落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (2)

2013-11-22 11:07:51 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (2)第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・角巻きと、着物の上に羽織る洋物のコート



 
 1月の半ばを過ぎると、湯西川温泉の積雪は50センチを越えます。
かまくら祭り会場へ向かう道の両脇には、今年もまたバージョンアップが施された、
青い光のイルミネーションが雪道を照らし出しています。
白い息を吐きながら雪化粧の『葛(かずら)の橋』を渡ってきた伴久ホテルの女将が、
俊彦との久しぶりの再会に、思わず目を細めています。



 「斬新ですしお洒落ですねぇ。今日の女将さんのいでたちは。
 和装コートの『道行』ではなく、洋物のコートで足元にブーツを履きこなすとは、
 新鮮だし、驚くほど似合っています」



 「全部、清子からの入れ知恵です。
 清子も私も仕事がら、一年を通じて着物で過ごしております。
 雪の降る今頃からの外出が、ひと苦労いたします。
 これ(洋物のコート)の内側は暖たかな素材ですから、ぬくぬくといたします。
 外側に雪がついても、つるりとすべり落ちてくれますからその点でも重宝をします。
 手軽に、丸洗いなどもできますから、扱いも苦になりません。
 男性用のコートには和洋兼用などのものもありますが、婦人物にはなぜかそれがありません。
 雪の日に着物で外出するのに億劫な思いをしてきましたが、清子のおかげで
 たいへん楽になりました。
 ねぇ、清子や。もう、いい加減で背中から出てきなさい。
 俊彦さんも、ご迷惑です、」


 立ち話をはじめてしまった女将の様子に、ようやく覚悟をきめたのか、
少しだけ顔を赤らめた清子が、角巻からひょっこりと半分だけ顔を見せます。



 「まったく、この子ったら。
 いまさら発情期の子猫じゃあるまいし、イチャイチャするのも大概になさい。
 本日の予定されたお座敷も、お前の希望通り全てキャンセルをいたしましたから安心しなさい。
 これでもうお前も気兼ねなく、休日を満喫できると思います。
 そのかわりと言ってはなんですが、もうすこし慎み深く行動などをしなさい。
 なんですか。16や17の小娘じゃあるまいし、見ている私のほうが恥ずかしくて顔が火照ってしまいます。
 いい歳をして恥ずかしくないのかしら。この子ったら。・・・うふふ」


 「あらまぁ。誰かと思えば、伴久ホテルの女将さん。
 上手に隠れたつもりなのになんでバレてしまったのかしら。変ですねぇ」


 「頭は隠したようですが、お尻が見えたままです、お前。
 こんな雪の日に、角巻なんかを羽織って外出をするのは、湯西川広しといえども、
 私が知っている限り、芸者をしてきた清子だけだと思います。
 俊彦さん。お二人での散策などが済みましたら、ホテルのバーへ顔を出してください。
 清子の芸者生活30周年の記念と、勇退のお祝いを同時に差し上げる予定ですから、
 是非ともお忘れなどのないように。では後ほどに、ごきげんよう」


 「勇退?。え・・・清子が、芸者を引退すると言うのですか?」



 「あら、まぁ。言っていないのかしら、この子ったら。
 ははぁ・・・・トシさんをびっくりさせるつもりで突然呼び寄せましたね、この子は。
 この一週間、この子のおかげで湯西川は上へ下への大騒ぎです。
 予約の入っていたお座敷は、立てつづけにキャンセルするし、何やら下見に行くということで
 3日間も姿をくらしてしまいます。
 どうしたことかと温泉の関係者一同で心配をしていたら、今頃になり
 悠々とトシさんと2人で相合い傘で現われます。
 公衆の面前だというのに、濡れ場まで演じる始末に、まったく呆れてものが言えません。
 たっぷり叱ってあげます。2時間経ったらホテルへ顔をだしなさい。
 わかりましたね、清子」


 「はい。承知しました女将さん。でも・・・なぜ2時間後なのでしょう?」

 
 「昔から、2時間と決まっておりました。男女が使うラブホテルでは。
 ただし湯西川で一番の売れっ子のお前さんは、いくら素顔のままとはいえ簡単に
 男と2人でホテルなどへは入れないでしょう。
 だいいち、明日の夜にお部屋をひとつ用意しておいてくださいと、みんなの心配をよそに、
 涼しい声で勝手な電話をあたしにかけてきたのは、他ならぬあなたのほうでしょう。
 いつものように別館『嬉野』を用意しておきましたから、通りすがりの観光客のような顔をして、
 そのあたりの風情などを楽しんできてください。
 この寒さです。いくらお熱い二人とはいえ、2時間も表を歩けば限度でしょう。
 あら。・・・・結局のところあたしったら、おふたりにヤキモチなどを妬いております。
 では、あらためましてごきげんよう。のちほど会いましょう、俊彦さん。清子」



 くるりと背を向けた女将が、傘を傾けながらぼんぼりの道を下っていきます。



 「うふ。2時間の執行猶予をいただきました。
 3度目の正直と申しますが、別館『嬉野(うれしの)』は、私たちに因果の深いお部屋です。
 1度目は、響(ひびき)が生まれる7ヶ月ほど前のこと。
 私の方からあなたへ、理由も告げずに、いきなり別離を告げたときのことです。
 2度目は、あなたの足の治療のために房総から連れ戻した時のことです。
 あのときあなたが出会った私の響は、3歳児になったばかりの、とても可愛い盛りです。
 ・・・そして、3度目の正直となるのが今夜です。
 この春で芸者を卒業してしまう清子が、本気であなたへ愛を告白をする記念日です。
 あなたを見初めてから30年。一人娘の響がうまれてから25年。
 念願の告白の日が、本当に私の目の前にやってこようとしています。
 わかるでしょう?、あなたにも。私が、どんな思いでワクワクとしているか・・・・
 たぎりはじめてしまった女の血は、もう、どなたにも止めることなど出来ません。うふっ」


 いつもの清子の切れ長の美しい目が、真正面から熱く俊彦を見つめてきます。





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