啄木(1885~1912年)が滝山町の朝日新聞社に勤務したのは、明治42
年12月から45年4月13日、27歳でこの世を去るまでの約3年間でした。
短い生涯の大半を放浪のうちに過ごした啄木は、彼に冷淡であった故郷をなお思
い、優れた望郷の歌を数多く残しました。「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃の
いそがしさかな」歌碑に刻まれた歌です。(資料は中央区)
参考までに述べますと、滝山町は現在の銀座6丁目。銀座八丁として整理される
までは、竹川町、出雲町、三十間堀町、元数奇屋町、守山町、金春屋敷などがあ
り、4丁目の交差点辺りは尾張町の辻と呼ばれていました。
昔ながらの町名のほうが
まちの成り立ちが 分かっていいですね。
旧町名を廃止したのは、地名が
細かすぎると、郵便配達にも
手が掛かるし、役所も面倒だから
ということなんでしょうねえ。
でも、いまでは 郵便番号ひとつで
位置がすぐ判るんですから、
旧町名を 復活させても
いいんじゃないでしょうか。。。ね
もとに戻す「勇気」と「根気」あるかですね。