★オーマイニュースに載ったこの記事に感動した。閉塞感に沈んだ韓国政界に図らずして起こった「奇跡」を前に、興奮しながら書いたであろう記者の心情が伝わってくる。注釈なしの聞きなれない単語も出てくるが、それでも記者の真意は伝わってくるはず。少々長いが、是非一読をお勧めする。N
韓国政界に起こった三つの奇跡。アン・チョルスの夢見る4番目の奇跡は?
汝矣島には行ったこともない'コンピュータ医師'が、ソウル市長出馬意志をほのめかすやいなや、各種世論調査で50%前後の圧倒的1位を占め与野党候補を制圧した。
これが最初の奇跡だ。 初めて彼が出馬意志をほのめかした時、一部で "チョルスが出るなら、ヨンヒも出るだろうね" とあざ笑った'砂時計'検事出身の政府与党現代表は、今は緊張して周囲にこう尋ねているだろう。 「私、今震えているか?」
二番目の奇跡は、彼が'氷の女王'の'大勢論'と'平常心'を崩したことだ。
支持率50%が支持率5%に市長候補を譲歩したのも奇跡だが、市場出馬を辞退した彼が来年大統領選挙仮想対決でも、'氷の女王'を初めて抜いたのだ。 そして冷静なことで有名な'氷の女王'が、傷心からついキッと色めき記者らに、"あなた、病気?"と失言をしたのだ。
三番目の奇跡は、彼が譲った支持率5%の市民運動家出身'ソーシャル デザイナー'が、翌日には支持率50%に手の届く有力候補に急浮上したのだ。
保守新聞の世論調査でも、彼が市長候補を譲歩したパク・ウォンスン弁護士が、政府与党候補を大きく(17%pほど)先んじたことが分かった。 出馬をあきらめた後も、彼の支持者の70%がパク・ウォンスン支持に回ったと言われ、政府与党は今'コンピュータ医師'の作った奇跡に直面し右往左往している。
●アン・チョルス、大衆政治時代のアイコン?
アン・チョルス教授(ソウル大融合科学技術大学院長)が起こした'津波'が、60年間の韓国政党政治の根幹を揺るがした。
このような脅威は、韓国政党政治が初めて体験する。
…
'アン・チョルス症候群'に対する解釈は様々だ。
既成政党政治に対する不信と嫌悪、新しい政治勢力と'白馬に乗った王子'を渇望する大衆心理、選挙の時によく現れる第3候補の政治心理学、SNSという新しいソーシャル メディアの活性化などで要約される。…しかし既存の政治常識では解釈できない大きな問題がある。
これまでは '強いものが正しい'、'権力意志を持った者が勝利する'という法則のようなものがあった。
政治では'強いものが正しいものに勝つ'というジャングルの法則が通用してきた。 また'権力意志を持った者が勝つ'ということが政治の長い間の公式であった。
ところが、'アン・チョルス現象'では、こういう法則が通用しなかった。
アン・チョルスが強くて世論調査でナ・ギョンウォンに勝ったのだろうか?
アン・チョルスの権力意志がパク・クネより強くて仮想対決でパク・クネを先んじたのであろうか?
