落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(129)

2013-11-05 12:18:32 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(129)
「千佳が昔に暴走族だったことが判明したあと、本題を切り出す貞園」





 それからたっぷりと1時間あまりの後。
どこをどう走り回ってきたのか、康平の母・千佳が運転をする真っ赤なBMWが快適なエンジン音を
響かせながら、ようやく康平たちが作業をしている畑へ姿を見せました。
『BMWがやっと帰ってきました。お母はんの千佳はんがもと暴走族とは知りませんどした。
人は見かけによれへんと言いますが、いやいや、朝から衝撃的な事実を知りました・・・』


 鍬を振るう手を止めた英太郎が、ため息とともにつぶやいています。



 「俺も初めて知った。乱暴ではないが普段から『飛ばすタイプ』の運転はしていた。
 もしかしたらとは思っていたが、スカイラインGT-Rに乗るほどのスピード狂とは知らなかったなぁ。
 俺も2輪車に入れ込んだ時期があるから、やっぱり遺伝なのかな・・・・親からの」


 「貞園はんが呼んではります。ようやっと本題がはじまるような様子どすな」


 「やれやれやっと帰ってきたと思ったら、今度は、頭ごなしに人を呼びつけやがる。
 いい話と悪い話の両方が有るといっていたな、たしか・・・」


 畑の真ん中へ鍬を突き立てた康平が、赤いBMWの方へ歩いていきます。
数日前から始まった真冬におこなわれる伝統の『畝起し』という作業は、すでに畑の
半分ほどで終了をしています。
一日中鍬を振るという単調な農作業が続いた結果、足腰をはじめ全身を襲った筋肉痛からも
ようやく回復する兆しが見えてきた、その矢先での出来事です。
とりあえず、泥だらけのその手を拭けと、貞園がピンクのハンカチを差し出します。



 「いやだなぁ。・・・・よく見れば、全身が埃だらけじゃないの。
 あとでお掃除をするのが大変だもの、やっぱり助手席へ乗せるのは無理のようです。
 それにしても、お百姓さんの格好が見るからに板についてきました。
 なんだかこのまま居酒屋をやめて、お百姓さんになってしまいそうな雰囲気が漂っています」


 「俺に、今のところはそんな予定はない。
 百姓になろうとしているのは、向こうで畑仕事をしている、例の英太郎くんの方だ」



 「彼が千尋さんの元恋人で、京都からやって来たというウェブデザイナーですか。
 千尋のために無償で桑畑を作り上げるそうですが、頑張りの根拠がどこにあるのか良く分かりません。
 それを手伝っている康平も、いったい何を考えているのか、これまた私にはよく理解できません。
 本来ならば、恋敵(こいがたき)同士であって、呉越同舟という構図です。
 それに千尋のこともあるけど、肝心の、美和子の今後のことは一体どうするつもりなの。
 まさか本気で、千尋と結婚をするつもりでいるのかしら、康平は」


 「いきなり手厳しいな。今朝の貞園は。
 前置きは良くわかったから、本題の、いい話と悪い話というやつを聞かせてくれ」



 外気のあまりもの冷たさに寒さを覚えたのか、貞園が思わず身震いをしています。
朝の太陽に照らし出された畑から、白い水蒸気が湯気のようにあたりに立ち込めてきました。
冷えきっていた大地が太陽によって温められると、その温度差から、朝もやのように水蒸気がたちあがります。
『駄目、寒すぎて。諦めたからあなたも助手席へ乗って』と、貞園が運転席へ逃げ込んでしまいます。
形だけ車外で埃を叩いた康平が、『悪いね』といいながら助手席のドアを開けます。

