落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(128)

2013-11-04 10:36:24 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(128)
「強風が過ぎ去った畑で、貞園が語るいい話と悪い話」




 徳次郎老人の指導のもと、寒中の『畝(うね)起し』の作業が始まって数日後。
夜明けを迎えたばかりの桑苗の畑で、ハプニングともいえる出来事が発生をしています。
桑苗の凍結防止用に掛けられていたマルチ(ビニールシート)の一部が、跡形もなく夜半の風に
吹き飛ばされてしまい、あれほど大量に地面に敷き詰めた麦わらもほとんど残っていません。
寒空の下でむき出しにされた桑苗の幹は、霜ですべてが真っ白に凍結をしています。

 「どうやら、昨夜の久しぶりの強風が、悪さをしたと見える。
 それにしても見事に吹き飛ばしたものだ。可哀想に桑苗が風に吹かれて丸裸だ。あっはっっは」


 「徳次郎はん。笑い事ではおまへん。
 四隅へあれほど土を置いて重しにしとったというのに、聞きしに勝る風の強さどすなぁ。
 桑苗が霜にやられて凍結していますが、成長に悪影響がおまへんか、
 大丈夫でしょうか。桑たちは」


 「なぁに。それほど、案ずることもあるまい。
 この程度の霜にやられて枯れているようでは、この地で生き抜くことなどはできん。
 何度も自然の試練に耐えながら、逞しく根を張るようでなければ養蚕用として役にたたん。
 早くもこの冬の最初の試練が、桑の苗たちを襲ったというだけの事だ。
 康平を見ろ。随分と試練に会いながらもいまだに、飄飄(ひょうひょう)としたまま生きておる。
 迫力には欠けるものがあるが、地道に粘り強く生きるタイプの男だ。
 あいつも変わった男でのう。10数年前の初恋の相手を、いまだにどういう訳か好いておる。
 あれから10年。ひと昔が経ったというのに、あいつはいまだに何一つ変わっておらん。
 大器晩成というが、あいつの場合はもっとたくさんの時間がかかるかもしれん。
 もしかしたら、大器晩晩成かもしれんのう。ふぉっほっほっほ」



 「笑い事ではないでしょう、徳爺さん。
 俺を桑苗と一緒に扱わないでください。誰を好きになろうがぜんぶ俺の勝手です。
 遅れて出かけてくれば人の悪口ばかりを言い放題で、油断も隙もない年寄りだ。まったく」

 「地道な頑張り屋だとお前さんを褒めたつもりなのに、逆に受け取るとは度量の小さい男だのう。
 ・・・・うん?。朝っぱらから真っ赤な車が坂道を登ってくるが、このあたりでは
 あまり見かけない変わった車じゃのう」

 「BMWです。へぇぇ・・・・スポーツタイプの新車どす」



 ゆっくりと坂道を登ってきた赤いBMWが、高台の最初の見晴らし地点にあたる、
一ノ瀬の大木の下でピタリと停車をします。
運転席の人影がサングラスを外しながら車から降りてくると、腰へ両手を当てて背筋を伸ばします。
頭上で大きく枝を広げている桑の大木の様子を、まぶしそうな表情でゆっくりと見上げています。


 「康平はん。真っ赤なBMWがいま、桑の木の下で停りました。
 若い女性が降りてきましたが、知り合いどすか?。遠目にはすこぶるの美人のように見えますが・・・・」

 「赤いBMWの登場と、美人に見える遠目の女?。
 思い当たる女なら一人だけ居るが、こんな朝早くから貞園がやってくるとは珍しいことだ。
 なにか俺に急用かな?。だとすれば何故か、あまりいい話ではないような胸騒ぎもするが・・・・」

 ようやく康平を見つけ出した貞園が、遠くから手を振りはじめます。



 「老人。話がだいぶ違います。
 あれが康平くんが10年間も想い続けとる初恋の相手どすか?
 あの様子から見ると、むこうのほうが圧倒的に熱をあげとるような雰囲気どすなぁ。
 それに、日本人離れをした雰囲気なんぞも持っております」


 「たしかにのう。だがしかし、わしもあのオナゴのことは聞いておらんぞ。
 初めて見る新顔の登場だ。なるほどのう。
 子犬が尻尾を振るかのように、なついている雰囲気が漂っておるわい。
 これはまた、いったい全体どうしたことだ。こんな朝っぱらから、
 また何か、事件でもはじまるというのかう」


 鍬を手にしたまま、徳次郎と英太郎が畑の真ん中で呆気にとられています。



 「おはよう、貞園。
 ここへ来るのは始めてだと思うが、よく迷わず無事に来れたねぇ」


 「高台で、御神木のようにそびえている桑の大木が目印だと、美和子から聞いていたもの。
 確かにこの木は遥か遠くからでもよく目立つわ。わかりやすい道案内になりました」


