浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地、すなわち天領から年貢米や買い上げ米など
を収納保管した倉庫です。大坂、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵といわれました。ここのお
米は、主として旗本、御家人の給米用に供され、勘定奉行の支配下に置かれました。
江戸中期から幕末まで、浅草御蔵の前を「御蔵前」といい、蔵米を扱う米問屋や札差の店が
たち並んでいたといいますね。現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは昭和9
年だったそうです。
ここから東へ進むと蔵前橋で、開業間近い東京スカイツリーがスッキリと見えています。左
手前に見えるのはライオン本社ビルです。
最近町名が変わってますが残していきたいもの
蔵前と言えば 国技館が思い出されます。
蔵前仮設国技館は昭和25年から、本建築が
完成したのが29年、昭和59年9月まで
此の地でやっていましたから。
なつかしいですね「蔵前国技館」。