいから暮らしてみたい』とぬけぬけと
言われた時には、この私も、心の底から仰天をいたしました。
30年も一途な思いを秘めながら、あなたのために響も育て上げました。
最近になってからは、衰えかけた身体に必死になって手入れなども始めたようです」
清子はうつむいたままで、いっこうに顔を上げません。
『あんたもさぁ、いまさら純情ぶってどうすんのさ・・・・困った子だねぇ、この子も』
どれ、もうお2人さんにはお邪魔でしょうから、私もこのあたりで失礼しますと女将が腰をあげます。
「女将さん。そう言わずに、もう少し飲みましょう。
俺も無頓着なふりをよそおったまま、清子をほったらかしにしてきました。
せっかくの機会です。俺の知らない清子の思い出などを、たくさん聞かせてください。
たぶん今夜は、いい思い出の夜になると思います」
「そうですか。俊彦さんが是非にと言うのであれば、仕方ありません。
実は、たくさんあるんですょ清子には。びっくりするほどの、とっておきのお座敷での武勇伝の数々が。
どれから暴露などをいたしましょうか。
30年間にわたるこの子の悪行のすべてを、この私が清子に変わってすべて白状をいたします。
うふふ。なんだかようやくのことで盛り上がってまいりましたねぇ、
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