落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』(3)

2013-11-23 10:54:40 | 現代小説
『ひいらぎの宿』(3) 第1章 2人の旅籠が出来るまで 
・別館『嬉野(うれしの)』と、はかない出来事




 別館の特別室、『嬉野(うれしの)』の間から見下ろす、平家の落人集落は
見わたすかぎりの銀世界の下、比較的早い時間帯だというのにひっそりとして静まりかえっています。
1時間あまりでかまくらと氷のぼんぼりの道の散策を切り上げた二人が、伴久ホテルのロビーへ
姿を見せた瞬間、(待ちかまえていた)女将がフロントから立ち上がります。
バーへ案内をすると思いきや、予想に反し、女将は別館へ続く通路を先に立って歩き始めてしまいます。
『あわててお部屋へ行かなくても・・・』と渋る清子へ、女将が『はい』と電子カードを手渡します。


 「いまどきのお部屋は、電子ロックで管理されています。
 お部屋にはお祝い用の特別料理と、清子の好きな『凍結青竹酒』を準備しておきました。
 バーでゆっくりとしていたら、アッというまに特製のおすすめ品が溶けてしまいます。
 それから・・・・恋するあなたたちに、時間などはいくら有っても足りないでしょう」


 それだけ言うとくるりと背を向け、女将は立ち去ってしまいます。
別館は、それぞれの部屋ごとに内風呂が設置されています。
2つだけ作られた特別室にはテラスの中に、もうひとつの露天風呂が用意されています。
贅を極めた内装とともに落ち着いた雰囲気を醸し出しているこの空間の広さが、別館の持つクオリティです。
特別室がある3階に、人の気配はまったくありません。
浴衣1枚で歩けるほど温かな廊下と部屋の様子は、この地が真冬であることを忘れさせてしまいます。



 「儚(はかな)いと、心から思える出来事がつい最近に起こりました」


 キンキンに冷えた青竹の冷酒を器へ注ぎながら、清子がポツリと語り始めます。
『長いあいだ贔屓(ひいき)にしていただいた常連客の、思いがけない通夜という出来事です』
と、遠い目を見せながら述懐をします。


 「常連さんは、60代の半ばになったばかりです。
 私が15歳でこの湯西川へやって来た時から、なにかにつけお世話になってまいりました。
 毎年、雪が深くなる今頃に『雪見酒を飲みに来たぞと』言いながら、同級生の皆様とやってまいります。
 年間を通じ、度々接待などで湯西川を訪れますが、毎度のこととして必ず私を指名してくれました。
 今年も1月の初めにいつものようにやってきて、いつものように楽しい時間などを過ごしました。
 お座敷も終わり、『ありがとうございます』とその日に限り、泊まらずに帰るということで
 さして気にもせず、笑顔でホテルの玄関先でお見送りをいたしました。
 ところが、一晩が過ぎた次の日のお昼頃。急に亡くなりましたという連絡が
 私の元へ届きました。おそらく、突発性の心筋梗塞だろうというお話です」


 「凍結青竹酒」は、お酒もその器となる青竹も、ともにキンキンになるまで冷やし、
氷の桶に入れた形のまま、特別な宴席などに供されます。
見た目も風流ですが、辛口の日本酒を口当たり良くするための工夫が心地よいために、
こうして真冬でも同じような形で、特別なときにだけ部屋に提供されています。


 「あれほど上機嫌に、楽しくお酒を召し上がった人が、
 たった一晩が過ぎただけで、次の日のお昼にはもう、ものを言わぬ人に変わってしまいました。
 人の命がこれほどまでに儚いものであることを、初めて知る機会になりました」


 「人の夢とかいて、はかないと読ませる。
 まさにその典型のひとつといえるような、はかなすぎる人の寿命の話だ。
 その儚すぎるという出来事が、30周年で勇退を決めるきっかけになったのかい?」


 「いいえ。私はもともとから、芸者を生涯にわたって続ける決意でおりました。
 でもね。いまとなっては最後になってしまったその雪見の宴の席上で、
 その方が上機嫌で、私に何度もこう言うの。
 『女は華があるうちが一番だ。惜しまれてこそ散り際に華というものがある。
 お前さんみたいに良い女が、女を封印したまま、このまま朽ち果ててしまってなんとする。
 初めて見た時からもう30年が経ったが、いまだにお前さんは昔のままに器量よしだ。
 だが、それももう、ここらあたりが潮時になるだろう。
 清ちゃんよぉ。俺の目から見ても今のお前さんは、脂が乗り切っていてたぶん今が、
 女の華ってやつが、満開に咲き誇っている時期だ。
 そいつを過ぎてしまうと、人生にはよく有りがちな急な下り坂ってやつが待っている。
 独り娘の響(ひびき)も無事に育て上げたんだ。衰退傾向ばかりが続いている芸者稼業には
 いい加減で見切りをつけ、好きな男でもいたら、いまからでもそいつと暮らしたらどうだ。
 そこらへんの何もない若いコンパニオンたちと一緒になり、酌婦代わりに宴会に出て
 小銭などを稼いでいても拉致があかないだろう。
 芸歴30年をほこる堂々たる芸者だが、よく見れば、45歳になったばかりの生身の女だ。
 華があるうちに引退をしちまえ。引退しちまえばギリギリどっかで女の華が咲く。あっはっは』って。
 あたしの顔を見ながら真顔で何度も、何度も、そんな話ばかりを繰り返すの。
 まるで今となっては、あたしへの遺言になってしまいました・・・」


 ゆっくりと顔を上げた清子が、伏し目の下から俊彦を見つめてきます。
『芸者を勇退しようと決めた理由はそれだけではありません。聞いてくれますか?。その先も』
と、その目が俊彦へ問いかけています。
答える代わりに俊彦が『お代わり』とひと言つぶやき、空の器を持ち上げます。



 「まずは言いかけた、儚いお話の続きから片付けます。
 私が急逝の連絡をいただいたのが、お昼の少し前のことです。
 その足のまま急いで宇都宮へ向かいましたが、事故以外の可能性も考えられるいうことで、
 その日は警察へ安置されたままで、家族以外は一切合わせてもらえません。
 ようやくお顔を拝見させてもらえたのは、司法解剖を終えた翌日の3時過ぎのことです。
 安らかなお顔を見た瞬間、これが間違いや悪い夢ではないことを、つくずくと実感してしまいました」


 「事故以外の疑いが有る?。ということは、自宅以外で亡くなったか、
 あるいは死因に、何か別の不審な点があったという意味か?」

 
 「集合場所へは、いつものようにご自分の車で行かれたそうです。
 いつもなら彼が運転をする車で湯西川温泉まで、みなさまを乗せてやってまいります。
 今回に限り宿泊を予定していないため、知人の女性が、別の車を用意してくれたそうです」

 「君に、お別れだけを言うためにやってきたような、そんな雰囲気があるね」

 「まさに、その通りの結果になってしまいました」

 「たったいま彼と言ったよね。親密な関係だったのかな、その彼とは」



 「殴りますよ、あなた。
 たった一度だけ彼と表現をしただけでいきなり過剰に、反応などをし過ぎです。
 ・・・・もしかしたら、その方がパトロンとでも思いこんだのかしら。あなたは。
 たしかに湯西川の芸者は芸に精進をすることと、情が深いことで世間に知られています。
 ですが芸は売りますが身体は一切売りません。それもまた、湯西川芸者の誇りです」


 
 切れ長の清子の目に、怒りを含んだような青い光りが宿ります。
『切り捨てますよ』と言わんばかりの鋭い清子の視線が、真正面から俊彦へ飛んできました。




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