落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(138)

2013-11-16 10:17:46 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(138)
「国破れて山河あり・・・そんな漢詩があったよなぁ、と語る康平」



 
 
 日本の人口の3%にも満たない約260万人(2010年10月現在)の農民が
日本の食料生産のほぼ大半を支えています。
農業従事者の平均年齢は65.8歳。35歳未満は、たったの5%という数字が示すように
後継者不足もあり、埼玉県と同じ面積の耕作放棄地が日本中に広がっています。
農家1戸当たりの農地面積は、2007年で、EUの9分の1。アメリカの99分の1。
オーストラリアの1862分の1。国際的に見ても、こうした耕作面積の極端な狭さが、
農産物の生産性を、著しく引き下げています。



 農地を、国際的な規模から比較をした場合、日本の国土は狭すぎて農業に適していません。
日本の農業は、比較をする前から、国際的な競争力には欠けるものがあります。
農産物の貿易が自由化をされた瞬間から、日本の農産物の価格は一気に崩壊を始めます。
農林水産業などの第一次産業は、日本のように労賃が高い国においては必然的に衰退し続ける
傾向にあると、一般的に考えられています。
日本農業には職業的な“弱者”というイメージと,将来性の危機感が常につきまとっています。
農業の将来に確信が持てず、そのために就業する若者の数は激減の一途をたどっています。


 
 衰退の実態を支えるために生産量に応じて補助金を出し、農家を保護してきたのが、
これまでの日本農政と、国の政策の基本的なスタンスです。
そのための補助金の原資とされてきたものが、輸入農産物にかける高い関税です。
今日まで、(関税に裏付けられた)高い輸入の農産物価格で日本農業を保護してきたが、
それでも日本農業の衰退ぶりには、一向に歯止めがかかりません。


 1960年から今日までで、GDPに占める農業の割合は、9%から1%にまで減少しています。
一方で、65歳以上の高齢農業者の比率は、1割から6割へと上昇を遂げています。
専業農家の比率は34.3%から19.5%へと大幅に減少し、第2種といわれる兼業農家は、
32.1%から67.1%へと、倍以上も増加をしています。
53年までは国際価格より低かった米の価格も、実に800%という関税で保護されるなど
国際競争力からは、著しく低下をしています。
それにもかかわらず食料の自給率は、年々悪化の一途を辿り、遂に79%から40%台にまで
落ち込んでいます。このままでは『国が滅びる』とさえ報じられました。


 外国からの安い農産物に押され、兼業農家がつくり出す農産物のみならず、
専業農家がつくるものまで市場から駆逐される事態になると、問題はきわめて深刻になります。
極端な場合、兼業農家たちは自分たちが食べるだけのものだけを栽培し、
専業農家はいなくなるという事態にまで、発展をしかねません。



 日本農業の前途は、いったいこれからどうなるのでしょうか。
国際競争力にまともにさらされた場合、果たして生き残ることができるのでしょうか。
これが今おおいに問題になっている 『TPP(環太平洋経済連携協定)』の本質なのです。
優れた工業力を背景に輸出の進行で今日の繁栄を築いてきた日本は、その一方で、第一次産業を
衰退させ、列島再開発の名の下に自然を破壊し、経済界のエネルギー資源確保のために
次から次へとまったく安全性を確認しないまま、原発の建設などを進めてきました。


 農業と漁業は国民の胃袋を支え、国の繁栄力を根本から支えているばかりではなく、
自然と共生し、守り育てるための大切な役割を果たしています。
農業の活動により大地に手が入れられ、水が確保されることで自然環境が保護をされています。
漁業が港を整備し護岸を作り、魚を育てる事業に邁進していることも、また同じことがいえます。
緑豊かな大地を育てることが、作物を育て、魚介類を育てやがて国を育てます。
第一次産業の衰退は、やがて国を滅ぼす根幹となる大問題の一つです。



 戦後の日本政治は、日本の第一次産業をものの見事に切り捨てる路線を歩いてきました。。
第二次世界大戦で受けた荒廃からの復興のために国が取った政策は、有史上では2度目となる
『富国強兵』政策であり、工業生産で一躍のしあがることを考えた工業立国への経済政策です。
農漁村からは大量の労働力を太平洋沿岸の工業地帯へ狩り出し、『安かろう、悪かろう』と言われ
粗製濫造と悪口まで言われた、猛烈な工業製品の開発と生産を繰り返した末、世界でも例を見ないほどの
工業製品の輸出に偏った一大貿易国家を、東南アジアに誕生をさせました。

 自前のエネルギー資源と、工業用の天然資源を持たない日本は世界中から資源を買い入れ
高い技術で加工し製品化をしてきたことで、貿易立国の大いなる基礎を築いてきたのです。
一貫したこうした国策のもとで犠牲を強いられたのが、第一次産業の各分野とその従事者たちです。
そうした表れとして見ることができるのが、今日における食料自給率の危機的な状況であり、
農家における高齢化の進行であり、農林漁業の仕事に希望と明日を見いだせないでいる、
おおくの後継者たちによる第一次産業離れという現実です。



