NPO法人 三千里鐵道 

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金大中前大統領追悼リレー 7

2009年08月24日 | NPO三千里鐵道ニュース
           

             身を捧げ南北融和に貢献
                        
                      野村光司(東京)

 クリントン元大統領が訪朝し金正日総書記と会見、米国記者2名が解放されたとき、その昔ニクソン米大統領が中国を訪問し米中雪解け、国交回復となったことを直ちに思い出しました。日本はアメリカに追随して田中角栄さんの訪中となり日中国交回復がなりました。
 今回は韓国から現代グループのトップも訪朝し、クリントン同様の成果を挙げました。そして金大中先生の国葬を機会に北朝鮮弔問団が来られ、李明博大統領との会見も成りました。 南北冷却未だ完全には解けないうちですが、さすがに金大中先生はお亡くなりになっても「死せる諸葛孔明、生ける仲達を走らす」で、身を捧げて南北融和に大きく貢献されました。イエス・キリストは自らの身を十字架に磔にして人類の罪を雪いだといわれますが、金大中先生の逝去が同じことになることを祈るばかりです。すなわち我ら日本民族の朝鮮民族への罪がその心からなる懺悔によって雪がれ、南北朝鮮民族の不和と言う最近の過ちも反省され、この韓朝日の暖かい友好協力により東アジア全体に王道楽土が建設されて欲しいと言う私の年来の願いが達成されることを、私は秘かに願っております。

二人の韓首相

2009年08月24日 | 管理人のつぶやき
金大中の国葬で弔辞を読んだのが韓昇洙首相。
盧武鉉の国民葬で弔辞を読んだのが韓明淑元首相。
同じ韓氏としてなんだか誇らしいと思うのは、私の守旧性の表れですか。

昨日の国葬の時のこの二人がとても印象的だった。

韓明淑元首相は最初から終わりまでうつむいて涙を落していた。同志と先生をたて続けて失ったその胸中がわかるだけに、私ももらい泣きした。
その姿をすぐ隣の席で訝しげに見ていたのは李明博だった。

韓昇洙首相が焼香する時だった。
かれは、右手をばっと開いて、ありったけの香をわしづかみにして梵いた。
その時の表情に無念が満ちていた。
彼は、歴代政権に重用されたが、金大中の時代には第30代外交通商部長官(2001年3月~2002年2月)、第56代国際連合総会議長(2001年3月~2002年2月)等を務め、金大中のノーベル賞授賞式にも参列している。
彼は今、李明博政権の下で首相をしているが、胸中只者ではないものがあるように感じるたのは私だけであろうか…。


by maneappa

残しておきたい記事をいくつか。

2009年08月24日 | 南域内情勢
金大中の死後、朝鮮日報、中央日報、東亜日報の三大紙がいずれも、追悼一色になったという。生前あれほど敵対していたのは何だったのだろうかと思わせる。
そういう中、趙甲済は相変わらずだったようだが。

by maneappa

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2009/08/14 14:29 KST
全斗煥元大統領、金大中元大統領を見舞う

【ソウル14日聯合ニュース】全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が14日、肺炎で33日にわたり延世大学セブランス病院に入院中の金大中(キム・デジュン)元大統領を見舞った。前職大統領の見舞いは10日の金泳三(キム・ヨンサム)元大統領に続き2人目。
 金大中元大統領は1980年の光州事件(民主化抗争)を裏で操作したとされ、全斗煥新軍部により陰謀の疑いで死刑を宣告されるなど、軍事政権最大の政敵として弾圧を受けた。しかし、全元大統領が1996年に粛軍クーデターや光州事件と関連し死刑宣告を受けると、「前職大統領の不幸な歴史を繰り返してはならない」と当時の金泳三大統領に特赦を建議。これが翌年の特赦措置につながるなど、2人は悪縁を断ち切り容赦と和解の手を取り合った。全元大統領は金大中元大統領の在任中、通貨危機局面での指導力や太陽政策を高く評価している。

 全元大統領は同日午前11時ごろ、金大中元大統領の病室がある20階に到着するや、李姫鎬(イ・ヒホ)夫人の手を取り苦労をねぎらい、「状態が悪化しているようで休暇中に訪問した」と述べた。また、「金大中元大統領のときが前職(大統領)らが最も幸せだった」「金大中元大統領は外国歴訪後に前職大統領夫婦を招いて成果を説明してくれた」などと褒め称えた。

 続けて、自身も同病院で手術を受けたと紹介しながら、高齢のため時間がかかるだろうが、間違いなく全快して退院するだろうと回復を祈った。

(聯合ニュース)

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http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119277&servcode=200§code=200

朴槿恵氏「父の最大の宿敵」DJを見舞う
中央日報

16日で金大中(キム・デジュン DJ)元大統領がソウル・延世(ヨンセ)大のセブランス病院に入院してから35日目となる。

1カ月以上「見舞い政治」が続き、韓国政治の場は汝矣島(ヨウィド)の国会からこの病院に移された。特に今月10日、DJが危篤だというニュースが流れた後、歴史的な和解と容赦の姿が相次いでいる。ハイライトのシーンのひとつが、15日、朴槿恵(パク・クンヘ)元ハンナラ党代表の見舞いだった。

朴元代表にとってこの日は光復節(独立記念日)以前に母親・陸英修(ユク・ヨンス)さんを失って35年になる日(74年)だ。DJ側は朴氏が病院の20階でエレベーターを降りるまで見舞いの計画を全く知らずにいたという。朴氏は記者が集まっている3階の入口ではなく地下の駐車場を利用した。

