NPO法人 三千里鐵道 

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緊急ー日本軍「慰安婦」関連アピール

2011年09月17日 | NPO三千里鐵道ニュース
★大阪の西村さんから緊急のメールが届きました。「20年間の水曜日」を支え続けた、この日本の良心に触れるたびに、胸が熱くなります。皆様の小さな行動の積み重ねが、政府を動かします。速やかに、行動しましょう! N

西村さんのメール

皆さま

今朝の新聞でご存じでしょうが、
韓国外交通商部は日本政府に公式に請求権問題に対する政府間交渉の再協議を求めました。
これに対し、日本政府はなおも「二国間条約で解決済み」と自民党政権と同様の許せない回答をしています。
日本軍「慰安婦」問題をはじめ、戦後置き去りにされてきた問題の解決への突破口にするためにも、これをチャンスとして、政府に対応を迫っていきましょう。
「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010は、緊急に外務省に意見を送る取り組みを呼びかけています。

皆さんも個人やグループ名で送ってください。
周りの友人たちにも広げてください!

「いいかげんにしろ!」と言いたい日本政府を変えていきましょう!

各社の新聞記事を添付します。

にしむら
***********************

<以下、転送歓迎>
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  韓国政府の二国間交渉要求に応じるよう求める意見を外務省に送りましょう!!



本年8月30日、韓国の憲法裁判所は、韓国政府が日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは「被害者らの基本権を侵害する違憲行為である」との注目すべき決定を出しました。

日本軍「慰安婦」被害者が日本国に対して有する賠償請求権が「日韓請求権協定」第2条第1項(「完全かつ最終的に解決」条項)によって消滅したのか否かに対する日韓両国間の解釈上の紛争を、同協定第3条が定めた手続(①まず外交上の経路を通じて解決する、②それができなかった場合には仲裁委員会をつくる)に沿って解決していない韓国政府の不作為が、違憲であると宣告したのです。

これを受けて、韓国外交通商省は昨日(15日)、日本軍「慰安婦」被害者をはじめサハリン残留韓国人、原爆被害者らの請求権問題につき、政府間交渉の開催を公式に求めました。歓迎すべき誠実な対応です。にもかかわらず、日本政府は「日韓国交正常化交渉の中で解決済み」を繰り返しました。

この日本政府の「解決済み」論が果たして真実なのか。これを明らかにするため、韓国の日本軍「慰安婦」被害者と支援団体、法律家らは2002年に「日韓請求権協定」関連文書の公開請求訴訟を起こし、2年後の2004年に勝訴、韓国政府は2005年に関連文書を全面公開し、日本軍「慰安婦」問題、サハリン残留韓国人問題、原爆被害者問題が日韓交渉の過程で請求権問題の対象として扱われなかったことを確認しました。

一方、日本政府はこの間、「解決済み」ならば関連資料を韓国にならって全面公開するべきだとする市民の要求に対して、誠実な対応をしてきませんでした。

日本政府は根拠を示さないまま「二国間条約で解決済み」を繰り返すのではなく、被害者たちの半世紀以上の苦しみにしっかりと目を向け、その20年間のたたかいに真摯に応えるため、韓国政府の申し入れに誠実に応じるよう求める意見を外務省に送ってください。日本政府が、過去に対する責任を果たし未来世代に負の遺産を残さないための最後のチャンスを逃すことがないよう、皆様の積極的な行動を呼びかけます。



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以下の外務省HPから意見を送ることができます。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/index.html




北東アジア課 FAX 03-5501-8257




他にも、様々な方法で政府に意見を伝えてください。

様々な団体、個人が今こそ意見を、声を挙げてください。

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日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
e-mail:ianfu-kaiketsu@freeml.com

新刊紹介ー「幸せな統一のはなし」

2011年09月16日 | NPO三千里鐵道ニュース
韓国の統一専門誌「民族21」の編集主幹・安英民氏の同名著書の日本語訳。新書版ー愛読者の会(代表李一満)が出版。
著者は去る7月6日、「国家保安法」違反容疑で強制捜索を受けた。MB前の政権時, 北に20数回訪問,取材した折の取材メモをもとに書かれた。貴重なエピソードが盛りだくさん! ご一読ください。