 「うん。ここは傾斜が始まる赤城山麓の最初の高台だからね。
 それにしても、こんな朝早くからいったい何の用だ。まさかこの御神木を
 わざわざ見るために、早起きをしたというわけでもあるまい」

 「いい話と、悪い話が、それぞれひとつずつあります」



 「わざわざここまで来たということ自体、どちらの話も重大な意味が有りそうだ。
 ということは、簡単に済まない話ということにもなるだろう・・・・どうする?。
 ここで立ち話をするか、それとも君の車の中で話を聞くか、それとも俺の家に寄るかの3択だ。
 どれでもいいから、お前の好きなものを選択しろ」



 「もちろん、最優先で、康平のお家。
 お母様に『はじめまして』という、念願のご挨拶がしたいわ。
 『ふつつか者ですが、どうぞよろしく、一生にわたってお願いいたします』って言うの。
 私は義理の母にそれを言うのが、長年の夢なのよ。
 いいなぁ~。実家への初めてのご挨拶には、痺れるような極度の緊張というものがあります!」


 「お袋は飛び上がって驚くか、腰を抜かすぜ。
 少し後退をしていくと畑の下に、車一台がやっと通れる街道がある。それが俺んちの入口だ。
 先に行ってくれ。相方と徳次郎老人に挨拶をしてから俺も戻るから」


 「いいの?、本当に。嫁ですがと勝手にご挨拶をしてしまっても!」



 「今頃はたぶん居間でコタツに入り、朝ドラを見ながらお茶を飲んでいる時間だ。
 死なない程度にお袋に刺激を与えてくれ。俺には女ができないとタカをくくっている節がある。
 君みたいな美人が突然飛び込んでいったら、きっとびっくりするだろう」


 『うふふ、楽しみです』と貞園がスキップをしながら運転席へ戻ります。
途中からUターンをすると思いきや、いきなりバックギヤーへシフトを放り込んだ貞園が、
アクセルを全開にしたまま、猛烈な勢いで坂道を後退していきます。
あっけにとられた康平が見送っているわずかな間に、自宅へと続く街道の入口まで
赤いスポーツカーが、あっというまに到達をしてしまいます。



 いきなり前進にギヤーを放り込んだ貞園の真っ赤なBMWは、タイヤを精一杯にきしませながら、
埃だらけの砂利道を、砂塵を巻き上げながら康平の家を目指してダッシュをしていきます。
100mほど先に有る狭い庭からは、案の定、けたたましいほどのブレーキーの音が
ここまで、実に明瞭なまでに轟いてきます。


 「康平くん。見かけはすこぶるの美人どしたが、中身は途方もないジャジャ馬のようどすなぁ。
 あの活きの良さは、半端じゃおまへん。いったいどこの何者どすか?」

 
 「台湾から10年前に上陸をした、根っからの暴走娘だ。
 悪いなぁ。なにか急用が発生したようだから、ちょっと家に戻って用件を聞いてくる」



 「何じゃ、今のじゃじゃ馬は。あれでは寝た子を起こしかねん。
 知らんぞ、わしは。GT-Rの千佳が目を覚ましたら、またこのあたりが
 いっぺんに騒がしくなってしまうわい」

 「GT-Rの千佳?。何ですかそれ。もしかしたら、おふくろのことですか」



 「おう。GT-Rの千佳といえば、このあたりではすこぶる有名な『走り屋』だった。
 康平が2輪の赤城山最速のタイムを持っているように、千佳子は30年前のスカイラインGT-R
 という車で、4輪の最速タイムを叩き出した、筋金いりの女だてらの暴走族だ。
 わしは知らんぞ、また千佳の悪い血が騒ぎ始めても!。
 何やら朝から、すこぶるに悪い予感ばかりが騒ぐ日じゃわい・・・・」



 徳次郎老人が心配をしたとおり、その数分後に、真っ赤なBMWがふたたび街道を出てきます。
運転席では目をらんらんと輝かせた千佳子がハンドルを握り、助手席では貞園がシートベルトを
嬉しそうに締め始めています・・・・



 ※ベースとされた『スカイライン』は、1957年に富士精密工業の主力車種として
  生産を開始されたものです。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名は引き継がれ、
  長期に渡って生産されてきました。
  GT-Rは、C10型から続くスカイラインの中でも、サーキットでの使用を主眼にして
  開発された車両です。乗用車ベースでありながらレースで勝つことが使命とされ、
  スカイラインの他のグレードとは、まったく異なった装備やエンジンを搭載し、
  他の国産スポーツカーなどにも、大きな影響を与えてきた名車です。※





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