『ひいらぎの宿』(1) 第1章 2人の旅籠が出来るまで
・氷のぼんぼり・かまくら祭り
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/bf/0082e18415517a85280845badf3a92b4.jpg)
『光輝く氷のぼんぼりと、かまくら祭り』は、
毎年1月の下旬から約1か月間にわたり、湯西川温泉で繰り広げられる冬の風物詩のひとつです。
大小様々なかまくらが、温泉街のメインの通りに賑やかに建ち並びます。
1000個を超える高さ30センチあまりの氷のぼんぼりが、日暮れとともに淡く灯されていくと、
山あいにある落人伝説の湯の郷が、幻想的なまでに浮かび上がってきます。
静かに舞い続ける細かい雪は、日が暮れても鎮まる気配をみせません。
ぼんぼりの淡い光の連なりが2人の歩む足元を、かすかに静かに照らし出していきます。
傘を傾け積もった雪を払い落とした清子が、ついでとばかり俊彦へそっと肩などを寄せてきます。
「他人が見たら、ワケアリの2人だと絶対に誤解をする。お前、くっつき過ぎだ」
「誤解をされて困る歳でもないし。幸いなことに周りを見回しても人の姿などは見えません。
このまま傘に隠れて口づけなどをしましても、たぶん闇に紛れてどなたからも見えないと思います。
うふふふ。変ですねぇ、あたしったら。勝手にウキウキしっぱなしで。
今からあなたを誘惑をして、いったいこの先でどういうことになるのかしら。
うふふ、楽しみで仕方がありません」
『いいから来て。今年はどうしても氷祭りにやって来てください。大切なお話もありますから』
と、一方的に清子から呼び出され、俊彦がやっとの思いで雪の湯西川温泉へ到着をしたのは、
日が暮れるすこしばかり前のことです。
「滑りどめのチェーンを巻いたが、それでもやはり、何度か山道では滑った。
まったくなぁ。真冬にお前さんに会いに来るには、いつものことながら命懸けだ」
「そう言わないの。でもその命懸けのドライブも、それも今回で終わりになります。
でも嬉しいな。たった一本電話をあなたにかけただけで、
何も言わずにこの雪の中を、わたしのために飛んできてくれるんだもの。
あなたのその熱い気持ちでこの雪が溶けてしまったら、もっと素敵なのに。うふふ」
「大丈夫か。熱でもあるんじゃないか、清子。
さっきから少しおかしいぜ。いつも以上にベタベタと俺にまとわりついてくるし、
なんだか色香までが必要以上に、俺の周りでムンムンと漂ってくる。
何か特別な問題でも発生したのかい?。
どうにも気分が入れ込み過ぎているようだ。まったく。どこかの発情期の小娘じゃあるまいし」
「仔細については、のちほどにゆっくりとお話などいたします。
そんなことよりも、せっかくですもの恋人気分などを、もっと満喫いたしましょう。
あ、あら・・・・まずい。俊彦。ちょっと背中を貸してね」
たくし上げた角巻を清子がそのまますっぽりと頭から被り、残りの部分を
素早く俊彦に羽織らせます。本人はそのまま、するりと俊彦の背中へ消えてしまいます。
角巻は、北海道や東北地方の女性たちが、外出するときに身にまとう防寒着です。
大きめの四角い毛織物で、三角に折り背中から羽織るように着用をする冬の必需品です。
ショールと異なり、すっぽりと体が収まるくらいの大きさのものです。
色合いも茶や赤、紺などと様々で、四角形のふちに房がついていて歩くとさらさらと揺れます。
角巻は明治の初期、開拓民たちの歴史と共に始まり、昭和30年代にその役割を終えています。
厳寒地方特有の冬の風物詩のひとつですが、和服の衰退とともに姿を消しはじめたと言われています。
こうした角巻の存在を知っているのは50歳代以上と言われ、今を生きる雪国の若い人たちには
まったく無縁ともいえる、昭和期の伝統衣装のひとつです。
「ごきげんよう」。傘の下から顔を見せたのは、老舗の伴久ホテルの女将です。
洋装用と思えるコートなどを羽織っています。単衣(ひとえ)でも暖かいというモーリークロスの
ヒネモスノタリという着物の裾からも、やはり洋物と思えるブーツの先端が覗いています。
洗える素材というその着物の裾は雪のために、やや短めに着付けられています。
「あら、俊彦さんお一人ですか?