まずは表紙の紹介から…。




新刊紹介ー「20年間の水曜日」

2011年09月16日 | NPO三千里鐵道ニュース
韓国挺身隊問題協議会の常任代表・ユン美香氏の同名著作を在日の梁澄子が訳した。著者は、日本軍「慰安婦」ハルモニたちのソウル日本大使館前での水曜デモに、1992年当初からかかわり一貫して活動してきた。
まだパラパラっとめくっただけだが、ハルモニたちの貴重な写真と証言がつづられている。

世界の良心、ことに日本からの良心の支援者らの強力な支えが、出版を実現させた。訳者の梁澄子氏は在日からの証言者・宋神道さんの「オレの心は負けない」DVDを手がけた方でもある。最初に紹介いただいた大阪の西村も、この支援の輪にいる。

まずは、紹介します。

発行ー東方出版㈱
価格-1500円
問合せー06-6779-9751

●追記

上記の地道な活動が実を結び、韓国政府として先日日本政府に「慰安婦」問題の協議を行おうと提案した。
その提案について日本政府は16日、山口ツヨシ外務省副大臣を通じての記者会見で韓国が提案した協議に対して

"(韓日基本条約締結で) 1965年国交正常化の時,請求権問題が法的に最終的解決が終わったという立場に変わりはない"と回答。

当時韓日請求権協定が締結されながら個人賠償請求権が消滅したという立場を繰り返したのだ。暗に「慰安婦」問題は存在しない、軍は関係ない、民間で行って事との立場を貫いたのだ。


"(慰安婦に対して)どんな方法で措置ができるのか、色々な方案の検討があるかも知れない"と付け加えた。

1991年、金学順ハルモニが初めて証言したときの動機なった、あの想いは今も踏みにじられたままだ。(上記書籍に、この経緯も詳しく載っている。


平壌でチョン・ミョンフン監督、北の国立交響楽団指揮

2011年09月15日 | 南北関係関連消息
★NYフィルがピョンヤンでアメリカと北朝鮮の国歌を演奏したのは何年前だったか? ピンポン外交ならぬ音楽外交が成就し、北の国立交響楽団がNYに招かれる、との噂も流れたが…。最近はロシア、北、韓国を結ぶガス管の建設が話題になり、最近のテレビ番組でMBは自信のコメントを発していた。
政権末期の南北関係和解(?)、にわかに信じがたい。…だが、確かに流れる底流もまた見逃せない。N


平壌でチョン・ミョンフン監督、北の国立交響楽団指揮


2011年09月15日イ・ケファン記者tongilnews.com


平壌を訪問したソウル市立交響楽団音楽監督チョン・ミョンフン芸術監督が、北朝鮮の国立交響楽団を指揮した。

国連児童基金(UNICEF)国際親善大使でもあるチョン・ミョンフン芸術監督は、北朝鮮児童を対象にした音楽教育と交響楽団交換演奏会などを、北朝鮮朝鮮芸術交流協会と議論する目的で北朝鮮を訪問した。

チョン監督は秋夕の12日、平壌に到着し15日まで平壌に留まって、16日帰国する。


イ・ジョンヒとパク・ウォンスンのツーショット

2011年09月15日 | 管理人のつぶやき
★写真掲載のみで、十分伝わりそう! N

民主労働党イ・ジョンヒ代表とパク・ウォンスン弁護士は, 15日逢いソウル市長補欠選で野党圏候補単一化と市政運営に対する合意を見た。

●同じ日に民主党から複数の市長選出馬が発表された。そしてソン・八ッキュ代表は先日パク・ウォンスン弁護士に、民主党入党を勧め、党内競選参加をほのめかした。するりとかわしたパク氏、今後の動向に目が離せない。

ハン前総理も'ソウル市長'不出馬宣言

2011年09月14日 | 南域内情勢
写真ー先日アン・パクの劇的会同単一化同意の1時間後、パクはノムヒョン財団を訪れた。

★注目されていたハン・ミョンスク前総理の去就を昨日各紙が報道した。“安風”は、何故起こり、どの方向に向け吹くのであろう?N


“安風”ハン・ミョンスクの心まで動かす

アン教授に続きハン前総理も'ソウル市長'不出馬宣言


ハン・ミョンスク前国務総理がソウル市長補欠選挙に出馬しないと明らかにした。

各種世論調査で上位圏を記録している民主党の有力なソウル市長候補のハン前総理が不出馬を宣言したことで、市民社会の支持を受けているパク・ウォンスン希望製作所常任理事が、自然に野党と市民社会の単一候補になるものと見られる。

