NPO法人 三千里鐵道 

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写真で見る6.27

2010年06月30日 | 東北アジアの平和
節目になる10周年記念行事を無事終えた。今、ホッとしている。
直ぐにニュースレター編集に取り組まなければ、と焦る気持ちを抑えてまずは簡単な報告を、と思い載せた。
閲覧者の、長い文章は読まないこともある、写真は見るとの声に応えて数枚の写真を載せる。まずは雰囲気など味わって下さい。namsang

この時代の沈清’たちと呼びたい”-'エルファ'訪問

2010年06月30日 | NPO三千里鐵道ニュース
この間、三千里鐡道と急速に交流の深まった韓国統一ニュース編集局長金致寛氏が、6.27行事を終えて京都への取材に赴いた。取材対象はマンガン炭鉱とエルファ、耳塚など。まずはエルファを紹介する。namsang

  
            この時代の沈清’たちと呼びたい”

            在日同胞老人福祉施設'エルファ'訪問

             2010年06月28日(月)京都=金致寛記者ckkim@tongilnews.com

▲写真ー在日同胞密集地域の京都東九条にある'エルファ'事務室内部.
'互いに助けて生きる'という理念が壁に誇らしくかかっている

28日午前日本、京都市在日同胞密集地域の東九条‘NPO(非営利団体)法人京都コリアン生活センターエルファ’という多少長い名前の老人福祉施設を訪問、記者の目を引いたのはこの句が書かれた額縁であった。

2000年創立当時からこの団体を導いているチョン・ヒスン(67才)理事長は、この精神が‘エルファ’の精神だと話した。 ‘エルファ’は‘アイゴ’の反対になる、興じ奮い立たせる感歎詞であり、この団体の略称でもある。 在日同胞老人たちの境遇を'アイゴからエルファに'変えるという意だ。

▲ 35年間総連女性同盟事業をしてきたチョン・ヒスン エルファ理事長に、この事業を始める契機を尋ねた。
するとチョン理事長は“当時同胞生活相談所には、就職相談が一番、次に家族相談が多かったが、その中でも舅姑.実家両親問題が深刻だった”という。こういう問題意識で1999年から老人福祉機関設立を模索することになったし、2000年9月設立総会を開いた。

彼女は“20年前から在日同胞社会も高齢者問題が提起され始めた”とし、“日本人有資格者よりは韓国語と日本語が分かり老人に接してみた経験のある同胞子女らが望ましいと考え、独自のカリキュラムで教育し、今まで116人の‘ホームヘルパー’を育成した”と胸を張った。


エルファは総連の付設機関から出発したが、日本社会の法的要件に合う資格、品格をそなえているので、今では総連はもちろん民団(在日大韓民国民団)所属同胞老人たちと日本人老人たちまで愛用する施設に発展し、京都市の支援金も受けている。

エルファは毎日(09:30-15:30)一日養老院‘デーサービス’を行い、この地域老人120人余りがこのサービスを利用している。25人のホームヘルパーらが家庭訪問して見てあげる‘訪問介護サービス’は、78家庭が恩恵を受けていて、老人福祉機関の模範的事例として評価が高い。

また、1階に用意された障害者共同作業場では25人の障害者らが、ゴマ塩など私たちの食品と菓子を作って納品し自立をサポートしている。

エルファの格別な哲学に立った献身的運営は周辺にも広く知られ、毎日新聞社賞、京都市長表彰状を受けた。 1階廊下には故キム・スファン枢機卿など有名人らが訪問した写真らも並んで展示され、エルファの存在の大きさ、社会的貢献度をひと目で確認することができる。

チョン理事長は“老人福祉事業は社会的問題でもあるので、協力して下さる方々も多い”と語り、特に後援会長の清水寺森清範貫主には謝意を表した。 また、高齢化問題が深刻な日本の他の地域はもちろん、世界各国からもこちらを訪問して運営のノウハウを習っていると語った。

ナム・スンヒョン エルファ事務局長(44才)は“苦労を多くされた在日のおばあちゃんらが笑う時、やりがいを感じる”としながら“日本の福祉制度での死角地帯に置かれている在日同胞らの境遇に胸を痛めこの事業に身を投じた”と話した。

遠い他国で老年をむかえて福祉の恩恵も受けられず、孤独と苦痛を受ける境遇に置かれた高齢の同胞らに暖かい世話を提供しているエルファに対して、記者を案内した南相三三千里鉄道副理事長は“エルファは民族愛、同胞愛に基づき、大変なことをしている”とし、“私はここで働くヘルパーはじめ職員たちを‘この時代の沈清’と呼びたい”と賞賛を惜しまなかった。


三千里鐡道創立10周年討論会開催、'2010宣言'発表

2010年06月30日 | NPO三千里鐵道ニュース
三千里鐡道創立10周年討論会開催、'2010宣言'発表

2010年06月27日(日)23:38:36名古屋=金致寛記者ckkim@tongilnews.com

日本植民地支配、"国会決議による謝罪必要"

27日午後2時日本、名古屋市名進研ホール3階講堂で開かれた‘三千里鉄道結成10周年記念討論会’で。在日朝鮮人文学の権威者の日本人磯貝治良三千里鉄道副理事長は
“日本政府は戦後植民地支配と侵略の責任を回避してきた”としてこのように話した。

磯貝副理事長は“2010年は日本帝国が韓国併合に関する条約を大韓帝国に強制して100年になる”として‘村山談話’や‘細川談話’等植民地責任を認める個別的発言はあったが国家次元の公式的謝罪はなかったと指摘した。

彼は“日本は一貫して朝鮮半島の分断を固定化させる政策を行ってきた”として“朝鮮と日本の関係が正常ではない”と指摘、“市民らからこの非正常を正すための行動に起こさなくてはいけない”と主張した。