朴元代表は金元大統領夫人・李姫鎬(イ・ヒホ)氏の手を握ったまま「ご心配だろうと思います。安定を取り戻しつつあるとうかがって、お見舞いに来ました」とし「ご迷惑になるのではと思って、静かに訪れました」と話したという。

DJは朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領にとって最大の宿敵だった。73年の朴正煕政権時代、中央情報部は日本に亡命中のDJを拉致(らち)したこともある。朴元代表を迎えた権魯甲(クォン・ノガプ)元民主党顧問は「(DJが)在任時代に先に和解と統合の政治を実践したため可能なこと」と述べた。

DJは97年の大統領選候補時代に慶尚北道善山郡(キョンサンブクド・ソンサングン)にある朴元大統領の生家を訪問し、大統領に当選した後「朴元大統領記念事業会」の名誉会長を務め、記念館の建設に200億ウォン(約15億円)の予算を配分したこともある。朴元代表は04年8月、代表になった直後、DJと会い「父の時代に多くの被害を受け、ご苦労なさった点に対し、娘として謝罪したい」と伝えた。

金大中前大統領追悼リレー6

2009年08月24日 | NPO三千里鐵道ニュース
昨日は金大中の国葬をスカパーのKBSワールドでずっと見てた。
5月に非業の自殺を遂げた盧武鉉前大統領の国民葬を思い出しながら、その違いがそのまま二人の違いだなあと思いながら。

この二人の大統領には、実は大きな違いがある。
それは世代の差によるものが大きいのかもしれないけれど、特に政治スタイルに大きな違いがあった。
盧武鉉の遺族関係者が家族葬を望み(これはかなえられなかったが)、故郷の自宅近くに墓地を定めたのと、金大中の遺族関係者が国葬を望み、顕忠院に墓地を定めたことの違いに象徴的に表れる。

私にとって金大中は、どこまで行っても韓国の政治家であり、また先生のような方だった。盧武鉉は、やはり運動家であり政治家になりきれなかったいわば先輩のような感じであった。

いずれにせよ、偉大な政治指導者を二人続けて失ったことに、韓国の現代史の試練を感じる。
ある先輩いわく、「神さまは、まだわが民族に試練を与えようということだ。仕方がない。」と語ったが、そうなのだろう。

先ほど、韓国の友人に電話していろいろ話していた。韓国内でも南北対話の空気が強まってきているとのことだ。
金大中は、死してなお、我が国のために大きな仕事をしたということだろう。

国葬の中で短い追悼映像が流れたけれど、とても金大中の一生を語れるものではなかった。まさに、信念に貫かれた波乱万丈の人生。映像には含まれないことをいくつも思い出しながら、しみじみとその偉大さに頭が下がる。

国葬が終わった後、庭に、忍冬草を2本植えた。金大中のニックネームのその草木である。冬でも枯れることのない草木。
つる性の草木だから手入れが大変だと思うけれど、金大中を記憶するためにと思って植えた。

幸い韓薬でもあって、その草木は乾燥してからお茶として、花は、忍冬酒をつけようと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9

母の話では、何のことはない、この茎や葉をマッコリを作るときに一緒に混ぜたんだそうだ。
ちょっと調べてみたら、「東医宝監」にもその効能がうたわれているようだ。

それと、日本では、なんと徳川家康も愛飲していたというではないか。
いまも、昔ながらの製法で、忍冬酒が製造されている。
これも一度飲んでみたいと思う。

by maneappa


金大中前大統領追悼リレー5

2009年08月24日 | NPO三千里鐵道ニュース

        金曜行動後に、金大中さんの弔問に
            
          名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表
          名工大名誉教授     寺尾 光身


毎週金曜日午前中、品川駅港南口と三菱重工本社前で名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟原告への謝罪と補償を求める街宣、ビラまき、三菱重工へのアピールを行っていますが、昨日はこの金曜行動後に、仲間5人とともに亡くなられた金大中さんの弔問に大韓民国大使館を訪れました。

山手線目黒からメトロ南北線に乗換え、麻布十番下車。強い日差しの影を拾いながら大韓民国大使館へ。門前に警官を含め警備員3、4人。「何か御用?」、「金大中さんの弔問に」

玄関の外と内に黒背広姿の男性が一人ずつ案内に立つ。玄関を入り右手奥突当りの部屋に入る。右手に受付。記帳するとともに名刺をお渡しし、お花を1本受け取る。

正面に清楚な花に囲まれた金大中さんのお写真。その前の長机上の左右に献花台、そして蝋燭が灯り、中央に線香立てと焼香用香炉を兼ねた壺、その脇にお香とお線香が用意されていました。
金大中さんは確かクリスチャンだったと思うのですが、弔問者それぞれの弔意の表し方を尊重する配慮を感じ取ることができました。

私はお線香を立て、手を合わせることなく深々と頭を下げるという、ちぐはぐなやり方でした。KCIAによって日本から金大中さんが拉致されたとき、また死刑判決を受けた時、私たちもいろいろな救出活動をしました。そんなことを思い出しながら、また志半ばで亡くなられた金大中さんの統一と東アジア平和達成への想いが、一日も早く実現するよう、できるだけのことをしたいと思いながら、大使館を辞しました。

心からご冥福をお祈りします。