したがって10・26ソウル市長補欠選挙は与党のハンナラ党候補と野党・市民社会候補間の両者対決構図で行われる可能性が高くなった。


ハン前総理は
"国民が今最も切実に望むのは、政界の変化と2012年の政権交替と考える"としながら
"私は民主党の革新、野党圏と市民社会の統合、そして2012年総選挙勝利と政権交替のために渾身の力を出すだろう"と話した。











韓国政界に起こった三つの奇跡。アン・チョルスの夢見る4番目の奇跡は?

2011年09月12日 | 南域内情勢
★オーマイニュースに載ったこの記事に感動した。閉塞感に沈んだ韓国政界に図らずして起こった「奇跡」を前に、興奮しながら書いたであろう記者の心情が伝わってくる。注釈なしの聞きなれない単語も出てくるが、それでも記者の真意は伝わってくるはず。少々長いが、是非一読をお勧めする。N


韓国政界に起こった三つの奇跡。アン・チョルスの夢見る4番目の奇跡は?


汝矣島には行ったこともない'コンピュータ医師'が、ソウル市長出馬意志をほのめかすやいなや、各種世論調査で50%前後の圧倒的1位を占め与野党候補を制圧した。
これが最初の奇跡だ。 初めて彼が出馬意志をほのめかした時、一部で "チョルスが出るなら、ヨンヒも出るだろうね" とあざ笑った'砂時計'検事出身の政府与党現代表は、今は緊張して周囲にこう尋ねているだろう。 「私、今震えているか?」

二番目の奇跡は、彼が'氷の女王'の'大勢論'と'平常心'を崩したことだ。
支持率50%が支持率5%に市長候補を譲歩したのも奇跡だが、市場出馬を辞退した彼が来年大統領選挙仮想対決でも、'氷の女王'を初めて抜いたのだ。 そして冷静なことで有名な'氷の女王'が、傷心からついキッと色めき記者らに、"あなた、病気?"と失言をしたのだ。

三番目の奇跡は、彼が譲った支持率5%の市民運動家出身'ソーシャル デザイナー'が、翌日には支持率50%に手の届く有力候補に急浮上したのだ。
保守新聞の世論調査でも、彼が市長候補を譲歩したパク・ウォンスン弁護士が、政府与党候補を大きく(17%pほど)先んじたことが分かった。 出馬をあきらめた後も、彼の支持者の70%がパク・ウォンスン支持に回ったと言われ、政府与党は今'コンピュータ医師'の作った奇跡に直面し右往左往している。


●アン・チョルス、大衆政治時代のアイコン?

アン・チョルス教授(ソウル大融合科学技術大学院長)が起こした'津波'が、60年間の韓国政党政治の根幹を揺るがした。
このような脅威は、韓国政党政治が初めて体験する。


'アン・チョルス症候群'に対する解釈は様々だ。
既成政党政治に対する不信と嫌悪、新しい政治勢力と'白馬に乗った王子'を渇望する大衆心理、選挙の時によく現れる第3候補の政治心理学、SNSという新しいソーシャル メディアの活性化などで要約される。…しかし既存の政治常識では解釈できない大きな問題がある。

これまでは '強いものが正しい'、'権力意志を持った者が勝利する'という法則のようなものがあった。
政治では'強いものが正しいものに勝つ'というジャングルの法則が通用してきた。 また'権力意志を持った者が勝つ'ということが政治の長い間の公式であった。
ところが、'アン・チョルス現象'では、こういう法則が通用しなかった。

アン・チョルスが強くて世論調査でナ・ギョンウォンに勝ったのだろうか?
アン・チョルスの権力意志がパク・クネより強くて仮想対決でパク・クネを先んじたのであろうか?
かえって彼の権力意志は、彼の支持者がもどかしがるほど弱かった。 相手を尊敬するという理由で、彼は事実上の絶対的支持率の50%を得ても、5%のパク・ウォンスンに譲った。 こういう'美しい譲歩'は既存政界では決して見ることのない単一化方式だ。

