説明によると「はなし塚」を建立したのは昭和16年10月です。太平洋戦争が
はじまる直前のことで、戦時色が濃くなったころです。各種芸能団体は、演題種目
について自粛を強いられていた時代でした。
落語界では演題の中の花柳界、酒、妾に関する噺、廓噺等53種を選び、禁演落
語として発表、自粛の姿勢を示しました。名作「明烏」「五人廻し」「木乃伊取」
等もダメでした。
はなし塚は、これら名作と落語界先輩を弔うため、禁演落語の台本等が納められ
ました。戦後、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、納められていたものに替えて、
戦時中の台本などが納められました。この本法寺の塀にはそうそうたる落語家の名
が彫られています。