オイラには、音楽的な知識がほとんどありません。
ですから、「ノヴァーク版」とか「ハース版」とかいわれても、サッパリ区別がつきません(笑)。
感性だけで聴いているようなもんです。
今回のこのブルックナーなどは、どの演奏を聴いても、同じぐらいの感銘を受けます。それぞれのニュアンスの違いは、解かるには解かるんですが、他の作曲家ほどの違いを感じる事がありません。
というか、ベートーヴェンの第九を聴いている時と同じ感覚なのです。
「神」を描こうとしていたのかどうかは、解かりませんが、ここでは、「神」の存在を信じて、苦難を乗り越えていこうという姿が描かれているように思えます。
エンディングでは、「神」の存在を確信しつつも、未だ邂逅出来ないまま、次作(第9番)に繋がっているように感じます。
そこでは、もはや現世ではなく、彼岸にたどりついた彼、ブルックナーが、尚も「神」との邂逅を果たせぬままに彷徨っているようなのですが・・・。
大変好きな曲ですが、80分前後の演奏時間や、ヘヴィな感じからか、あまり聴いたりはしません。
しかし、CDは、ヨッフム、レーグナー、セル、インバル、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、マタチッチ、そしてカラヤン等を持っています。
あらかじめ断っておきますが、この曲は、心地よい曲ではありません。
どちらかというと、聴いていて苦しくなってくる曲です。
まあ、フィナーレで最終的には解放されるのですが、そんな曲です。
演奏時間によって1枚に収まっているものと、2枚組みになっているものとあります。
カラヤンがウィーンPOを振った盤は2枚組みですが、素晴らしい演奏です。
1枚ものなら、シューリヒトでしょうか。こちらもオケはウィーンPOです。
ですから、「ノヴァーク版」とか「ハース版」とかいわれても、サッパリ区別がつきません(笑)。
感性だけで聴いているようなもんです。
今回のこのブルックナーなどは、どの演奏を聴いても、同じぐらいの感銘を受けます。それぞれのニュアンスの違いは、解かるには解かるんですが、他の作曲家ほどの違いを感じる事がありません。
というか、ベートーヴェンの第九を聴いている時と同じ感覚なのです。
「神」を描こうとしていたのかどうかは、解かりませんが、ここでは、「神」の存在を信じて、苦難を乗り越えていこうという姿が描かれているように思えます。
エンディングでは、「神」の存在を確信しつつも、未だ邂逅出来ないまま、次作(第9番)に繋がっているように感じます。
そこでは、もはや現世ではなく、彼岸にたどりついた彼、ブルックナーが、尚も「神」との邂逅を果たせぬままに彷徨っているようなのですが・・・。
大変好きな曲ですが、80分前後の演奏時間や、ヘヴィな感じからか、あまり聴いたりはしません。
しかし、CDは、ヨッフム、レーグナー、セル、インバル、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、マタチッチ、そしてカラヤン等を持っています。
あらかじめ断っておきますが、この曲は、心地よい曲ではありません。
どちらかというと、聴いていて苦しくなってくる曲です。
まあ、フィナーレで最終的には解放されるのですが、そんな曲です。
演奏時間によって1枚に収まっているものと、2枚組みになっているものとあります。
カラヤンがウィーンPOを振った盤は2枚組みですが、素晴らしい演奏です。
1枚ものなら、シューリヒトでしょうか。こちらもオケはウィーンPOです。
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