いや、既存の政治秩序に慣れた目からすれば、まったく理解することができない、突出行動だ。

だから保守政治圏からは、"(アン・チョルスの)の肝っ玉は、腹の外に飛び出ている"(イ・フェチャン)とか、"江南左派アン・チョルス効果は、結局左派単一化の政治ショーで幕を下ろした"と露骨な非難だけが漏れた。
時代精神を見ない保守言論もまた、アン・チョルス現象を'脱政治'の産物と評価しながらも、"パク・ウォンスン ソウル市長-アン・チョルス大統領、という役割分担をした精巧な単一化シナリオ"(朝中東)という陰謀説を主張した。

●しかし、彼が歩いてきた人生の軌跡と企業家としてはめったに見ない公的献身を見れば、そのような露骨な非難と陰謀説が、どれほど悪意に満ちた暴言であるかを簡単に知ることが出来る。

1962年釜山の開業医師の父と家庭婦人の母の間に生まれたアン・チョルスの50年は
▲人の病気を治療した医師、および医大教授14年(檀国大医大)
▲コンピュータの故障を治療する医師10年(アン・チョルス研究所代表)
▲米国留学後技術経営学教授4年(KAISTおよびソウル大融合科学技術大学院)
で区切れる。

彼は幼い時から一人でいるのを楽しむ内省的な性格に、読書が好きで学校図書館にある本はほとんど読むほどの本の虫であった。
ソウル大医大に進学した彼は、医大博士課程中にコンピュータ ウイルスに会って夜を明かしてワクチン プログラムを開発、その後の7年間、医学とコンピュータを併行させコンピュータ ワクチン プログラムを作った。
その後ウイルス退治公益法人を構想、医師と教授職を断念し、'アン・チョルス コンピュータウイルス研究所'(1995)を設立して代表理事を務めた。

彼は自身が開発したワクチンプログラムを1000万ドルで買うという大企業の誘惑をふり払い、困難な会社経営を経験しながら一般の人たちに保安プログラムを無料で提供した。
幼い時から彼に尊敬語を使ってきたお母さんの影響で、妻はもちろん職員らにも彼は命令口調で話さないことは有名なエピソードだ。 人を支配しようとしないで仕える彼が、軍医官(大尉)として勤めた時、兵士たちにやっと下した指示は
"これ、ちょっとしてくれますか?"であったそうだ。

最高経営者(CEO)として水平的人間関係を重視した彼の夢は、自分がいなくても動く'魂のある会社'を作ること。
彼は黒字を出すとすぐに会社を共に育てた職員らに株式(市価60億ウォン)を無償で分配した。 そして会社設立10年目でCEO職を退き、米国留学に行く。 米国、ペンシルバニア大ワトンスクールでMBAを終えた彼は、2008年4月帰国してKAIST経営大学院客員教授、そして今年ソウル大融合科学技術大学院長に就任した。
一分野だけに固執しない融合-統合的人間アン・チョルスのために、ソウル大が設立した'オーダーメード型大学院'だった。

こうした点から、'アン・チョルス症候群'とは'脱政治の産物'でなく'政治不在の産物'だと言える。
この点で'汝矣島政治'を遠ざけてきたイ・ミョンバク大統領の"来るべくしてきた"という反応は、逆説的には正確な現実診断だ。 'アン・チョルス現象'は、チン・ジュングォン氏の指摘のように、「'危機に陥った保守政治と本来の役割を出来ない進歩政党の空白'に生まれた奇跡」なのだ。

●アンを輩出した韓国は今

2006年10月1日、ソウル市公務員932人を選ぶ試験に15万人が志願した。ほとんど'ロト'水準だった。 2006年非正規職比重は35.5%(政府発表)~55%(労働界発表)であった。
統計庁によれば、2007年韓国人の5大死亡原因は
▲がん▲脳血管疾患▲心臓疾患▲自殺▲糖尿病の順だが、20代と30代では、各々自殺が死亡原因1位であった。

