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マン・オン・ワイヤー

2009年09月23日 | ドキュメンタリー映画
文字通り、ワイヤーの上の男、綱渡りの男の話である。フランス人のフィリップ・プティ。名前はかわいいのだが、やることは剛胆だ。ノートルダム寺院の二つの塔のてっぺんにワイヤーを張って、そこを歩く。あるいは、シドニーのオペラハウスの手前にある、ハーバーブリッジにも綱を渡して、悠然と歩く。見上げるような高さを歩くのだが、見上げる人をしり目に、フィリップは淡々と歩く。

ジャグリングが得意だった彼は、あるとき綱渡りをして見事に成功、その魅力にとりつかれたらしい。綱を渡るときは、とにかく集中する。当たり前だ。落ちたら命はない。ヒトは誰でも集中することはあるが、これほどまでに集中力を要するものも、そうはないのではないかと思うくらいに集中する。その気迫は、見る者を圧する。

綱を渡るのは一人だが、ビルや寺院に綱を張り、渡ることを当局が許可するわけはなく、こっそりと、迅速にやるしかない。当然、この泥棒まがいのことを一人でやることはできない。こっそりと機材を運び、塔と塔の間にワイヤーを張り、それを安定させないといけない。これには仲間が必要だ。それがフィリップの支えにもなっていた。

次々と難関を乗り越えたフィリップは、ある日、アメリカに世界最高層のビルが建てられることを知る。それもツインタワーだ。これはまるで自分のためのビルではないか。どうしても渡りたい。高さ400mを超える空中を渡る・・・。無謀にしか思えない計画だが、彼はそれをやるために、行動を始める。

映画の冒頭は、このビルに入るところから始まる。まるで、銀行強盗か、ビルやぶりでもするかのような緊迫した様子だ。綿密に計画をたて、身分証を偽造し、100キロを超える機材をこっそりと運び入れる。ヒマラヤに登るよりも、至難の業と思うような難しさだ。

ビルに侵入し、高層階に昇ってもそれからが大変だ。いたるところに警備員がいるが、怪しまれたら終わりだ。身をひそめ、息を殺し、警備員がいなくなるまでじっと待つ。数時間のことだが、永久と思えるくらいの長さだ。

問題は、ワイヤーの張り方。どうやって一方のビルから、片方のビルにいかに短時間で渡すことができるか。ここは非常にアナログなやり方だが、まるで職人技だ。何と弓矢を使う。矢を向こうのビルに飛ばし、そこに細い糸をつけて、徐々に太い糸に変えていき、ワイヤーを張るのだという。そのワイヤーの重さたるや、・・・・。

ひとつ、ひとつ難問をクリアして、いよいよ綱を渡る段になる。はるか400mの高さで、フィリップは悠然と綱を渡る。はたして、地上から見えるのか?風は?落ちたら?そんな疑問はどこ吹く風で、彼はワイヤーを行ったり来たりして、果てはワイヤーの上で寝そべっちゃうという大胆不敵なことをしてしまう。いつものようにものすごい集中力で、(当たり前だが)、とんでもないことをしてるが、どこか楽しそうだ。

そろそろ世の中は騒然としてきて、当然のように警察が出動し、彼を何とか収容しようとする。しかい、ワイヤーの上でフィリップは天下無敵だ。誰も彼のところに近寄ることはできない。周りで、手をこまねいてみているだけだ。いや、痛快だ。
 
さて、渡り飽きたか、周りの人間を哀れに思ったか、フィリップはビルに戻ると、いつものように御用となり、凶悪犯人かのようにお縄をかけられ、パトカーで、連行される。罪状は不法侵入と、騒乱罪あたりか。当のフィリップはさっぱり悪びれた様子もなく、晴れ晴れとした様子でパトカーに乗り込む。そこに次々とマイクを向け、一様にリポーターたちはこう聞く。
 「WHY?」
理由を求め、答えを追及しなければならないのがいかにもアメリカ的だ。その様子をフィリップは、「理由なんかないさ」というのだが、その答えでは、アメリカ人たちは納得しない。

何をするにも理由をもとめ、意義を定義し、敵を見つけ、根絶する。アメリカという国を象徴しているかのようなリポーターたちの質問だった。理由はない!ではだめなのだ。好きだから・・とか、登りたかったから・・・では許されないのだ。

理想の姿であるべきであるということは、とっても大事だが、こうあるべきが、いつの間にか、こうでなければならない、そうでないものは排除されなければならない・・・になってしまってはいないか。ワイヤーを渡ったのは七四年のことで、三五年も前のことなのだが、そこからかの国は、同じところにいるままだ。

今はなきワールド・トレード・センター・ビル。何度も何度も崩れ落ちる様子を我々は見せられ、目に焼き付けられたが、この映画の中で、崩れ落ちる様子はわずかも出てこない。写されるのは、徐々に組みあげられ、ビルがつくられ、出来上がっていく様子だ。