かえって彼の権力意志は、彼の支持者がもどかしがるほど弱かった。 相手を尊敬するという理由で、彼は事実上の絶対的支持率の50%を得ても、5%のパク・ウォンスンに譲った。 こういう'美しい譲歩'は既存政界では決して見ることのない単一化方式だ。
いや、既存の政治秩序に慣れた目からすれば、まったく理解することができない、突出行動だ。
だから保守政治圏からは、"(アン・チョルスの)の肝っ玉は、腹の外に飛び出ている"(イ・フェチャン)とか、"江南左派アン・チョルス効果は、結局左派単一化の政治ショーで幕を下ろした"と露骨な非難だけが漏れた。
時代精神を見ない保守言論もまた、アン・チョルス現象を'脱政治'の産物と評価しながらも、"パク・ウォンスン ソウル市長-アン・チョルス大統領、という役割分担をした精巧な単一化シナリオ"(朝中東)という陰謀説を主張した。
●しかし、彼が歩いてきた人生の軌跡と企業家としてはめったに見ない公的献身を見れば、そのような露骨な非難と陰謀説が、どれほど悪意に満ちた暴言であるかを簡単に知ることが出来る。
…
1962年釜山の開業医師の父と家庭婦人の母の間に生まれたアン・チョルスの50年は
▲人の病気を治療した医師、および医大教授14年(檀国大医大)
▲コンピュータの故障を治療する医師10年(アン・チョルス研究所代表)
▲米国留学後技術経営学教授4年(KAISTおよびソウル大融合科学技術大学院)
で区切れる。
彼は幼い時から一人でいるのを楽しむ内省的な性格に、読書が好きで学校図書館にある本はほとんど読むほどの本の虫であった。
ソウル大医大に進学した彼は、医大博士課程中にコンピュータ ウイルスに会って夜を明かしてワクチン プログラムを開発、その後の7年間、医学とコンピュータを併行させコンピュータ ワクチン プログラムを作った。
その後ウイルス退治公益法人を構想、医師と教授職を断念し、'アン・チョルス コンピュータウイルス研究所'(1995)を設立して代表理事を務めた。
彼は自身が開発したワクチンプログラムを1000万ドルで買うという大企業の誘惑をふり払い、困難な会社経営を経験しながら一般の人たちに保安プログラムを無料で提供した。
幼い時から彼に尊敬語を使ってきたお母さんの影響で、妻はもちろん職員らにも彼は命令口調で話さないことは有名なエピソードだ。 人を支配しようとしないで仕える彼が、軍医官(大尉)として勤めた時、兵士たちにやっと下した指示は
"これ、ちょっとしてくれますか?"であったそうだ。
最高経営者(CEO)として水平的人間関係を重視した彼の夢は、自分がいなくても動く'魂のある会社'を作ること。
彼は黒字を出すとすぐに会社を共に育てた職員らに株式(市価60億ウォン)を無償で分配した。 そして会社設立10年目でCEO職を退き、米国留学に行く。 米国、ペンシルバニア大ワトンスクールでMBAを終えた彼は、2008年4月帰国してKAIST経営大学院客員教授、そして今年ソウル大融合科学技術大学院長に就任した。
一分野だけに固執しない融合-統合的人間アン・チョルスのために、ソウル大が設立した'オーダーメード型大学院'だった。
こうした点から、'アン・チョルス症候群'とは'脱政治の産物'でなく'政治不在の産物'だと言える。
この点で'汝矣島政治'を遠ざけてきたイ・ミョンバク大統領の"来るべくしてきた"という反応は、逆説的には正確な現実診断だ。 'アン・チョルス現象'は、チン・ジュングォン氏の指摘のように、「'危機に陥った保守政治と本来の役割を出来ない進歩政党の空白'に生まれた奇跡」なのだ。
●アンを輩出した韓国は今
2006年10月1日、ソウル市公務員932人を選ぶ試験に15万人が志願した。ほとんど'ロト'水準だった。 2006年非正規職比重は35.5%(政府発表)~55%(労働界発表)であった。
統計庁によれば、2007年韓国人の5大死亡原因は
▲がん▲脳血管疾患▲心臓疾患▲自殺▲糖尿病の順だが、20代と30代では、各々自殺が死亡原因1位であった。
就職難が作り出した数多くの新造語中で最高の新造語は、'88万ウォン世代'であった。 20代勤労者中95%が月平均88万ウォンの非正規職世代という意味で使った<88万ウォン世代:絶望の時代に使う希望の経済学>から使われはじめた。
