弁天小僧菊之助 (伝法院東通り) 2009-01-11 07:49:06 | Weblog 忠信利平 白波五人男を見つけました。浅草寺仲見世と交差する伝法院通りの東商店街に現 れました。二人見つけましたが、残りは未だ楽屋のようですね。 先ずは忠信利平。月の武蔵の江戸育ち、幼児の折から手癖が悪くという台詞で始 まります。日本駄右衛門も認める元浪人の剣の達人です。 弁天小僧 さてその次は江ノ島の岩本院の稚児あがり、ふだん着慣れし振袖から、髪は島田 に由比ガ浜・・弁天小僧菊之助と決めますね。
泳げ鯛焼きくん 2009-01-10 07:49:58 | Weblog お目出度いタイヤキくんです。全長約15センチメートル、尾っぽまであんこが ぎっしりの美味しいタイヤキです。 駅のエスカレーターで改札階へと上がりますが、たまには脚を鍛えようと階段に 行くと「たい夢」というお店が出ていました。小倉、クリームなど各種の餡があり ましたが、やっぱり小倉が一番。120円です。今年は不景気だの大合唱ですが、 負けないで泳ぎましょうデス。
大相撲一月場所 (両国国技館) 2009-01-09 07:57:38 | Weblog 風にはためく幟旗。両国界隈を歩く力士の姿を見ると、本場所の雰囲気が盛り上 がりますね。話題の新大関日馬富士はどうでしょうか。 横綱審議委員会のけいこ総見では、白鵬は貫禄充分らしいけれど、朝青龍はどう もキビシイ評価です。新聞各紙も一斉に「朝青ピンチ」の見出しで、なんとかかん とかダメだしをしています。出るか出ないかなどと言ってますが、今朝のニュース では「出る」そうです。出るからには頑張ってよ。
浅草寺の賑わい 2009-01-08 07:44:22 | Weblog 浅草寺も人がいっぱいでした。元旦から三日まではさぞ混雑したのではと、勝手 に心配したりです。仲見世から宝蔵門への参道は、何時もとちょっと違う雰囲気で したよ。外国の方が少なかったせいでしょうか。 賑やかに大声で話し合う人が少なかったのです。外国の方もいましたが、私が見 つけたのはどうも北欧系の方と見受けましたね。素晴らしい金髪で、素晴らしい体 格の女性とその夫(と思う)と子供さんです。なぜ北欧系か?イングリット・バー グマンにそっくりだからです。正月から目の保養をしました。
出店もたくさん 西新井大師 2009-01-07 07:41:16 | Weblog 初詣の人々もいっぱいでしたが、出店もたくさんありますね。 西新井大師の駅から右へ廻って参道にすすむようになっていますので、まことに ゆっくりとした進行になります。その間にはお店がいっぱいです。家族で来た人は 「休みましょう」と言い出すのもいて、「それではモツ煮でも」となるわけです。 恒例の縁起物ダルマさん、婦人の衣類、焼き鳥まで各種そろっています。 今年は日暮里ー舎人ライナーが開通して、「大師西駅」ができましたので、初 詣もやや増えたのではと感じます。
西新井大師 (足立区) 2009-01-06 08:14:22 | Weblog 今年も人出はいっぱいでした。噂の「縁結びリング」はどうかと思いましたが、 人の波に押されて矢印通りに進んで参拝しました。 ここの境内の出店で買った指輪をしたら、いい人と縁を結ぶことができたという 娘さんが友達に話す。その人がブログに書いて発表する・・で噂は噂を呼んで新聞 記事にもなった。西新井大師にも問い合わせが殺到、大師さんは否定したけれど女 の噂にはかなわないのが真相らしい。境内の弘法大師さんが「もっと真面目にやり なさい」と言ってるように見えますがね。
榛名神社 (氷川神社境内) 2009-01-05 07:32:52 | Weblog 氷川神社の本殿左側奥に「榛名神社」があります。鳥居には榛名神社とあり、溶 岩のような岩石が5m以上も積み上げられ、小山のようになり、富士塚の碑が建っ ています。 「危険 絶対に山登りをしないで」と立て札があります。登って怪我をした人が いるのでしょうかね。簡単には登れそうにないですが。
氷川神社 (足立区保木間) 2009-01-04 08:07:16 | Weblog 地元の氷川神社を参拝してきました。年々参拝者が増えているように感じていま す。この神社は江戸時代、保木間・竹ノ塚・伊興三村の鎮守で「伊興氷川社」と称 していました。明治5年に分離して氷川神社と改めました。 保木間の地名は、平安末期に西国の武士が木の柵を設け、田畑をおこしたことに よると伝えられます。狛犬さんの口がやけに赤いですね。
浄光寺・雪見寺 (西日暮里) 2009-01-03 08:11:54 | Weblog 山門をくぐって左手に、高さ約3mの銅造地蔵菩薩像があります。元禄四年 (1691)空無上人の勧化により開眼されました。 浄光寺は、真言宗豊山派の寺院、法輪山法憧院と称し、江戸時代までは諏訪神社 の別当寺でした。元文二年(1737)、八代将軍吉宗が鷹狩の際に立ち寄って、後 に御膳所となり、境内に「将軍腰掛けの石」があります。 眺望すぐれた諏訪台上にあり、特に雪景色が素晴らしいというので、「雪見寺」 とも呼ばれています。
被官稲荷社 (浅草2丁目) 2009-01-02 08:31:17 | Weblog 安政元年(1854)に新門辰五郎の妻が重病にかかり、京都の伏見稲荷に祈願し てめでたく病気全快したといいます。 翌年、お礼の意味を込めて伏見から祭神を勧請し、稲荷社を創社して被官稲荷社 と名付けました。名前の由来は「出世」と解するとのことです。おキツネさまがず らりと勢ぞろいしています。今年も宜しくお願いします。