落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(137)

2013-11-15 12:01:02 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(137)
「再び日本地図の中へ、桑畑の記号を復活させると康平は言う」

 

 
 日本地図では、建物や道路をあらわしているだけではなく、畑や木の地図記号をつかい
何が育てられているのか、どんな木があるのかなども、ひと目で見ることができます。
実際の場所を見なくても、地形図からはどのようなものがあるかを知ることができます。
記号は実際には1つで使われることは少なく、土地の中に複数の記号をつけることが
一般的になっています。
代表的な田や畑などの記号について知っている方は多いようですが、果樹園を表すリンゴの形や
桑畑を表す、Yの字に似た地図記号までをご存知の方は少ないようです。
樹木を表す記号も何種類かありますが、その中でも桑は、ハイマツなどと並び、単独で
桑畑としての記号を持っている樹木のひとつです。


 地図記号にされたほど、桑の畑はかつての日本ではどこにも見られた風景のひとつです。
しかし今日、養蚕業が盛んだったいくつかの主だった地域でも、生産者が高齢化し、後継者がいないなどの
理由で、桑の木自体の衰退が始まりました。
生糸産業全般が斜陽化をする中、株を抜き畑に転用されたり、そのまま放置を
されるなど、広大な面積を誇ってきたかつての桑畑が、次々と姿を消し始めます。


 クワの木は成長が早く、大きく育ちますが幹の中には空洞があります。
若い枝は、カイコの餌にする為に葉ごと切られてしまうため、製材可能の部分が少ないことが特徴です。
養蚕業が盛んだった頃には、定期的に剪定等で手入れが行われてきたクワ畑ですが、
樹木としての活路は、前述したように幹の中が空洞となり、製材できる部分がきわめて少ないために、
養蚕以外においては、これといった他の有益な利用法が存在をしていません。



 放置された結果、森の様になっている畑なども各地で見られます。
このような状態に桑畑が立ち至っても、高齢化がすすんでしまった管理者たちにとって、
これらを整理することは、物理的にも難しく、ゆえにさらなる放置が進行をしています。
毛虫がつきやすいという樹種であるがゆえに、憂慮すべき深刻な事態にもなっています。
こうした深刻な実態を持つ反面、近年になってから、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として注目を集めています。
ごく一部とは言え、健康食として桑の実が見直されてきた風潮などもあるようです。


 「俺たちが実現したいのは、農業で夢が持てる未来だ。
 君が指摘をしたように、百姓で食っていこうと俺はもう自分の将来を決めた。
 たしかに時代には逆行していく考え方だし、将来性な勝算も、いまのところはまだ無い。
 だがそんな中でも、遥かに、果てしない夢だけはある。
 俺の中で何故だか今頃になって、百姓の誇りと農耕民族の血が騒ぎ始めてきた。
 たぶんそれは、今後、2度と止まることはないだろう。
 きっかけくれたのは、丘の上に御神木のように今でもそびえている、あの一ノ瀬の大木だ。

 
 ガキの頃から、あの一ノ瀬の木の上から眺めた、下界の景色が大好きだった。
 凍てつくような冬を乗り越え、新芽を吹き始める頃のコイツの凄まじいほどの生命力が大好きだった。
 日差しを浴びながら、日に日に大きく成長をしていく、柔らかい色の桑の葉は綺麗だった。
 真夏になるとコイツは、大きく広がった枝と葉で、大きな日陰を俺たちに作ってくれた。
 甘酸っぱい『ドドメ(桑の実)』を食べるのも、ガキの頃の楽しみのひとつだった。
 秋が来て霜が降りるようになると、霜に焼かれて真っ黒になってしまった桑の葉が
 はらはらと毎日落ちて、足元に小山のように降り積もったもんだ。
 雪がやって来て幹や枝が真っ白に変わっても、こいつは動じることなく平然としてそびえていた。
 赤城おろしにすべての枝を鳴らしながら、春が来るまでコイツは、じっと冬を耐え忍んだ。

 
 コイツが此処へ植えられてから、もう、一世紀近になるそうだ。
 原産地の山梨からやって来たコイツは、この辺り一帯の桑の原木になったそうだ。
 俺の爺様やオヤジは、こいつのおかげで暮らしを立て、家族を養ってきた。
 ほとんどの農家が同じように、このあたりの一帯で桑を育て、蚕を飼い、繭をとり生計をたててきた。
 コメや麦がろくに育たない山間地にとって、桑と蚕は、現金収入をもたらす救世主だ。
 オヤジ達の時代には、春の田植えの時期と秋の刈り入れの時期に、学童たちの、
 『農繁休暇』という特別な休みの制度があったそうだ。
 蚕が繭を作り始める時期に入ると、家族総出の『お蚕上げ』という騒動が始まる。
 蚕を育ててきた場所から、繭をつくらせるための回転まぶしへ移すため、
 寸暇を惜しんでの忙しい作業が始まる。
 家から学校へ電話が入ると、該当する学童は手伝うために、早退が認められた。
 子供でさえ農繁期や『お蚕上げ』の時期には、貴重な戦力だった時代があったそうだ。