就職難が作り出した数多くの新造語中で最高の新造語は、'88万ウォン世代'であった。 20代勤労者中95%が月平均88万ウォンの非正規職世代という意味で使った<88万ウォン世代:絶望の時代に使う希望の経済学>から使われはじめた。
共同著者のウ・ソクフン・パク・クォンイルは、"20代のために何か作り出さなければならない"と主張した。 若者たちは"就職だけできるならば魂でも売る"と絶叫した。
しかし当時政権与党は、こういう現実に目をそらしたまま、政治闘争にだけ没頭した。 開かれたウリ党が2006年5.31地方選挙、相次ぐ補欠選で惨敗し、創党3年9ヶ月で消えたのは歴史の必然であったかも知れない。

●'アン・チョルス現象の'背景は、'青春コンサート'の共感と真正性

'痛いから青春'(ベストセラー訳者注)に近い世代の'386運動圏世代'らは政界に進み、'486世代'になるといつのまにか既得権に安住して政治闘争に没頭した。
彼らは多様な専門家集団の進出を拒否し、閉鎖的な運動圏純血主義に同化された。 彼らは投票場に出てこない若者たちの'政治的無関心'だけを叱ったが、'痛いから青春'の声には耳を傾けなかった。

5年前深まる両極化の現実を防げなかったノ・ムヒョン政府と開かれたウリ党に絶望した'痛い青春'らは、今イ・ミョンバク政府とハンナラ党により大きい絶望感を表出している。
アン・チョルスは青春コンサートで、彼らを低い声で慰め、勇気を吹き込む一方、政府は大企業の略奪行為をほう助していると批判する。 キム・ジェドンの語法を借りれば、'財閥は略奪者'という殺伐な言葉を、彼は安らかな笑顔で若者たちに話した。
そしてついに<オーマイニュース>インタビューで
"歴史の流れに逆らわないこと"、
"現執権勢力の政治的拡張に反対する"
と自身のアイデンティティと政治的メッセージを明確にした。

そうした点でアン・チョルス症候群は
'優しい賢人'が自身の同僚'田舎医師'とともに、大衆との共感と交流の中で起こした'奇跡'だ。

●偶然にもその奇跡の主人公は、医者たちだ。

19~20世紀には、医者出身の革命英雄が少なくなかった。
カストロとともにキューバ革命に飛び込んだチェ・ゲバラも医師であった。
中国に共和制を創始した思想家・孫文も医者出身だ。
彼は人を治療する医術と社会を治療する政治の関係を次のように説明した。

"小医治病、中医治人、大医治国"

小さい医師は病気を治し、より良い医師は人を治し、本当に大きい医師は国を治す、という意味だ。

アン・チョルスは、自分のように安定した専門職(弁護士)を捨てて20年間市民運動一筋に参加連帯、美しい財団、希望製作所に献身した'仕事の虫'市民運動家であり'ソーシャル デザイナー'であるパク・ウォンスンに、自身をダブらせた。

'大医治国'を夢見る彼は、今四番目の奇跡を見据えているのかも知れない。


●補足
あるハンナラ党最高委員は "アン・チョルス個人が怖いのではなく、アン教授を支持する民心、アン教授で象徴される新しい変化、これを直視しなければならない"と述懐した。

…民心の行方を見守りたい。



MB-来るものが来た/保守系新聞の論評

2011年09月11日 | 管理人のつぶやき
アンとパク、ソウル市長候補単一化合意で人気急上昇のアン・チョルスソウル大教授、全国の大学を巡回しながら行ってきた『青春コンサート』の最後の舞台は、昨日パク・クネの地元・テグで行われた。インターネット予約の2000名はすぐに締め切り、当日券の500を得るために400メートルの列ができた。
『若者たちに勇気を持ってもらいたかった』とはじめた2年余りの旅は、この日を最後に終わる。そして熱い眼差しを背にしながら、大学の仕事に戻るという。

彼の起こしたアン風に、李明博大統領が『くるべきものが来た』とどこかのテレビ出演の場で話した。
この話しを報じた保守系新聞は『与党は(この発言を)直視しろ』(ソウル新聞)、『大統領はアン風とは関係ないのか』とニュアンスの違いを見せた。