おかしいですねぇ。遠目の様子では、お二人のようにも拝見をいたしましたが?」
女将の涼しい目が、中途半端なままにモコモコと動きつづけている俊彦の
角巻の様子になぜかピタリとして、クギ付けになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/d4/758d5b72ac19ff978b642c68bed363d0.jpg)
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・氷のぼんぼり・かまくら祭り
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『光輝く氷のぼんぼりと、かまくら祭り』は、
毎年1月の下旬から約1か月間にわたり、湯西川温泉で繰り広げられる冬の風物詩のひとつです。
大小様々なかまくらが、温泉街のメインの通りに賑やかに建ち並びます。
1000個を超える高さ30センチあまりの氷のぼんぼりが、日暮れとともに淡く灯されていくと、
山あいにある落人伝説の湯の郷が、幻想的なまでに浮かび上がってきます。
静かに舞い続ける細かい雪は、日が暮れても鎮まる気配をみせません。
ぼんぼりの淡い光の連なりが2人の歩む足元を、かすかに静かに照らし出していきます。
傘を傾け積もった雪を払い落とした清子が、ついでとばかり俊彦へそっと肩などを寄せてきます。
「他人が見たら、ワケアリの2人だと絶対に誤解をする。お前、くっつき過ぎだ」
「誤解をされて困る歳でもないし。幸いなことに周りを見回しても人の姿などは見えません。
このまま傘に隠れて口づけなどをしましても、たぶん闇に紛れてどなたからも見えないと思います。
うふふふ。変ですねぇ、あたしったら。勝手にウキウキしっぱなしで。
今からあなたを誘惑をして、いったいこの先でどういうことになるのかしら。
うふふ、楽しみで仕方がありません」
『いいから来て。今年はどうしても氷祭りにやって来てください。大切なお話もありますから』
と、一方的に清子から呼び出され、俊彦がやっとの思いで雪の湯西川温泉へ到着をしたのは、
日が暮れるすこしばかり前のことです。
「滑りどめのチェーンを巻いたが、それでもやはり、何度か山道では滑った。
まったくなぁ。真冬にお前さんに会いに来るには、いつものことながら命懸けだ」
「そう言わないの。でもその命懸けのドライブも、それも今回で終わりになります。
でも嬉しいな。たった一本電話をあなたにかけただけで、
何も言わずにこの雪の中を、わたしのために飛んできてくれるんだもの。
あなたのその熱い気持ちでこの雪が溶けてしまったら、もっと素敵なのに。うふふ」
「大丈夫か。熱でもあるんじゃないか、清子。
さっきから少しおかしいぜ。いつも以上にベタベタと俺にまとわりついてくるし、
なんだか色香までが必要以上に、俺の周りでムンムンと漂ってくる。
何か特別な問題でも発生したのかい?。
どうにも気分が入れ込み過ぎているようだ。まったく。どこかの発情期の小娘じゃあるまいし」
「仔細については、のちほどにゆっくりとお話などいたします。
そんなことよりも、せっかくですもの恋人気分などを、もっと満喫いたしましょう。
あ、あら・・・・まずい。俊彦。ちょっと背中を貸してね」
たくし上げた角巻を清子がそのまますっぽりと頭から被り、残りの部分を
素早く俊彦に羽織らせます。本人はそのまま、するりと俊彦の背中へ消えてしまいます。
角巻は、北海道や東北地方の女性たちが、外出するときに身にまとう防寒着です。
大きめの四角い毛織物で、三角に折り背中から羽織るように着用をする冬の必需品です。
ショールと異なり、すっぽりと体が収まるくらいの大きさのものです。
色合いも茶や赤、紺などと様々で、四角形のふちに房がついていて歩くとさらさらと揺れます。
角巻は明治の初期、開拓民たちの歴史と共に始まり、昭和30年代にその役割を終えています。
厳寒地方特有の冬の風物詩のひとつですが、和服の衰退とともに姿を消しはじめたと言われています。
こうした角巻の存在を知っているのは50歳代以上と言われ、今を生きる雪国の若い人たちには
まったく無縁ともいえる、昭和期の伝統衣装のひとつです。
「ごきげんよう」。傘の下から顔を見せたのは、老舗の伴久ホテルの女将です。
洋装用と思えるコートなどを羽織っています。単衣(ひとえ)でも暖かいというモーリークロスの
ヒネモスノタリという着物の裾からも、やはり洋物と思えるブーツの先端が覗いています。
洗える素材というその着物の裾は雪のために、やや短めに着付けられています。
「あら、俊彦さんお一人ですか?
おかしいですねぇ。遠目の様子では、お二人のようにも拝見をいたしましたが?」
女将の涼しい目が、中途半端なままにモコモコと動きつづけている俊彦の
角巻の様子になぜかピタリとして、クギ付けになっています。
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