共同著者のウ・ソクフン・パク・クォンイルは、"20代のために何か作り出さなければならない"と主張した。 若者たちは"就職だけできるならば魂でも売る"と絶叫した。
しかし当時政権与党は、こういう現実に目をそらしたまま、政治闘争にだけ没頭した。 開かれたウリ党が2006年5.31地方選挙、相次ぐ補欠選で惨敗し、創党3年9ヶ月で消えたのは歴史の必然であったかも知れない。
●'アン・チョルス現象の'背景は、'青春コンサート'の共感と真正性
'痛いから青春'(ベストセラー訳者注)に近い世代の'386運動圏世代'らは政界に進み、'486世代'になるといつのまにか既得権に安住して政治闘争に没頭した。
彼らは多様な専門家集団の進出を拒否し、閉鎖的な運動圏純血主義に同化された。 彼らは投票場に出てこない若者たちの'政治的無関心'だけを叱ったが、'痛いから青春'の声には耳を傾けなかった。
5年前深まる両極化の現実を防げなかったノ・ムヒョン政府と開かれたウリ党に絶望した'痛い青春'らは、今イ・ミョンバク政府とハンナラ党により大きい絶望感を表出している。
アン・チョルスは青春コンサートで、彼らを低い声で慰め、勇気を吹き込む一方、政府は大企業の略奪行為をほう助していると批判する。 キム・ジェドンの語法を借りれば、'財閥は略奪者'という殺伐な言葉を、彼は安らかな笑顔で若者たちに話した。
そしてついに<オーマイニュース>インタビューで
"歴史の流れに逆らわないこと"、
"現執権勢力の政治的拡張に反対する"
と自身のアイデンティティと政治的メッセージを明確にした。
そうした点でアン・チョルス症候群は
'優しい賢人'が自身の同僚'田舎医師'とともに、大衆との共感と交流の中で起こした'奇跡'だ。
●偶然にもその奇跡の主人公は、医者たちだ。
19~20世紀には、医者出身の革命英雄が少なくなかった。
カストロとともにキューバ革命に飛び込んだチェ・ゲバラも医師であった。
中国に共和制を創始した思想家・孫文も医者出身だ。
彼は人を治療する医術と社会を治療する政治の関係を次のように説明した。
"小医治病、中医治人、大医治国"
小さい医師は病気を治し、より良い医師は人を治し、本当に大きい医師は国を治す、という意味だ。
アン・チョルスは、自分のように安定した専門職(弁護士)を捨てて20年間市民運動一筋に参加連帯、美しい財団、希望製作所に献身した'仕事の虫'市民運動家であり'ソーシャル デザイナー'であるパク・ウォンスンに、自身をダブらせた。
'大医治国'を夢見る彼は、今四番目の奇跡を見据えているのかも知れない。
●補足
あるハンナラ党最高委員は "アン・チョルス個人が怖いのではなく、アン教授を支持する民心、アン教授で象徴される新しい変化、これを直視しなければならない"と述懐した。
転
…民心の行方を見守りたい。
韓国政界に起こった三つの奇跡。アン・チョルスの夢見る4番目の奇跡は?
汝矣島には行ったこともない'コンピュータ医師'が、ソウル市長出馬意志をほのめかすやいなや、各種世論調査で50%前後の圧倒的1位を占め与野党候補を制圧した。
これが最初の奇跡だ。 初めて彼が出馬意志をほのめかした時、一部で "チョルスが出るなら、ヨンヒも出るだろうね" とあざ笑った'砂時計'検事出身の政府与党現代表は、今は緊張して周囲にこう尋ねているだろう。 「私、今震えているか?」
二番目の奇跡は、彼が'氷の女王'の'大勢論'と'平常心'を崩したことだ。
支持率50%が支持率5%に市長候補を譲歩したのも奇跡だが、市場出馬を辞退した彼が来年大統領選挙仮想対決でも、'氷の女王'を初めて抜いたのだ。 そして冷静なことで有名な'氷の女王'が、傷心からついキッと色めき記者らに、"あなた、病気?"と失言をしたのだ。
三番目の奇跡は、彼が譲った支持率5%の市民運動家出身'ソーシャル デザイナー'が、翌日には支持率50%に手の届く有力候補に急浮上したのだ。
保守新聞の世論調査でも、彼が市長候補を譲歩したパク・ウォンスン弁護士が、政府与党候補を大きく(17%pほど)先んじたことが分かった。 出馬をあきらめた後も、彼の支持者の70%がパク・ウォンスン支持に回ったと言われ、政府与党は今'コンピュータ医師'の作った奇跡に直面し右往左往している。
●アン・チョルス、大衆政治時代のアイコン?
