落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(136)

2013-11-14 11:34:12 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(136)
「風花が去ったあとに残るのは、まっ白な雪の結晶と黒々とした大地」




 2人の姿を飲み込んだ風花は、突風とともに山麓を一気にかけ下っていきます。
風花を大量に舞わせた灰色の雲は下りの勢いに乗ったまま、南に向かって移動していきます。
赤城の峰から思い出したように湧き上がるこうした風花の現象は、時として山麓から
20キロ以上も離れた伊勢崎市や太田市までの広い領域を、真っ白に染めてしまいます。
肩をかばい合うふたりの頭上に、ふたたび、紺碧の群馬の冬空が戻ってきます。
年間のすべての季節を通じ、群馬の青空が一番美しく透き通りながら輝きわたるのは、激しい風が
吹き荒れ、時として風花までを舞い散らしていくこの時期の、厳冬と呼ばれるこの季節です。


 美和子の髪に舞い降りた風花を、康平が手で払い落とします。
荒地の此処の桑園から、一ノ瀬の桑の大木がそびえている丘陵地までは約500m。
赤城山麓の中腹部とも言えるこのあたりから、すべての市街地が一望のもとに見下ろせます。
遥か遠くに横たわる市街地までの空間には、幾重にも連なっていく田んぼと畑の様子が見えています。
所々にかつての桑の木の塊りも見え、風花のせいでようやく黒い大地の姿が蘇ってきました。


 「風花のせいで、一瞬にしてどこもかしこも真っ白に変わり、
 それが溶けたせいで、乾ききっていた畑に、あの懐かしい黒々とした大地などが見えてきました。
 まるで、あたしとあなたの未来を象徴をしているような、一瞬のあいだの出来事です。
 やっぱり、一筋縄ではいかないようです、どこまでいってもあたしたちは。うふふ」


 再び透き通るような青空と、良好な視界が戻ってきた下りの道で美和子が笑っています。
『あんただって、ほら、真っ白じゃないの』美和子が康平の髪についた風花を、そっと手で払い落とします。



 「これまで手がけてきた、あなたの持っている5反の桑畑では足りないの?
 なんでこんな荒地にわざわざ手を入れてまで、大規模に桑畑を作ろうなどと考えているの。
 あたしは、もう2度と糸を紡ぎません。
 現役の歌手のままだし、いまだに作詞家としての道も残っています。
 この子を育てながら、また時期が来たら売れない流しの歌手の世界へ戻っていくつもりです。
 それでもあなたは、無毛なままに、ここで桑を育て上げるつもりなの?」


 「それでもいい。桑の葉は枯れてしまうが、その葉を食べて育った繭は保存が効く。
 その年に出来たものを、その年のうちに生糸にしなくても保存をしておくことは可能だ。
 古くなった繭は、それはそれでまた、別の味わいと風合いが出るという。
 君が糸を引きたくなるまで、繭を貯蔵しておくのもいいだろう。
 赤城の南山麓の一帯には、節のある独特の光沢を持った『赤城のいと』をつむぐ年配者たちが、
 数名になってしまったとはいえ、いまだに現役で糸を紡ぎ続けている。
 おふくろもそうした糸をつむぐらめの実習を、徳次郎さんから受けてきたそうだ。
 良い繭をたくさん生み出すためには、健康な蚕を育てなければならない。
 そのためには、どうしても良質の桑の葉が大量に必要となる。
 俺たちに出来る仕事といえば、ここでは良質な桑を育てて、良い蚕を飼い育てることだ。
 山里の女たちは夜なべ仕事で糸をつむぎ、里に住む女たちが機(はた)を織って絹を生み出した。
 時代に逆行をしている古臭い挑戦と思えるが、この赤城の一帯にまた、
 昔のように桑畑を復活させ、過ぎ去った昔のように蚕を飼って生糸を作ろうという動きが
 若い世代を中心に、なんとなくだが、はじまったばかりさ」



 「呆れちゃうわね、あんた達には。康平も居酒屋を辞めて百姓にでもなるつもりなの?。
 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で、農業が壊滅的な状況に立たされるかもしれないというのに、
 いまさら農業に熱を上げるなんて、ずいぶんと呑気なことを考えているのね」


 「指導的な立場に立っている徳次郎爺さんも、年々と体力が落ちてきた。
 爺さんが元気なうちに多くのノウハウを学んで、若い世代で受け継いでいきたいと考えている。
 高齢化が進んで、遊休農地や耕作放棄地ばかりが年々増える状況になってきた。
 実働する現役農家の平均年齢は、66歳を超えたと言われている。
 現に、農家の共同体組織のJA(日本農業協同組合)では、正組合員の過半数が
 70歳以上という高齢者たちばかりだ。
 日本の農産物の半分以上を、60歳以上の高齢者が生産をしているんだぜ。
 田舎に生まれ、田舎で育ってきた俺たちがこの農業を見捨てていったいどうするんだよ。
 俺たちが守らなければ後がない、と、ようやくその気になってきた。
 俺に火をつけたのは、京都から千尋さんを追ってやって来たあの英太郎君さ。
 糸を紡ぐ千尋さんのために、見返りを求めない無償の愛で桑を育てたいという心意気に、
 俺の農耕民族の末裔としての血に、火がついちまった・・・・」