そして注目すべきは、保守系総本山と言われてきた朝鮮日報が

ーアン・チョルス風はMB政治が招いた


ソウル市教育長に, 拘束令状が発行された。

2011年09月10日 | 南域内情勢
★2009年、ポンハのミミズク岩に前職大統領を追いつめ死に至らしめた、あのおぞましい検察と言論が、同じ手法でハンミョンスク元総理をこき下ろし、今またクァク・ノヒョンソウル教育長にくいさがっている。前例にならい、「疑惑」を言論にリークし、世論裁判を展開しようとしているが…。
ソウル教育長、もみくちゃになっても冷静に対応、毅然としている。2年前のあの日、ノムヒョン前大統領の苦悩に打ちひしがれていた表情に比べて、静かな闘志と確信をみなぎらせているようだ。N


クァク・ノヒョン(写真 中央) ソウル市教育長に対する拘束令状が、10日明け方発行された。


ソウル中央地方法院キム・ファンス令状専門担当部長判事はこの日"犯罪事実があり、証拠隠滅の恐れがある"として令状発給理由を明らかにした。

クァク教育長は昨年ソウル市教育長選挙候補単一化過程で薄命期ソウル教育大教授に辞退代価で2億ウォンを与えた疑惑を受けている。

市民はその間、クァク教育長が積極的に捜査に臨むと何回も明らかにしてきたし、現職教育長なので逃走憂慮もない、と不拘束捜査を期待してきた。


クァク教育長はこの日、ソウル中央地検庁舎から出て
"非常に残念だ"、
"試練が近づくが、真実は変わらない"
"私自身を鍛練させる機会にしたい"と話した。


アン・チョルス教授とやりとりしたEメール内容は…

2011年09月09日 | 管理人のつぶやき
★アンとパクの候補一本化直後のパクは髭面だった。登山帰り、この伸び具合から2週間は伸ばしっぱなしであったろう。場所は白頭大幹山系、太白山主峰とする太白山脈のどこか…、その峰々を縦走しながら、アンとやり取りしたメールの内容が明らかになった。N


“アン・チョルス教授とやりとりしたEメール内容は…”


-山でアン・チョルス教授とやりとりしたEメールの内容は? 譲歩しろとの内容という話もあるが。

“私も(市長選出馬という)難しい決心をしたが、その翌日アン教授出馬検討のニュースがあった。
アン教授も相当準備をしての発表であったろうし、スタッフの人々もいる筈。しかし少なくとも相談はしなければならないと考えた。
アン教授とはEメールを永らくやりとりした間であり、ほとんど私の方がお願いする立場だった。(笑い)
山に登っても数日の一回は村に降りて、スマートフォンでメールをした。メールに私は‘本当に分からなかった。 そのような考えであれば事前にいくらでも調整できたのに、と。
私たちが互いに競争する姿が、市民にどのように映るのか心配になって、この部分に対して話し合ってみるのが良くないだろうか。 そしてどのような場合でも、互いに信頼と尊敬の関係は崩れないようにしよう’という内容だった。

アン教授は淡泊で簡潔な人だ。
私が4,5行を(Eメールで)送ったところ‘同意する。 どこで逢いましょうか’と答がきた。 それで場所を決めるため何度か、あたやりとりした。 これが全部だ。”

-アン教授に会う時、どんな思いで行かれたか?

“(アン教授が譲歩する)可能性は半々と考えた。
会って色々な話をした。するとアン教授が‘本当に決心しましたか’尋ねるので、私の考えを説明した。 そして二三の会話が行き来し、その後‘私が退きます’と話した。
本当にびっくりした。
アン教授が譲歩を通じて、何かを得たか? 何も得ることなしに譲歩した。・・・ 私は個人的に、アン教授に大きな借りができた。一生続くであろう信頼もできた。”


この写真、誰の靴?