アン・チョルス教授(ソウル大融合科学技術大学院長)が起こした'津波'が、60年間の韓国政党政治の根幹を揺るがした。
このような脅威は、韓国政党政治が初めて体験する。
…
'アン・チョルス症候群'に対する解釈は様々だ。
既成政党政治に対する不信と嫌悪、新しい政治勢力と'白馬に乗った王子'を渇望する大衆心理、選挙の時によく現れる第3候補の政治心理学、SNSという新しいソーシャル メディアの活性化などで要約される。…しかし既存の政治常識では解釈できない大きな問題がある。
これまでは '強いものが正しい'、'権力意志を持った者が勝利する'という法則のようなものがあった。
政治では'強いものが正しいものに勝つ'というジャングルの法則が通用してきた。 また'権力意志を持った者が勝つ'ということが政治の長い間の公式であった。
ところが、'アン・チョルス現象'では、こういう法則が通用しなかった。
アン・チョルスが強くて世論調査でナ・ギョンウォンに勝ったのだろうか?
アン・チョルスの権力意志がパク・クネより強くて仮想対決でパク・クネを先んじたのであろうか?
かえって彼の権力意志は、彼の支持者がもどかしがるほど弱かった。 相手を尊敬するという理由で、彼は事実上の絶対的支持率の50%を得ても、5%のパク・ウォンスンに譲った。 こういう'美しい譲歩'は既存政界では決して見ることのない単一化方式だ。
いや、既存の政治秩序に慣れた目からすれば、まったく理解することができない、突出行動だ。
だから保守政治圏からは、"(アン・チョルスの)の肝っ玉は、腹の外に飛び出ている"(イ・フェチャン)とか、"江南左派アン・チョルス効果は、結局左派単一化の政治ショーで幕を下ろした"と露骨な非難だけが漏れた。
時代精神を見ない保守言論もまた、アン・チョルス現象を'脱政治'の産物と評価しながらも、"パク・ウォンスン ソウル市長-アン・チョルス大統領、という役割分担をした精巧な単一化シナリオ"(朝中東)という陰謀説を主張した。
●しかし、彼が歩いてきた人生の軌跡と企業家としてはめったに見ない公的献身を見れば、そのような露骨な非難と陰謀説が、どれほど悪意に満ちた暴言であるかを簡単に知ることが出来る。
…
1962年釜山の開業医師の父と家庭婦人の母の間に生まれたアン・チョルスの50年は
▲人の病気を治療した医師、および医大教授14年(檀国大医大)
▲コンピュータの故障を治療する医師10年(アン・チョルス研究所代表)
▲米国留学後技術経営学教授4年(KAISTおよびソウル大融合科学技術大学院)
で区切れる。
彼は幼い時から一人でいるのを楽しむ内省的な性格に、読書が好きで学校図書館にある本はほとんど読むほどの本の虫であった。
ソウル大医大に進学した彼は、医大博士課程中にコンピュータ ウイルスに会って夜を明かしてワクチン プログラムを開発、その後の7年間、医学とコンピュータを併行させコンピュータ ワクチン プログラムを作った。
その後ウイルス退治公益法人を構想、医師と教授職を断念し、'アン・チョルス コンピュータウイルス研究所'(1995)を設立して代表理事を務めた。
彼は自身が開発したワクチンプログラムを1000万ドルで買うという大企業の誘惑をふり払い、困難な会社経営を経験しながら一般の人たちに保安プログラムを無料で提供した。
幼い時から彼に尊敬語を使ってきたお母さんの影響で、妻はもちろん職員らにも彼は命令口調で話さないことは有名なエピソードだ。 人を支配しようとしないで仕える彼が、軍医官(大尉)として勤めた時、兵士たちにやっと下した指示は
"これ、ちょっとしてくれますか?"であったそうだ。
最高経営者(CEO)として水平的人間関係を重視した彼の夢は、自分がいなくても動く'魂のある会社'を作ること。
彼は黒字を出すとすぐに会社を共に育てた職員らに株式(市価60億ウォン)を無償で分配した。 そして会社設立10年目でCEO職を退き、米国留学に行く。 米国、ペンシルバニア大ワトンスクールでMBAを終えた彼は、2008年4月帰国してKAIST経営大学院客員教授、そして今年ソウル大融合科学技術大学院長に就任した。