 「TPPで日本の農業が壊滅的な打撃を受けると、多くの人たちが騒いでいる。
 TPPが、農業に最後の引導を渡す事態になると、多くの人が反発を強めている。
 だが俺に言わせれば、農家と農業をここまで追い詰めてきたのは、長いあいだにわたる
 いままでの、終戦直後からはじまった政府と農政のあり方だ。
 終戦の直後から工業立国を目指して、日本が技術と工業生産性を高めはじめた時から、
 すでに、農業は切り捨てられる側の道を歩き始めた。
 優遇するような意味合いの補助金政策をとりながら、その実、農地と農家を荒廃させてきた。
 その表れが、今この目の前にあるこの景色の広がりだ。


 かつてここには、一面に桑畑が存在をしていた。
 真冬でも畑には、白菜や大根、ほうれん草などが植えられた緑いっぱいの景色がたくさんあった。
 それが今はどうだ。一面の枯れ野原のような光景ばかりが広がっている。
 補助金を出すから、田んぼでコメを作るなといわれ、5反や6反の農家では食えないから、
 吸収合併をして一大農場を創り出すことが、これからの農業と農家の生きる道だと上から目線で物を言う。
 たしかに世界に冠たる工業力と生産力で、日本は世界のNO-2までのし上がってきた。
 だが、ものが豊富に出回り暮らしが豊かに変わる中で、あたらしい国土の荒廃がはじまった。
 気がつかないうちに進行をした国土の荒廃が、人の心の中にあたらしい『貧しさ』をうみ始めたんだ・・・・


 それを俺は、『こころの中の貧困』と呼んでいる。
 人として生きていく上で、大切にされなければならないものが、
 高度経済成長やバブルの時代を経験する中で、いつのまにかその姿まで変え始めた。
 汚れる仕事が敬遠され、きつい仕事は嫌われ、いつしか誰しもが身近にある簡単な方法で
 生活のための金を稼ごうと考え始めた。
 たしかに、そういう選択と生き方が可能になる時代もやって来た。
 自分の仕事に誇りを持ち、高い志をもって仕事にとりくむという考え方は、古いものになった。
 食うためだけにと割り切って、割のいい時給と収入の総額だけを基準に職業を転々とする・・・・
 そういう考え方と、仕事の選び方が、いつのまにか俺たちの周りに出来上がってしまった。
 気がついたら、『食う』ためだけに働いている自分がいる。
 仕事にたいして、たいした夢や希望も持たず労働力を、無為に金に変えているだけの
 多くの若者たちが、あふれてきた。
 働くことに自らの夢や熱意を持たないただの徒労は、心に虚しさだけを生む。
 飢餓で苦しんでいる貧困とまったく同じように、心の貧しさもまた人の生き方から、
 夢と希望を奪いとる。『こんなものだろう』と諦める心が、何事にたいしても
 無抵抗に生きる人間を、やがて大量に生み出すことになる。



 それこそが高度に発達した文明の国でありながら、日本人がいま病んでいる心の貧しさの正体だ。
 俺はその現実に、やっとのことで気がついた。
 みんなと同じように世の中の流れに歩調を合わせ、目立ちすぎず、普通に生きてきたつもりなのに、
 いつのまにか、自分の中にある大きな夢を追いかけることさえ、諦めてきた。
 小ぢんまりとした事ばかりを、考え始めている自分がいることに俺は、やっとのことで気がついた。
 君が歌手への道を諦めて東京から帰ってきたとき、群馬でしか出来ない仕事につきたいと考えて、
 安中市で座ぐり糸の仕事についたように、俺にもやっぱり、どこかにそんな風な考え方が眠っていた。
 はじまりは、この一ノ瀬の大木の消毒からだった・・・・
 消防団員たちと一緒に、こいつのアメリカシロヒトリの退治を始めた時から、
 俺の歩くべき道が、変わり始めたようだ。
 京都からやってきて、座ぐり糸の仕事に再起をかけた千尋さんは、もしかしたら、
 俺たちのための、橋渡しに来てくれたのかもしれない。
 いずれにせよ、ここにこうして大地の上に立ち、未来への夢を追いかけようと
 決めた瞬間から、自分の内側からふつふつと湧きあがってくる、力の存在というものに、
 ようやく初めて気がついた。
 身震いするような想いの、仕事への気概と勇気が湧いてきた。



 生きるということは、高い志を持ち、生きがいとやりがいをもって働きぬくことだ。
 働くということは、自らを支え、周りも支え、地域を支えやがて国さえも支えるだろう。
 国破れて山河在り、城春にして草木深し・・・・
 これから先の百姓の未来なんか、まさに風前の灯のような時代が、またやってきた。
 だが、どっこい。俺たちのような土着の民は、まだまだ日本中にたくさん生きている。
 俺は精一杯に桑を育てて未来を切り開くから、お前も、頼むから糸を紡いでくれ。
 一人くらい、居たっていいだろう。時代に逆行していく、こんな生き方があっても・・・・
 なぁ。美和子」






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