さて、続きです・・・。
それまで、「これでもか!」というぐらい、二重三重のチェックしてきて、そのチェックの段階で発覚した「漏れ」が無かったことが、逆にオイラを油断させたのです。
原因がハッキリしていたので、ショックもありましたが、それよりも、撮影さんのミスで救われた思いの方が大きかったのも事実です。
「魔が差した」ということでしょう。
当然、オイラは、思いっきり反省しました。
この事件が何話目だったのかは、覚えていません。
まあ、忙しかったんですよね・・・。
では、ここで、奇面組の制作状況を・・・。
9話、10話を作ってる辺りで、土田プロから離れまして、「スタジオコメット」として独立した会社になりましたが、しばらくの間は、「スタジオぎゃろっぷ」さんと交互に話数を受け持って制作していました。
たぶん、26話までがそうだったと思います。
DVDが出ているようなので、確認して下さい(笑)。
で、それ以降、オイラと、もう一人先輩の「T氏」とふたりで、交互に話数を持ちましたが、番組が2本立てでしたから、半分の1本を、制作グロス出し、という形で、「あにまる屋」さんと「スタジオムサシ」さんに、4~5週間隔で出していましたので、まあ、なんとか回していました。
普通、制作進行は4~5週間隔で、話数を持ちますので、ある意味、よくやってたと思います。
この頃の業界の状況は、TVシリーズなら、ほとんどの場合、作画スタジオ単位で、原画の発注をしていましたので、その後の、アニメーター不足から来る、掛け持ち受注も少なく、ほぼ安定した行程で、作業は進んでいましたから、そういう意味では、平和な環境でしたね。
今回は以上です。・・・ではまた・・・。
それまで、「これでもか!」というぐらい、二重三重のチェックしてきて、そのチェックの段階で発覚した「漏れ」が無かったことが、逆にオイラを油断させたのです。
原因がハッキリしていたので、ショックもありましたが、それよりも、撮影さんのミスで救われた思いの方が大きかったのも事実です。
「魔が差した」ということでしょう。
当然、オイラは、思いっきり反省しました。
この事件が何話目だったのかは、覚えていません。
まあ、忙しかったんですよね・・・。
では、ここで、奇面組の制作状況を・・・。
9話、10話を作ってる辺りで、土田プロから離れまして、「スタジオコメット」として独立した会社になりましたが、しばらくの間は、「スタジオぎゃろっぷ」さんと交互に話数を受け持って制作していました。
たぶん、26話までがそうだったと思います。
DVDが出ているようなので、確認して下さい(笑)。
で、それ以降、オイラと、もう一人先輩の「T氏」とふたりで、交互に話数を持ちましたが、番組が2本立てでしたから、半分の1本を、制作グロス出し、という形で、「あにまる屋」さんと「スタジオムサシ」さんに、4~5週間隔で出していましたので、まあ、なんとか回していました。
普通、制作進行は4~5週間隔で、話数を持ちますので、ある意味、よくやってたと思います。
この頃の業界の状況は、TVシリーズなら、ほとんどの場合、作画スタジオ単位で、原画の発注をしていましたので、その後の、アニメーター不足から来る、掛け持ち受注も少なく、ほぼ安定した行程で、作業は進んでいましたから、そういう意味では、平和な環境でしたね。
今回は以上です。・・・ではまた・・・。