崩れ去った理由を求め、徹底的にその根っこを根絶し、自分たちの正義を正当化するための絶対の象徴のビルの崩壊。それをかけらも見せないで、ビルがないことを思い起こさせたこの映画は粋だ。

◎◎◎◎

『マン・オン・ワイヤー』

監督 ジェームズ・マーシュ
出演 フィリップ・プティ ジャン・ルイ・ブロンデュー アニー・アリックス


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8 コメント

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そうなのです (KLY)
2009-09-23 23:29:21
渡ることは無論許される訳はないのですが、当
然その準備だってダメな訳です。故にその準備
段階のエピソードが非常に興味深かったです。
仰るとおり、綱の張り方も通常の場合ですら知
らないことですから。
警察官の証言「こんなことは一生に一度きりだ」というのか偽らざる感想が印象的でした。
そうなんですよね、今はもう無いんですよねぇ。
アメリカではどう受け止められたんでしょうか。
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>KLYさま (sakurai)
2009-09-24 08:23:04
どうやって、向こうのビルに綱を渡すかで、色々悩んで、子供みたいにやってるとこが、どっかほほえましかったですわ。
笑って許せることじゃないんでしょうが、まるで凶悪犯人みたいな扱いですからね。
入国とかする時も、要チェック人物になっちゃうんでしょうか。
74年だと、私は中学生ですが、さすがにこのニュースは知りませんでしたが、当時の反響とかを知りたいもんです。
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Unknown (keyakiya)
2009-09-24 22:02:58
74年は大学生です。卒業まじかにモラトリアムを決め込んで、人生は30歳までと本気で思っていました。こんなに長生きするなんて思っても見なかったし、、、、、、、。
74年はちょうど堀江さんの無寄港世界一周、植村さんの北極圏犬ぞり単独行などと重なります。小野田さんも敬礼して出てきた時はさすがびっくりですが。
この「綱渡り」も当時の感覚からすれば、「大いなる冒険」といえるのでは。見方をかえれば、「命を賭けた前衛パフォーマンス」ともいえます。
人間のすることは、ほぼ愚行ですが、ほんとに愛すべき愚行です。それをフュイルムに撮ってた連中がいたとは、これも賞賛すべき愚行です。傑作ドキュメントでした。
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>keyakiyaさま (sakurai)
2009-09-25 15:01:03
学生運動が下火になり、そろそろ世の中全体が、沈静化していった頃でしょうかね。
田舎で中学生になったばっかりの自分には、世の中のことなぞ、さっぱり見えてませんでしたが。
そうか、小野田さんがいましたね。
フィリップさんは、一生保険には入れそうもないですが、それの何が悪い。愚行で十分。
むりやり意味を見出そうとしたり、答えを出さなきゃ気がすまないアメリカの野暮ったさを感じました。
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フィリップ・プティ♪ (mezzotint)
2009-09-25 23:58:56
いやいやなかなかう~ん凄い!!
フィリップさん、もっと繊細な方なんじゃあ
ないかと思っていたら、結構パワー全開の
面白いお兄さんでしたね。
とことん自分の信念を貫き、やりとおす。
真似出来ないですね。正直怖かった(汗)
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>mezzotintさま (sakurai)
2009-09-26 08:55:36
こんなすごい人がいたんですね。
そうそう、みたところ、繊細そうな、神経質そうな人でしたが、なかなか豪胆!!
やっぱ肝が据わってます。
こっちがドキドキしちゃいますが、あの集中力はすごいですね。いやー、おもしろかったです。
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妙に (メル)
2010-02-02 09:54:25
sakuraiさん、こんにちは☆^^

いやぁ、これは妙に惹かれまくりでした~!
彼が渡るシーンは、崇高な感じすらしたし、美しかった・・。
いけないことなわけですが、彼が自分のために出来たビルじゃ・・と思ったのも頷けました。
彼の場合、同じ高さのものが左右(?)にないと、ワイヤーが上手く張れないわけで、こんな高い建造物が、それも同じ高さで存在するなんて、もうワールドトレードしか後にも先にもなかったかも・・と思いました。
準備段階の描写、プティさんと仲間たちの
青春だなぁ~・・・と思わせるシーンや
友情や、その破綻なども興味深かったです。
なんといっても、ハラハラしたし、どきどきもしたし、すごいもんを見せてもらいました。

そうそう、私も、今はなきワールドトレードセンターのツインビルのことを
全く911の事件には触れず、こんな風にあの崩壊を脳内で見せてくれたこと、とても粋だ!と思いました。
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>メルさま (sakurai)
2010-02-04 15:29:34
このポスターもいい感じだと思いませんか?
崇高な感じ!っていうのがよくわかります。

ま、やっちゃいけないことというよりも、誰がやるか!!位のとんでもないことですが、やられたほうとしては、立場がないでしょうからねえ。
度量の大きさと言うか、狭さと言うか、その辺もうまーーく描かれていたと思います。

何度も何度も、私たちは、あの崩れ落ちていく様子を見せられたのですが、作りげられていく様子って言うのが、妙に琴線に来ました。
やっぱ粋ですよ。
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