一分野だけに固執しない融合-統合的人間アン・チョルスのために、ソウル大が設立した'オーダーメード型大学院'だった。
こうした点から、'アン・チョルス症候群'とは'脱政治の産物'でなく'政治不在の産物'だと言える。
この点で'汝矣島政治'を遠ざけてきたイ・ミョンバク大統領の"来るべくしてきた"という反応は、逆説的には正確な現実診断だ。 'アン・チョルス現象'は、チン・ジュングォン氏の指摘のように、「'危機に陥った保守政治と本来の役割を出来ない進歩政党の空白'に生まれた奇跡」なのだ。
●アンを輩出した韓国は今
2006年10月1日、ソウル市公務員932人を選ぶ試験に15万人が志願した。ほとんど'ロト'水準だった。 2006年非正規職比重は35.5%(政府発表)~55%(労働界発表)であった。
統計庁によれば、2007年韓国人の5大死亡原因は
▲がん▲脳血管疾患▲心臓疾患▲自殺▲糖尿病の順だが、20代と30代では、各々自殺が死亡原因1位であった。
就職難が作り出した数多くの新造語中で最高の新造語は、'88万ウォン世代'であった。 20代勤労者中95%が月平均88万ウォンの非正規職世代という意味で使った<88万ウォン世代:絶望の時代に使う希望の経済学>から使われはじめた。
共同著者のウ・ソクフン・パク・クォンイルは、"20代のために何か作り出さなければならない"と主張した。 若者たちは"就職だけできるならば魂でも売る"と絶叫した。
しかし当時政権与党は、こういう現実に目をそらしたまま、政治闘争にだけ没頭した。 開かれたウリ党が2006年5.31地方選挙、相次ぐ補欠選で惨敗し、創党3年9ヶ月で消えたのは歴史の必然であったかも知れない。
●'アン・チョルス現象の'背景は、'青春コンサート'の共感と真正性
'痛いから青春'(ベストセラー訳者注)に近い世代の'386運動圏世代'らは政界に進み、'486世代'になるといつのまにか既得権に安住して政治闘争に没頭した。
彼らは多様な専門家集団の進出を拒否し、閉鎖的な運動圏純血主義に同化された。 彼らは投票場に出てこない若者たちの'政治的無関心'だけを叱ったが、'痛いから青春'の声には耳を傾けなかった。
5年前深まる両極化の現実を防げなかったノ・ムヒョン政府と開かれたウリ党に絶望した'痛い青春'らは、今イ・ミョンバク政府とハンナラ党により大きい絶望感を表出している。
アン・チョルスは青春コンサートで、彼らを低い声で慰め、勇気を吹き込む一方、政府は大企業の略奪行為をほう助していると批判する。 キム・ジェドンの語法を借りれば、'財閥は略奪者'という殺伐な言葉を、彼は安らかな笑顔で若者たちに話した。
そしてついに<オーマイニュース>インタビューで
"歴史の流れに逆らわないこと"、
"現執権勢力の政治的拡張に反対する"
と自身のアイデンティティと政治的メッセージを明確にした。
そうした点でアン・チョルス症候群は
'優しい賢人'が自身の同僚'田舎医師'とともに、大衆との共感と交流の中で起こした'奇跡'だ。
●偶然にもその奇跡の主人公は、医者たちだ。
19~20世紀には、医者出身の革命英雄が少なくなかった。
カストロとともにキューバ革命に飛び込んだチェ・ゲバラも医師であった。
中国に共和制を創始した思想家・孫文も医者出身だ。
彼は人を治療する医術と社会を治療する政治の関係を次のように説明した。
"小医治病、中医治人、大医治国"
小さい医師は病気を治し、より良い医師は人を治し、本当に大きい医師は国を治す、という意味だ。
アン・チョルスは、自分のように安定した専門職(弁護士)を捨てて20年間市民運動一筋に参加連帯、美しい財団、希望製作所に献身した'仕事の虫'市民運動家であり'ソーシャル デザイナー'であるパク・ウォンスンに、自身をダブらせた。
'大医治国'を夢見る彼は、今四番目の奇跡を見据えているのかも知れない。
●補足
あるハンナラ党最高委員は "アン・チョルス個人が怖いのではなく、アン教授を支持する民心、アン教授で象徴される新しい変化、これを直視しなければならない"と述懐した。
転
…民心の行方を見守りたい。