彼は“特に新しい世代は植民地時代を理解できずにいる”として“日本人の責任をまた調べようという運動が今起きている”と紹介した。

名古屋を中心にする東海地方でも‘韓国併合100年東海行動’をはじめた。通りでの広報活動を広げ、'日.韓民衆共同宣言'も準備していると明らかにした。

合わせて“日本の近代国民国家形成過程が、朝鮮半島侵略と台湾、さらにアジア侵略過程だった”として、日本の韓半島植民地化の始発を1910年の韓日合邦より遡って1850年吉田松陰の‘征韓論’を基点としなければなければならないと主張した。 日本の韓半島侵略は155年の歴史があるということだ。

康宗憲韓国問題研究所所長は“東アジアに米軍基地は日本と韓国にしかいない”として“米国の‘抑止力神話’になぜまだ待ちこがれているか”と批判し、“国内に基地(駐日米軍基地)を置き、戦時作戦統制権を委ね主権まで任せる”状況を嘆いた。

最近事例で日本高等学校とは違い授業料無償化措置から排除された‘朝鮮学校’問題を取り上げ論じた。

康宗憲氏は“国連人権宣言にもすべての人間は教育を均等に受ける権利が明示されている”として“これは日本の問題であり、北朝鮮や総連の問題でない”と話した。

また“日本も外国に学校をたくさん作ったし、解放直後には平壌にも日本人学校があったが財政支援も受けて運営された”と具体的事例を挙げ反論し、“日本と朝鮮の和解第一歩は朝鮮の子供たちを教育で差別しないこと”と主張した。

ト・サンテ三千里鉄道理事長は“日本人や祖国にいらっしゃった方々ができないことを在日同胞が率先してすること”、“幼い時から豚を飼育しながら育った”と想起、今後北側で養豚舎業をしたいと話した。

ト理事長はサッカー選手チョン・デセが国籍は韓国だが北朝鮮旅券を持っているとしながら“南側には南のパスポート、北側には北のパスポートをくれといって、38度線を堂々と行き来したい”と話した。

チョン・セヒョン前統一部長官は“日帝治下で独立闘士らは独立運動が民族構成員であったから独立運動をした”とし、“私たちもそういう姿勢でイ・ミョンバク政府の対北朝鮮政策転換を促していかなければならない”と主張した。
さらに“日本で三千里鉄道のような海外統一運動団体らの声が韓国にまで響きわたるならば大きい力になるだろう”と話した。

韓半島平和フォーラム共同代表のイム・ドンウォン前統一部長官は去る3月韓半島平和フォーラム関係者たちが訪日し、日本民主党議員らと面談を持って日本人拉致問題に対する立場を伝達した事例を挙げて“日本人拉致問題解決の糸口が見つかってこそ、韓半島平和も可能だ”と指摘した。

参加者らは'三千里鉄道2010宣言'を採択して"私たちの三千里鉄道は海外同胞の立場で私たちの祖国の平和と統一の大道を歩く"としながら"北域緑化、養豚事業支援など具体的な行動で寄与する'で明らかにした。


韓基徳三千里鉄道事務局長の司会で開かれたこの日の討論会には、発表者らの他にもイ・ボンジョ前統一部次官と近藤昭一衆議院議員、ユン・ヨンギル在日コリア協議会理事長、リ・ハンス祖国平和統一協議会会長、チョ・キボン韓国民主統一連合愛知県代表、キム・ヨンチョル多文化共生センター北九州理事など130人余りが参加した。

チョン・セヒョン

"保守層結集して権力維持しようとしている”

‘東北アジアの平和に向けて’という題名で開かれた討論会には、イム・ドンウォン、チョン・セヒョン前統一部長官とイ・ボンジョ前統一部次官など‘大物’が参加し目を引いた。

特にチョン・セヒョン前長官は参加者らの集中的な質問攻勢を受けた。

チョン・セヒョン前長官は
“天安艦事件以後‘戦争’という単語が普通に語られている”とし“保守言論らは反北朝鮮情緒を高揚しながら和解協力.平和繁栄の南北時代を閉ざし、反目対決.戦争も辞さないの南北関係時代を開いていこうとしている”と憂慮を表わした。 “南北関係は30年前新軍部初期状態だ”と診断した。

特に“イ・ミョンバク大統領と周辺参謀らは北朝鮮を共存と統一のパートナーまたは、交渉の相手として見ていないようだ”とし、“今後の南北関係は短期的に悲観的”と暗い展望を出した。

彼は現政権が6.2地方選挙で表出された民心にもかかわらず、対北朝鮮強硬政策を維持する背景に対して、“経済を犠牲にしても保守層を結集して権力を維持しようとするのではないか”という憂慮を表明した。

彼は“私たちはイ・ミョンバク政府の対北朝鮮観と統一哲学の変化を誘導する運動を積極的に行わなければならない”としながら“平和的な市民運動と世論造成”の重要性を強調した。 ‘日帝治下独立闘士らの独立運動’のように、“イ・ミョンバク政府が6.115宣言と10.4宣言を尊重して履行するように促す民間運動を積極的に展開していかなければならない”と訴えた。

特有のユーモアで笑いを誘いながら彼は
“戦作権返還が2012年4月で確定、しかし3年以上延期するよう米国にすがっている”として“国権が制限されても抑止力だけ保証されれば良いという態度”と批判した。

この日討論会に先立ち三千里鉄道はハンギョレ統一文化賞授賞を再度授与、イ・ボンジョ前次官が審査委員資格で‘審査経過報告’を、ハンギョレ統一文化財団理事長のイム・ドンウォン前長官がト・サンテ理事長に賞牌受賞を授与した。夜はホテルに移って祝いの晩餐会で楽しいひと時を過ごした。