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“ハン・サンニョル牧師北朝鮮訪問”

2010年06月13日 | 南北関係関連消息
北通信“ハン・サンニョル牧師北朝鮮訪問”

統一部“北朝鮮訪問申請なく,交流協力法違反”、
ハン牧師“統一ために命を賭けて平壌にきた”

2010年06月13日(日)イ・ケファン/キムチ観記者tongil@tongilnews.com


韓国進歩連帯常任顧問のハン・サンニョル牧師が12日北朝鮮を訪問した。 去る5日出国して中国を経て平壌に到着したと分かった。

<聯合ニュース>によれば北朝鮮<朝鮮中央通信>は12日発で“南朝鮮統一活動家ハン・サンニョル牧師が平壌(ピョンヤン)に到着した”と報道した。

ハン・サンニョル牧師は6.15民族共同委員会が6.15共同宣言10周年記念南北海外共同行事を平壌で推進、だが南側当局の不承認で失敗に終わると、すぐに政府の承認なしで北朝鮮訪問を決行した。

13日統一部関係者は“北朝鮮訪問申請入ってきたのがなくて、北朝鮮訪問が合うならば政府承認なしで北朝鮮を訪問したことであるから交流協力法違反だ”として“帰ってくれば法により処理することになるだろう”と明らかにした。


韓国進歩連帯関係者は"私たちもマスコミの報道を通じて報せに接した"として"個人的決断で決行したことで知っている"と伝えた。

一方、ハン牧師の今回の北朝鮮訪問は、1989年政府の承認なしに北朝鮮を訪問し社会的波紋を起こしたムン・イクファン牧師の行跡を連想させる。

ハン牧師は2006年<統一ニュース>とのインタビューで“パク・ヨンギル長老様から2003年度8月2日に文牧師のトゥルマギ(韓国外套)を頂いた”としながら“(この時から)私も晩春ムン・イクファン牧師のように生きようと決断した”と告白していた


★ぼくの記憶が正しければ、1980年5月の光州で彼は指導者の一人。その後、全斗煥から指名手配され転々と逃亡生活を!
その彼が6.155周年愛知県集会にて参加者に呼び掛けた。統一しますか?団結しますか?一つになりますか?と。そして参加者は大合唱で、はーいと呼応した。
今回の北行きは、決死の覚悟で臨んだ。直前に5.1830周年に光州で断食をしていた。先に逝った同志たちと対話しながら…。そして決断し、北行きを神の御心と受け止め、一人決断し決行した。誰とも相談することなく、妻には遺言のような言葉を残して…。
林東源先生がテグ市で語られた内容、ハンサンヨル牧師の覚悟の行為…、このような愛国者がいる限り、わが民族の未来は決して暗くはない。namsang






ハンギョレの謝罪にも, 新聞購読止めたユ・シミン

2010年06月13日 | 管理人のつぶやき
ものを書く、報道することの怖さを思い知らされる。以前当ブログ「ハンギョレよ、お前もか」のタイトルに、寂しさをにじませたカキコが妙に記憶に残っている。
23年前、80年代民主化のうねりの中で、民衆による民衆の新聞として発刊されたハンギョレ、海外にいながらもこのハングルの新聞名にどれほど心躍らせたことか!
先日この新聞社で統一文化賞の受賞式があったばかり、財団の父とも言われる故金哲浩先生は「骨には色はついていない」と資産を拠出した。
そして現在、前ハンナラ党鄭モンジュン代表も大株主の一人、大手の広告主にも財閥の名があがる。…でも社屋の隅々に、記者たちの心の奥底に、ハンギョレ魂が生き続けるであろうと信じたい。namsang


          ハンギョレの謝罪にも, 新聞購読止めたユ・シミン

         <‘奴ヒョン’カン商売を越えろ>記事に対する抗議

        2010年06月12日(土)キム・スジョン( rubisujeong@mediatoday.co.kr)

ユシミン前保健福祉部長官が、23年購読してきたハンギョレを切った。

ハンギョレが去る11日‘ハン・ホング-ソ・ヘヨンの直説’で盧前大統領を卑下する表現を使ったのに伴ったものだ。

ハンギョレはこれに関連して12日“故ノ・ムヒョン前大統領を卑下する表現をそのままのせたという読者らの指摘があった。 “不適切な表現で傷つけたことに対して、深い謝罪の言葉を申し上げる”として謝った。

ユ前長官は12日自身のツイッターを通じて“ハンギョレ、暗闇の中の灯だった新聞が今はもう違うようだ。 消費者として胸が痛い、お別れをした”と明らかにした。 彼は“毎朝インクの臭い漂うその新聞を開くことが日常の喜びであった”として“その喜びを喪失することが非常に哀しい”と話した。

問題になった記事は、ハンギョレが去る11日33面に載せた<DJ遺言統治と'奴ヒョン'商売を越えろ>だ。