迷宮映画館

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すべては愛のために

2003年12月11日 | さ行 外国映画
1984年、ロンドンで難民救済基金のオーナーをたたえるパーティが派手に行われていた。そこに突然乱入してきた男は、難民の男の子を連れ、現在のエチオピアの状況をみなに説明し、支援金の打ち切りを何とか止めてくれるように頼んだ。国境なき医師団(多分)のニック・キャンベル博士だった。しかし、パーティにいる彼らにとって、所詮遠い空の向こうのこと。博士は捕らえられ、男の子は強制送還させられることになった。余興の一つのように扱われた出来事だったが、そこにいた若きバーフォード夫人には一生を変えるショッキングな出来事だった。

サラ・バーフォード。結婚したばかりの裕福な令夫人。しかし、あの難民の姿を見て、何とかしなければならないとの自分の突き上げる欲求から、私財をなげうって、エチオピアに行くと言い出す。夫のヘンリーは笑うが、その真剣なまなざしに負けて、協力することを約束する。そして、エチオピアの難民キャンプに。想像を絶する状況に愕然とするサラ。飢え、病気、ばたばたと死んでいく人たち。甘いヒロイズムなど、簡単に打ち崩された。自分もUNHCRに加わり、難民救済に加わることを決意して帰ってくる。

5年後、医師団はカンボジアで活動していた。ニック・キャンベルに強く惹かれていたサラは、支援物資を自ら運んで、カンボジアに行く。しかし、カンボジア軍とクメール・ルージュの激しい勢力争いに巻き込まれ、彼等の活動は悲惨な結果を迎えてしまう。そして、サラとニックの間にも、劇的な展開が待っていた・・・。

国連難民高等弁務官(UNHCR)によると、現在世界にいる難民、UNHCRの救援対象者は2000万人だそうだ。2000万人という膨大な数字に驚かされるが、これらを地道に救済している人たちがいる。その精神には本当に頭が下がり、こういう人たちが活動している限り、まだまだ人間も捨てたもんではないとも思うが、一方で、紛争は絶え間なく続き、次々と新しい難民を生み出しているのも事実だ。人間の矛盾。いかんともしがたい事実。その難民を真正面からとらえ、そこで活躍する国境なき医師団の活動を描いたのがこの映画だ。

支援に頼って活動している実態がよくわかる。しかし、実際にその支援が、一番困っている人に届いているかというと、そうでもない。政府が口を出し、力を持っているものが途中で搾取する。何とか本当の援助を行うためには、自分の信念に背くこともしなくてはならない場合も出てくるのだろうか。何とかして活動を続けるためのジレンマがそこにある。その辺の描き方はとっても丁寧で、わかりやすい。

一番圧倒されたのはカンボジアでのクメール・ルージュと対決のシーン。支援物資を運ぶために、カンボジア軍に賄賂と武器をわたなさないといけない。それを見つけたクメール・ルージュが彼等のところに乗り込んでくるが、そこでのあまりの哀しいシーンに見続けることが出来なかった。画面から目をそらさずにはいられなくなってしまった。あまりにつらい、厳しいシーンだった。

しかし、はっきり言って邪魔だったのが愛のお話だったような。お嬢様のサラが、ニックにどんどん惹かれていく気持ちはよくわかる。でも、あの展開じゃどうしても納得いかないでしょう。89年のカンボジアの行く前の状況。夫婦の気持ちはすっかり離れ、亭主は仕事もない。サラに行かれた後はどうなったの?と思わず突っ込みを入れたくなった。そのあと、突然95年のチェチェン行き直前になるのだが、家は立派になってるし、なんだか、和気あいあい。余計な説明をいれずに展開を飲み込んでくれとの描き方だが、それではちょっと不親切なような。なぜ、そのような飛び飛びの展開で、サラの亭主のヘンリーの気持ちが置いておかれるのかというと、「すべては愛のために」になってしまってるから。

「Beyond Borders」を言いたいのなら、愛はもちっと抑えてもいかったかな。いや、そのBordersは国境だけじゃなく、すべての垣根を越えたもかもしれないけど、あれじゃやっぱりヘンリーが可愛そすぎ。題名に惑わされるわけではないが、一番描きたかったのは、国境なき医師団、UNHCRの地道な活動、その啓蒙だろう。それはまったく知らない人には非常にいい教科書になった。そこにもっと力点をおいてくれないと、焦点がぼやけてしまう。活躍するサラを見てると、「あれ、ララ・クロフトだっけ?」と見まごうことしかり。でも、力強い作品に間違いなし。見ることお勧め。

『すべては愛のために』

原題「Beyond Borders」 
監督 マーティン・キャンベル 
出演 アンジェリーナ・ジョリー クライヴ・オーウェン 2003年 アメリカ作品


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