落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (6

2013-11-27 11:01:13 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (6)第1章 2人の旅籠が出来るまで
・湯船に寄り添うふたり




 檜の湯船に腰を下ろしている俊彦の隣へ、髪を洗い終えた清子が戻ってきました。
ガラスの向こう側では川沿いのぼんぼりが、消えかけていく最後の点滅の様子を繰り返しています。
温かい清子の指先が、冷えてきた俊彦の肩へ軽く触れます。
湯音を立てずになめらかに滑りこんできた清子の白い足は、俊彦の足元で静かに波紋を広げます。


 「京や大坂と比べても、江戸の湯屋の数はとても多かったと言われています。
 江戸時代の末期には、町内に必ず一軒はあったそうです。
 いずこも繁盛していたそうですから、驚きです。
 当時の湯屋は混浴で、町人や下級武士の娘たちも、職人たちと一緒の風呂へ入りました。
 湯屋が流行り始めた時から、混浴が当たり前とされてきたのは日本人が持つ独特の性のおおらかさのようです。
 江戸や大阪などの大都市に作られた、遊郭や娼婦などの売春の制度は、
 性秩序を保つための公のものとして、古くから認められてきたものです。
 地方や田舎においては、そうしたものには頼らず、女性のもとへ男性が通う『夜這い』という
 公認の風習が、長年にわたって続いてきたそうです。
 一夫一婦制という婚姻制度にこだわらない、おおらかな性のありかたを示すひとつの現れです。
 お祭りどきの境内などにおいては、ひと目もはばからずに交わっていたと古文書などにありますから、
 日本人は、性に関してはとても開放的でおおらかな傾向の持ち主とされてきたようです。
 江戸時代の半ばにさしかかると、さすがに風紀上の問題があるとして、寛政3年(1791年)に、
 いちど男女の浴場が別々に分けられています。
 しかしその後にまた、混浴に戻っては再び禁止令が出されるという、くり返しが続きます。


 当時の湯屋の間取りは、今の銭湯とほとんど変わりません。
 番台で料金を払って中へ入ると、男女兼用の脱衣場があります。
 鍵付きの衣棚に衣服を入れてから、男女ともに、鍵を頭の髪にさして洗い場へ入ります。
 板で囲まれただけの浴槽は、灯油皿に火が一つ灯っているだけで、とても薄暗く、
 チカンが出るのも、もっぱらこの浴槽の中だったと言われています。



 わざわざ手や足などを伸ばし、女性の肌に触れようとする不謹慎な男もいれば、
 威勢のいいおかみさんのアソコへ手を伸ばして、怒鳴り返される男などもいたといいます。
 そんな物騒きわまる浴槽に、年若い町屋の娘さんなども一緒に入っていました。
 当の町家の娘さんたちもまた、そうした痴漢被害は、充分に承知の上のことだったようです。
 『物騒と知ってて合点の入込み湯』などという川柳が、当時に流行しています。
 もっとも貞淑な下級武士の娘さんたちの周囲には、こうしたスケベな男たちから
 身を挺して守ろうとする、屈強なおばさんたちが付いていたという逸話もあります。


 江戸ではじめての銭湯は、徳川家康が江戸に入った翌年の、天正19年(1591年)の事です。
 伊勢国出身の与一という男が、銭瓶橋(ぜにかめばし・現在の丸の内)に開業したのが最初です。
 ただしこの湯屋は、ただの銭湯ではなくて、『垢すり女』と呼ばれる女性たちが沢山いて、
 お客の下半身の世話もするという、どうやら新手の風俗店だったようです。
 うふ。お風呂にかぎっては昔から、艶めかしいお話などが多いようです。
 でも当時は混浴といっても、男女ともに素裸ではなく女性は薄い浴衣を着用して入り、
 男性も、褌などをつけていたと言われております。
 『スッポンポン』で入る混浴は、どうやら今風だけの流行りのようです。
 今のわたしたちのように。・・・・ね、うふふ」




 足元の湯がふわりと軽く揺れたあと、火照った清子の身体が湯船の中で俊彦へ傾いてきます。
黙したままガラスの外ばかりを見つめている俊彦の背中へ、清子の柔らかい素肌が触れてきました。
五感のすべてを総動員しながら相手を認識するという、スキンシップのようなほのかなやわらかさが
どこかにそっと含まれています。


 「歳になりましたから刺激的なセクシー路線には、無理というものがあるようです。
 このようなスキンシップで、精一杯です。
 こんなふうに背中合わせになっているくらいが、私たちには丁度いいのかもしれません。
 背中と背中をつけている場合は、ぬくもりを求めている気持ちなどが、
 お互いの奥深い部分に多分に含まれていることが、多いと言われているようです」


 「心理学で、そんな例えを読んだことがある。
 背中合わせで横になっているのは、お互いの気持ちが結ばれていない時の証拠だそうだ。
 何故かそこには、ちょっとした反発の気持ちと、羞恥の心が潜んでいるという。
 女性の場合は、セックスを迫られるのではないかという心理的な恐れなどを持っている。
 男性は、そんな拒む相手に対する反発もあり、欲望を忘れ去っている状態でなければ
 とてもでないが、我慢で寝るどころではないと言う。
 ただし、そのままの状態でもお互いに会話を交わすことはできる。
 むしろそのままの体勢で重要なことを話す場合のほうが、多いと言われている」


 「あら。・・・ということは、横にはなっていませんが、
 こうして湯船の中で背中合わせになっているということは、いまさらながらですが、
 なにか重要なことを、私に語ってくれるのかしら。あなたは」

 
 「君も人が悪い。焦らせるな、あくまでも例えばの話しだ。
 そういえば、こんなふうに君と温泉に入るなんて、何年ぶりになるんだろう」



 「最初が20歳の時の、2泊3日の夏休み。
 私から別れ話を、あなたへ切り出した時のことです。
 あなたには内緒でしたがその時にはもう、私のお腹の中には響がいました。
 2度目は23歳の時。あなたの足の治療をするために私が無理やり湯西川へ連れてきた時。
 すでに生まれていた響は、ちょうど3歳児の可愛い盛りです。
 あれからもう、早いもので22年です。
 ・・・・長かったですねぇ、お互いに。
 もう決して、3度目の機会なんかはないだろうと思っていました。
 でも私の方からまた、未練がましく、新しいきっかけなどを作ってしまいました。
 ちゃんと判るようにあなたに最初から、もう少し説明をしなければいけません、私は。
 もう少し飲むでしょう?。あなた」


 ポチャリと軽く湯音を立てて、清子が湯船から立ち上がります。
あれから数えて、付かず離れずで、まるまる22年が経過をした2人です。
すこしだけ丸みを帯びてきた清子の白い背中が、立ち上る湯気の中を静かに遠かっていきます。





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