 美和子が目を細めながら、康平を見つめています。
2歩ほど離れて後ろを歩いていた距離を、美和子の方から足を早め追いついていきます。
康平の上着をその肩へ返しながら、耳元で美和子がささやきます。

 
 「あなたが農耕民族の末裔なら、それはあたしも同じです。
 あたしも東京へ行く18歳の春まで、ここの大自然に抱かれて育った生粋の田舎娘です。
 すこしだけそんなあなたへ、懐かしい、生糸の話でもしましょう。
 繭から取れる絹糸は大きく分けて、生糸(きいと)、絹紡糸(けんぼうし)紬糸(ちゅうし)の3種類です。
 私たちがつむぐのは、生絹と呼ばれている生糸です。
 生絹と書いて、「せいけん」「きぎぬ」「すずし」と三様に読まれます。
 精練をしていない状態の絹糸や、あるいは絹織物のことなどを指しています。
 ごわごわとした、ちょっと固い感触が大きな特徴です。
 仕立てあがると、張りのある突っ張った感じの着物に出来上がります。
 絹は、蚕の繭から取り出された動物性の繊維です。
 蚕が体内で作り出す、たんぱく質とフィブロインが繊維のもつ主な成分です。
 1個の繭からは約800~1,200mの糸がとれます。
 天然繊維の中では唯一の長繊維(フィラメント糸)として、知られています。
 蚕の繭(まゆ)から引き出した極細の繭糸を数本に揃え、繰糸の状態にしたままの
 絹糸のことを、生糸(きいと)と呼びます。
 これに対して、生糸をアルカリ性の薬品(石鹸・灰汁・曹達など)などで精練をして
 セリシンという膠質の成分を取り除き、光沢や柔軟さを富ませた絹糸のことを、
 製糸した糸・練糸(ねりいと)と呼びます。
 100%セリシンを取り除いた糸は、数%セリシンを残したものに比べ、光沢は著しく劣るようです。
 絹の布をこすりあわせると「キュッキュッ」という独特の音がいたします。
 これが絹だけが持つ「絹鳴り」という特別な現象です。
 繊維断面の形が三角形に近いために、こすり合わせたとき繊維が引っかかりあい、
 この独特の、「絹鳴り」という音が発生すると言われています・・・・
 凹凸のまったくないナイロン繊維では、この音は発生をしません。
 あらぁ・・・・なんで熱くなって、生糸のことなんか語りだしたのでしょう、あたしったら」


 「俺の中に、農耕民族の血が流れているように、君にも
 節のある赤城の糸を紡ぐ女の血が、たぶん流れているためだろう」


 「あたしはもう糸なんか、つむがないもの。たぶん、ね・・・・」



 雪の欠片(かけら)を含んだ灰色の雲の塊が、今度は東に向かって吹き流されていきます。
真っ白に大地を覆っていた風花が、見る間に太陽の日差しを受けて溶けていきます。
大地へ染み込んでいく水のように、白い輝きを放つ雪の結晶は見る間に消え、
そのあとには、黒々としたもともとの豊かな大地が蘇ってきます。


 「まぁ、そう言うな。
 俺はここから見下ろす、いつもの、ここからの景色が大好きだ。
 俺がまだガキだった頃、あそこに見えているあの一ノ瀬の大木を中心に、
 どこもかしこもが、一面の桑の畑だったのをかすかにだけど、覚えている。
 だが、徳次郎老人に言わせれば、それはおそらく幻影を見たものであって、養蚕のピークと
 桑の畑は、俺が生まれてくる10年も前に、すでに消え過ぎ去っていたという話だ。
 手入れをされず巨大化を遂げた桑や、野生化をした元気な桑の姿を見て錯覚したのだろうと言われた。
 だが、俺は今でもこの目で見たと、心のどこかでやっぱりいまだに信じている。
 同級生の五六も、たしかに見た覚えがあると同じように語っていた。
 これからやってくる今年の春のために、俺たちは、3000本の桑の苗を用意した。
 来年もまた桑の苗を用意して、さらに桑の畑を増やしていくつもりでいる。
 いつかまたここから見下ろしたときの光景が、一面の桑畑に変わってくれるかもしれないし、
 そうならない可能性も、たぶん、同時にあると思う・・・・」

 
 「うふふ。強気と弱気が同居をしているわよ、康平ったら。
 ここからの景色にまた、見渡す限り一面の桑畑に変わる日が、やってくるのか・・・・
 そうなったら、きっと壮観な景色だと思います。
 はじめてあなたから聞かせてもらう、男らしい夢なのかもしれません。
 そういえばあたしたちは、未来について語ったことなんか、ただの一度もありません。
 もっとも、その未来を語るはじめる前に、あたしたちは、それぞれに
 別の道を歩き始めてしまいました。
 ここが一面の桑畑に変わる頃、あたしは誰といっしょにその景色を見下ろしているのかしら。
 わかりませんね、人生なんか。絶望のあとに希望がやって来て、希望のあとにまた絶望がやってくる。
 縦と横を織りなしていく絹の布のように、人は、喜びと哀しみの狭間を
 泣いたり笑ったりしながら、生きていくのよね。あんたと、あたしのように・・・・」







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