迷宮映画館

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人間万事塞翁が馬 その5

2022年01月31日 | 日記
 残念ながら、もう帰ってくることはない。これは揺るがない決定事項だった。不謹慎すぎるけど、家の片付けにかからないとならない。なぜか?Jがすべて家でやることにどうしてもこだわる。今時、セレモニーのありがたさを重々身に染みてるはずだが、通夜その他を家でやると言って聞かない。え?んじゃ、誰がこのぐちゃぐちゃのものだらけの家を片付けるんですか?あなたできます?歩くのもおぼつかず、心臓に爆弾を抱え、ちょっと動くとぜーぜー言ってるJが、絶対に家で!と頑として聞かない。いくら説得してもダメ。ありえない!!私の相方も当初は自分の父の頑として聞かない状況に抵抗してたが、あまり自分のことを主張しない人が、こんだけ言うんだから聞いてやっか・・・になってしまった。えーーー、んじゃこれから片付けをするわけですね。はい、頑張ってください~。

 ここから怒涛の片付けの日々が始まった。何一つ物を捨てらない昔人。あの年代の人が捨てられない性質なのは知っている。私の母で十分に知った。なんでこんなものまで取っておくんだ!!というものまですべて取っておく。実家は商売をしていたので、倉庫があったのが敗因だった。私の小学校からの成績表までありましたよ~。

 なんでもそこに置ける。そこはしようがない。しかし、このうちにそんな余裕はない。彼女のものがありとあらゆるところにある。ちょっとの隙間にいろんなものが詰まっている。20年前まで勤めていた会社のものまである。かばんは数知れず。中身の判別がつかない瓶に詰まった何か。漬物石だけで10くらい。ありとあらゆる書類、数十年分。タンスからはみ出た服がコンテナに山積み。靴は数えとけばよかった。35リットルの袋にたっぷり4つ。帽子がざっと20。頭一つしかないんだけどな。すべてゴミ。どう見てもゴミ以外に考えられないものまですべて取っておいている。家にいる間にちょっとでも片付けようものなら、烈火のごとく怒りだした。「全部、使うんだ!」家にいる間に手を付けることは一切できなかった。洗濯物を干すのに必要だと言い張り、クリーニングのハンガーが20本くらいある。半分くらい処分しようと思ったら、曲がった針金ハンガーを「使うんだーー!」と言って、一個も捨てさせなかった。困っていたものをやっと片付けることができた。

 とてもじゃないが恥ずかしく言えないようなものまであきれるくらいにあった。それらをせっせと片付ける。というか、ゴミに出す。ゴミ収集所の方に本当に申し訳ない。コンテナで捨てる方法もあったが、あまりの量でコンテナがあっという間にいっぱいになることは目に見えている。面倒だがせっせとちまちま分別しながらゴミを生産する毎日だった。その間、相変わらず自分の具合は悪い。なかなかの激務で疲れるのもしようがないとあきらめていた。

 そして入院してから約3週間。10月も下旬に入っていたころ、その日がやってきた。「息が止まりそうです」という電話。3人でとるものもとりあえず病院に向かう。ここでまたJが変なことやりだした。毛布を持って、自分がBを抱いて帰る!という。はーーー。処置なし。自分が歩くのもおぼつかないのに、どうやって抱いて歩けるの?葬儀屋さんなんか、呼んだってさっぱりこないから待っているのヤダ。抱いて帰ると。こんなトンでもなことを考えてる、ということはこっそり知っていたが、スルーしていた。いざ病院に向かうとき、本当に毛布を持ちだしたので、相方と二人で「絶対に無理!!何考えてんの!そんなことできるわけないべ!!!」と。ここだけは絶対に譲れないと言い張った。しぶしぶあきらめたJ。病院行って本人も分かったと思うが、その行為は絶対に無理なことであった。病室に行くと、すでに息はなかった。我々が行ってから医者が宣告をした。

 そこからは怒涛の葬式までの道。家の中はおかげさまできれいに片付いていた。障子もみんな張り替えてもらった。何が来ても怖くねーぞっと。次々来るお客様に隅々まで心配りをしてくれる葬儀屋さん。入れ替わり立ち替わり人がやってきて、疲れる疲れる。本当にヘロヘロ。んーー、弔問の人も多そうだし、いろんなことを考えて喪服は着物にしたほうがいいかも。。。と思ってチェックした。がーーん!なんとまあ、草履の右左が違うのを持ってきてた。実家からパッと持ってきたとき、姉のとごちゃごちゃになっていたよう。あちゃーー、これはやばいじゃん。途中間があったので実家に草履の片っ方を取りに行く。相変わらず具合はよくないので、息子と一緒に行って、運転もしてもらった。

 さて、葬式当日。何が何だか思い返す暇もなく乗り越えた数日間。もうぐったり。真面目に疲れてる。時間があっても映画を見に行く気持ちも起きない。なんでこんなにいつまでも具合が悪く、疲れが取れないんだろう。でも、葬式の後も初七日のお参りや、まだまだお客様も来る。ちょっと早めの納骨もあるし、毎朝御膳も上げないとならない。そんなこともしながら仕事も復帰。

 11月になってやっと落ち着いてきた。相変わらず具合は悪い。いつもだったらひと月に一回必ずかかりつけ医に行って診てもらっているのだが、9月の診察の時に、1か月後くらいにこの騒動が来そうだと思って、薬を多めに出してもらって、いつも行く内科に行かないで済ましていた。その間、いよいよ根本的なBのものの片付けをしながらだ。これだけ服を持っている人を見たことがない。いや、イメルダ夫人なら負けないと思うけど、同じような服だけ20枚もあるってどんな人?ジャンパーだけで10枚。どれもみな同じような色で同じようなデザイン。なぜにこんだけある?どれだけ処分したかわからないくらいにあったが、これだけこだわりが強く、何十年前のものを一切捨てずにいたのは何なんでしょう。理解に苦しみます。

 11月半ばになって、職場の健康診断が予定されていた。パートのおばちゃんだけど、市からの委託業務なので、こういったことはきちんとしている。しばらく医者にも行ってないから、この具合の悪さで何か言われるかな~と思いながら受診。午前中で終わったが、速報をもらえる。チェック事項があった場合、すぐに教えてくれるのだ。結果、貧血がひどいので、なるべく早く診てもらったほうがいい、と。そうか、そうだったのか。この疲労感は血が足りなかったからだ。ものすごく納得して、そろそろ行かねばならない内科に行った。前回の検査よりも、赤いほうの血の値が半分くらい。これはひどい。まず原因を調べないとならない。ここから怒涛の検査が始まった。

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