 「2つあるうちの、いい方の話からさきに聞かせてくれ」


 「いい話も悪い話も、2つとも、どちらも美和子に関するはなしです。
 先日、例の岡本さんから連絡があり、渡したいものがあるから桐生へ来てくれと呼ばれました。
 結論から先に言えば美和子の旦那が、自分から離婚届にハンコを押しました。
 本人の希望もあって、判を押した数日後に中国にむけて蜜出国をしたそうです。
 どちらも岡本さんがいろいろと、裏で工作をした結果のようです。
 離婚も、その後の国外逃亡も、すべてが本人の意思によるものという形で無事に決着をしました。
 美和子への不本意なDVも、旦那の背後にいた暴力団に脅されるたびに発生をしていたもので、
 気の弱い男のストレスの爆発だろうと、岡本さんが説明をしていました。
 暴力団員たちに弱みを握られていたため、それを口実に便利にこき使われてきたという話です。
 離婚を決意し中国へ自ら渡るということは、亭主自身の再出発を意味するとも、言っていました。
 離婚届を預かり、昨日私のマンションで美和子へ手渡しました」



 「離婚が成立をして、旦那は国外逃亡を遂げて、これで一件の落着か。
 しかし、それを手放しで喜んでもいいのだろうか。望んで行動をした結果とは言え、
 現実的に、なぜか複雑な想いがこみあげてくる」


 「感傷にひたるのは、まだまだ全然早いわよ。
 で、当然の繋がりとして、お話しは、2つ目の悪いほうの話へと続きます。
 一段落をしてよかったとほっと喜んだのもつかのまで、今朝起きたら私への置き手紙があり、
 当の美和子が、突然、私のマンションから消えてしまいました」


 「なに!。美和子が、君のマンションから消えたって、いったい何故!」


 「ごめんなさい。これで解決したと思って油断をしていた私がいけないの。
 出産日までは私のマンションで同居をするものとばかり、思い込んでいた私がいけないのよ。
 予定日まではあと2ヶ月。あとは自力でなんとか出来ますからと、短い感謝の言葉の手紙を残して、
 私が起きる前に、美和子がマンションを出て行ってしまいました。
 覚悟の上でマンションを出たと思うので、当然のことながらあなたへの伝言はありません。
 驚いて、びっくりして、理由が分からないうちに、こうして貴方が居るここまで飛んできたのよ。
 どうしょうか、康平。すべてがこの先でうまくいくと思っていたのに、美和子が消えたことで、
 また全部が、ガラガラと足元から崩れちゃったような気がします」


 「君のせいじゃないさ。
 美和子が、自分の意思で自ら決めたことだ。黙って見守るしかないだろう」



 「呑気だわね、康平は。行方も分からない人間を一体どうやって見守るつもりなの。
 一番の問題といえば、いつまでも煮え切らない態度のままで居る康平そのものじゃないの。
 あんたまさか、本気で千尋と付き合うつもりじゃないでしょうね。
 英太郎くんが植えようとしている桑の苗は、全部、千尋のための桑なのよ。
 あなたが本気で桑を育てようと思うのなら、それはもうひとりの女のためのものでしょう。
 美和子だって、糸をひいてきた人間のひとりなのよ。
 美和子のために桑を育てるのならわかるけど、添えない相手のために、なんで
 桑なんかを育てているの。いい加減で目をさましなさいよ、この唐変木。
 もういい。私がなんとかしてくるから、もう、さっさと私の車から降りてちょうだい!」



 怒り心頭の貞園が、いきなりエンジンをかけるとシートベルトを締め始めます
震えている貞園の指先が、乱暴に、カーナビの設定をはじめています。

 「おい。何処へ行くつもりだ。いきなりカーナビの設定なんか始めたりして」



 「安中。行き先は千尋のアトリエに決まっているじゃないの。
 あの女が、康平にちょっかいを出すから、話がこじれて面倒になる。
 こうなったら、女同士の全面戦争の勃発だ。
 あの女が英太郎を選ぶか、康平を選ぶのかはっきりしないから、ややっこしくなるんだ。
 私が、もつれた糸の交通整理をしてくるから、康平はとっとと、わたしの車から降りて!
 今日の私は、悪魔と天使の2役を演じわける、魔性の女になってやるんだから」



 貞園がアクセルをふかした瞬間、真っ赤なBMWが地面をけたたましく蹴りはじめます。
高台からの麓へと続く下り坂を、かつて誰も見たこともないような猛スピードで、
貞園の真っ赤なBMWが、猛然と駆け下りていきます。




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