2011年09月09日 | 管理人のつぶやき
サイトに載ったある写真家のこの一枚が、静かな感動を呼んである。在りし日のパク・ウォンスン氏の靴だそうだ。ダボダボな靴下、欠けた踵部分…。

2007年8月、ぼくは済州島での在外同胞教育振興財団主催のセミナーに参加した。そこで講師として招かれたパク・ウォンスン氏を見た。
靴は見なかったが、いかにもヨレヨレな背広を無造作に着こなしていた。特別講演のタイトルは『韓民族の未来を作るー離散の傷み乗り越え、世界の中心に立とう』。夢を語る講師の淡々とした、しかしとてつもない構想を語る姿に、聖者をみているような想いに駆られた。
三千里鉄道にかかわった直後、ニュースレターを世界から参加した在外同胞教育者に配布したことも、よい思い出だ。
この写真をみながら、セミナーレジュメ『世界市民の意識と在外同胞教育の方向』の教本をを棚から引き出してしばし眺めた。N

パク・ウォンスン/単一化後初めてのインタビュー

2011年09月08日 | 南域内情勢
写真ー白頭大幹登山からの帰りアン教授に逢い(髭のわけ)、その後記者に囲まれた。

★一躍「時の人」になったパク・ウォンスン氏のアン教授との電撃単一化後、初めての一声だ。この声は、メガトン級の波及力で政界、市民社会に広がっている。N


パク・ウォンスン/単一化後初めてのインタビュー(全文)

"アン・チョルス決断に驚いた・・・アン周辺の人迎えるつもり"

チョ・ヒョンホ記者| chh@mediatoday.co.kr

2011-09-07


パク・ウォンスン希望製作所常任理事(弁護士)がアン・チョルス ソウル大融合科学技術大学院長(教授)のソウル市長候補不出馬合意状況に対して7日
“信じ難い選択だと驚いた”として“すでに譲歩することに決心していたようだった”話し注目された。
パク弁護士はさらに、アン教授の側近や周辺人物らに、選挙運動する時助けを乞うつもりとも話した。

●パク弁護士は

この日朝MBCラジオ<ソン・ソクヒの視線集中>とインタビューで
“アン教授と基本的な信頼があったので、政治的に見れば理解できないこうしたことがありえた”と説明した。

パク弁護士は
“アン教授は、私の考えを確認したかったことだけ”としながら
“二三私に尋ね、突然何の条件なしでそのまま‘私は譲歩します’と話し、私も驚きました”と話した。

“いくら信頼関係があるにしても、私より10倍も支持率を持っていたのに、一言で譲歩したことに正直信じ難い気持ちだ”としながら
“アン教授が個人の利益より社会の公共的な利益のためにしてきた方であったので、可能だった態度だったと見る”と評価した。

●パク弁護士は

アン教授がパク・クネ前ハンナラ党代表を、大統領選挙世論調査でも追い抜いたニュースに対して
“これが私たち国民の水準を反映している、それなのに現実政治家たちがそのことを悟れないでいる”として
“(国民は)政争、葛藤を越えて希望をあたえる政治、そのような人、そのようなリーダーシップ、そのようなシステムを望んでいるのではないか”と分析した。

●パク弁護士は‘政治ショーであった’というハンナラ党の論評に対して

“このようなショーはもっとたくさんする方が良い”として
“外国に住む私たちの海外同胞が、いつも恥ずかしく思う国内の政治現象の原因を省察する時だ”と指摘した。

●パク弁護士はアン教授に、選挙支援を要求するのかに対して

“本人が圧倒的優位にある支持率を持っているにもかかわらず‘私がさらに適切だ’としながら辞任し、記者会見場で抱擁したそのような状況は、私にとってこれ以上の大きい支持(励み)はない”として
“その間アン教授周辺で共に夢を見て、企画をした方達を、私が決心を整理し(立候補を)宣言することになれば、彼らを迎え共に進むことを考えている”と明らかにした。


●パク弁護士はさらに

“その間私は、政治家として活動してきたこともない。特にイ・ミョンバク政府以後には、忌避人物だった”として
“講演に行けば情報関連刑事がいつも出ているほど抑圧された立場なので、大衆に十分に刻印されなかったと考える”と話した。

また“まだ開始した段階だが、今までしてきたように、政治でも真正性と情熱、そして自身の人生で最善を尽くす所存だ”と明らかにした。

●民主党内競戦参加に関連してパク弁護士は

“今まで失政を繰り返しているイ・ミョンバク政府に対する批判という次元での(民主党との)協力は私は必要だ”としつつも
“私は特定政派や政党の代表としてではなく、アン教授様と約束したように他の立場も代弁してゆくつもり”と話した。

