伝承によると文化年間(1804~17)に、この地の住人で雨合羽商の合羽川
太郎(合羽屋喜八)という人物がいました。この付近は水はけの悪い低地で、雨が
降ると洪水になり、人々は困窮していました。川太郎は私財を投じて排水のための
掘割工事にとりかかりました。この時、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が
工事を手伝い、掘割工事が完成しました。
この河童を目撃すると商売繁盛したといいます。この伝承が「かっぱ寺」という
通称の由来であり、合羽橋交差点の付近にあった「合羽橋」という橋の名も、この
伝承に由来するといわれています。
れっきとした禅宗のお寺である曹源寺には、河童大明神の社(写真上)とお墓と
伝える石碑があり(写真下)「てつへんへ 手向けの水や川太郎」という句が刻ま
れています。(台東区教育委員会)