後ろの柳が芽を出しました。立て札の説明によると、昔、迷子が出た時にはこの
石碑でその旨を知らせました。石碑の正面に「南無大慈悲観世音菩薩」と刻み、一
方に「知らす方」、一方に「たづぬる方」とし、それぞれに用件を記した貼り紙で
情報を交換しました。情報未発達の時代には重宝され、「江戸」市内の繁華な地に
建てられものの一つです。
安政7年(1860)3月、新吉原の松田屋嘉兵衛が、仁王門(現宝蔵門)前に造立
しましたが、昭和20年の空襲で倒壊したため、昭和32年に再建されました。大
変貴重なものですね。