彼は引き続き
“私たちの社会が、他の政治、生活政治、本当の実用的な政治、こういうものが必要な時代”として
“そんな立場なので、私が直ちに民主党内競戦に参加することはない。 ただし野党圏統合候補として、互いが力を合わせることは重要だから、それに対しては道を開いて行く”と付け加えた。

●パク弁護士はソウル市政に対して

“オ・セフン市長は、個人の欲、政争に反映してはいけないことを市政に持ち込んだ”として
“イ・ミョンバク市長以後ソウル市は、とても外形主義、巨大プロジェクト中心であった。これからソウル市は、 常識が通じ、市民が幸せになることのできる市政にすることが大切だ”と強調した。




ソウル市長選関連ー追加写真

2011年09月06日 | 南域内情勢
写真ー左からムン・ジェイン、ハン・ミョンスク、パク・ウォンスン
※時系列では次の記事が先です。

パク・ウォンスン希望製作所常任理事は、アン・チョルス ソウル大融合科学技術大学院長と6日午後2時に会って単一化に合意した直後、ソウル麻浦区ノ・ムヒョン財団で、ソウル市長出馬を検討中のハン・ミョンスク前国務総理、ムン・ジェイン、ノ・ムヒョン財団理事長と会合、野党圏候補単一化に原則的に合意した。

パク常任理事などはこの日、“私たち3人はソウル市長補欠選挙がハンナラ党とイ・ミョンバク政府を審判し、‘民主’ ‘福祉’ ‘平和’を取り戻す重大な転換点ということに認識を共にした”、
‘選挙勝利のために汎市民野党圏単一候補を通じて、ハンナラ党と一対一構図を作らなければならない’等の合意事項を発表した。


アン・チョルス-"ソウル市長不出馬、パク・ウォンスン支持"

2011年09月06日 | 南北鐵道関連消息
★ソウル市長選世論調査で50%支持率のアン・チョルスが、現在5%に満たないパク・ウォンスン支持を表明した。そしてこの日にパク・ウォンスン氏はハンミョンスク、ムンジェインとも会っている。
アンの無所属立候補に, 第3極登場、野党統一候補霧散とにんまりしていたハンナラ党は、一転アン叩きを始めた。…今ソウルからドラマが始まろうとしている。N

アン・チョルス

"ソウル市長不出馬、パク・ウォンスン支持"

パク・ウォンスン、8日に公式出馬表明へ

チョン・ウンじぇジェ記者jmy94@vop.co.kr|2011-09-06

6日午後ソウル世宗文化会館で開かれたアン・チョルス ソウル大融合科学技術大学院長とパク・ウォンスン希望製作所常任理事の共同記者会見が開かれた。

アン・チョルス ソウル大融合科学技術大学院院長は6日、10.26ソウル市長補欠選挙に出馬しないと明らかにした。

アン院長はこの日午後、ソウル市内某所でパク・ウォンスン希望製作所常任で候補単一化議論を持って、不出馬を宣言しながらパク・ウォンスン常任理事を支持すると明らかにした。


会合を終えた後記者たちの前に姿を表わしたアン・チョルス院長は
"パク・ウォンスン弁護士は私たちの社会のために献身しながら市民社会運動の新しい花を咲かせた方で、ソウル市長職を誰よりさらによく遂行できる方だと考える"
としながら不出馬立場を明らかにした。

アン院長は引き続き
"もちろん私に対する期待が大きいという点も知っているが、その誰もが民心を簡単に得ることはない"として
"私に見せた(国民の)期待は、全て私たち社会のリーダーシップ変化の必要性に対する熱望を見せたもの"と話した。

アン院長が退場した後、パク・ウォンスン常任理事は記者たちの要請に応え
"次の機会に公式表明を申し上げる"と言葉を惜しみながら
"アン・チョルス教授様と真心が通じた、政界では見られない美しい合意を成した"と話した。

パク・ウォンスン常任理事はこの日午後ハン・ミョンスク前総理とも会って野党圏候補単一化方案などに対して議論した