 たかだか半世紀前の農村の、どこにでも見られた、あたりまえの出来事だ。
 だが、俺らが学校へ行き始めた頃には、もう『百姓では食えないから、別の道を選べ』と、
 親からも、言われるようになった。
 俺のオヤジが経験をしたのは、1960年代からはじまった日本の農業の曲がり角の危機だ。
 1960年代は、日本がバブルを生み出した高度経済成長へ突入をした時代だ。
 農業を営んでいた働き盛りの男たちが、好景気の波に煽られて、京浜の工業地帯へ出稼ぎに出たり、
 サラリーマンと化して会社で働きながら、休日のみに農業を行うという兼業が始めた。
 『兼業農家』という言葉が流行語になり、俗に言う『三ちゃん農業』が始まったのもこの頃だ。
 働き手を失った農村では、残されたおじいちゃん、おばあちゃん、おかあちゃんが農業を行うことになる。
 三つの『ちゃん』が行う農業ということから、三ちゃん農業という言葉が生まれたそうだ。
 1963年に国会で「三ちゃん農業」という言葉が使われ、これを新聞が報道したことから、
 その年の流行語にもなったそうだ」



 肩を添えるようにして寄り添ってきた美和子が、『うちもそうだった』とつぶやきます。
ゆっくりとした歩調のふたりが、一ノ瀬の大木までの道を下り始めています。
風花を運んできた灰色の雲はすでにはるかな彼方へ遠ざかり、寄り添って歩くふたりの前方には、
果てしない広がり見せる関東平野の連なりが、午後の柔らかい日差しの下に戻ってきています。



 「寒くないか、体を冷やすな。また、風が冷たくなってきたようだ」

 「そう思うなら、あなたが温めてよ・・・・」

 立ち止まった美和子がまとっていたショールを大きく広げ、ふわりと康平の肩まで回しかけます。
薄いシルクのショールが二人の距離を詰め、今まで以上に肩を密着させます。
美和子が、康平の背中へ手を回します。美和子の全身を受け止めた康平は、交差させるような形で
腕を伸ばし、そのまま美和子の背中を支えます。

 「なぜ、百姓の道を選んだの。あなたは」


 「終生、君と生きていくと決めた瞬間からだ。
 身ごもったと聞いたとき、これですべてが終わると、一度は俺も覚悟を決めた。
 だが、少しばかりの幸運が残っていたようだ。
 思いがけずに10年以上も遠回りをしてしまったが、今からでも決して遅くはないと思う。
 俺がこの地で生きていくためには、今まで準備をしてきて桑の苗のように、
 俺も、ここであらためて生活の根を張っていく必要がある。
 たしかに、百姓が食えるのか食えないのか、これから先の未来のことは誰にも分からない。
 だが、おれの大好きな一ノ瀬の大木は、もう一世紀以上もこの地の風雪に耐えてきた。
 天然素材のシルクも、痛むことなく100年も200年も生き続けるという。
 厳しい自然を持つこの悠久の大地と、この一ノ瀬という御神木と、シルクという天然素材は、
 ここで生きる俺たちへの、大自然からの『逞しく生きろ」というメッセージだ。
 もう30歳だが、まだ、俺たちは30歳だ。
 いままで躊躇ばかりを繰り返してきて、君には歯がゆい思いをさせてきたが、
 これから先は、ここの風土へ土着をしたひとりとして、君を真正面から見つめるさ。
 で、なんだっけ。例のその、シルクの効能の続きってやつを、もう少し聞かせてくれ。
 俺もまだ、シルクについて学び始めたばかりだ」



 「ええ。喜んで教えるわ。
 シルクは、蚕が口から吐き出した天然繊維のことで、
 18種類のアミノ酸で構成されているタンパク質によってできています。
 人間の肌も同じタンパク質で出来ていますから、人の肌に1番近いといえる天然素材です。
 夏は優れた吸汗性で、肌をサラサラに守ってくれます。
 冬は優れた保温性を発揮して、ポカポカと身体を温めてくれます。
 細い繊維がいくつも撚られて一本の糸になっているためです。
 撚られている繊維の間には、多くの空気が取り込まれていますので暖かくなるのです。
 でもね。それ以上にこの素材が暖かいと感じるのは、この素材がシルクとして生み出されるまで
 たくさんの人たちの手によって、育て上げられてきたという暖かさがあるの。
 お蚕を育てるための、たくさんの手間ひまから始まって、繭を管理し、
 そこから糸を引き出すという工程を経て、風合いが豊か生糸が、初めて生まれてきます。
 セリシンという純度の高い蛋白質を、どの程度に加工するかで、また手触りなども変わってきます。
 少しごわごわした感触から、このショールのように柔らかい風合いまで、千差万別です。
 この暖かさは、たぶん、これを育ててくれたたくさんの農家の皆さんと、
 それを紡いでくれた、千尋の手の暖かさだと思います・・・・」




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