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日本人の労働観、「はたらく」とは「隣人愛」である。

2020-01-26 | 
 1月26日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


先日、女子高生と労働観念や仕事とは何かについて

いろいろと話をしていて気が付いたのですが、

日本人の労働観念である 「はたらく」 とは、

「はた」 を 「らく」 にするから

「はたらく」 ことであるように、

この労働観は、まぎれもなく 「隣人愛」 だ。

日本社会とは 「愛」 で満たされているのである。

「義理」 と 「任侠」 も同様に。

続けて言えば、

人に感謝されるからお金が得られると考える日本人には、

報酬とは感謝の代価であって、

欧米諸国が言う、

罪びとが背負った罰による労働では決してない。

だからなのか、ダークスーツがよく似合う。

いくら欧米諸国が日本に、

どれほど優れたエキスパートを送り込んでも、

「愛ある労働者」 に勝てない訳がここにあるのだ。

もしも、マルクス経済学に日本の労働観が備わっていたら、

こんな競争社会になっていなかったに違いない・・・。

実際、社会経済の進歩は競争原理によって、

徐々に過激で過剰な生産的な創造性を糧に、

生産、消費、拡大が繰り返されるのだが、

一つ重要なことを忘れてしまっている。

「愛ある労働」 である。

アダム・スミスが言うように、

人はみな、手持ち資金から

最大の価値を引き出す有利な使い道を見出すことを常に努力する。

その際、一般的には社会の利益に役立ちたいとは考えていないし、

どれだけ社会の役に立つのかも判らない。

人々の頭の中にあるのは、

あくまでも自分自身が得することであり、損することは最も嫌う。

だが、自分にとって何が本当の利益かをよくよく考えれば、

「愛ある労働」 こそに導かれることが、

自分では意図していなかった目標や成果が、

しばしば自分で意図していた以上に

社会の利益を効果的に促進しているのである。

「幸運な人物」 とは、

自らの幸福が社会の幸福に直結していると自信を深める。

また、

アンナ・アーレントが言うように、

肉体の消耗と回復という定められた循環には、

「愛ある労働」 による

労働の苦難の後に喜びが訪れ、

疲労の後に安楽が訪れるという循環であるように、

「愛ある労働」 が無ければ、

ずっと苦しみの中にとどまり続けなければならない。

なぜなら、

疲労と回復の循環運動のバランスが崩れるからである。

アンバランスの例を挙げれば、

消耗の後に回復が訪れず、そのまま

悲惨な状態が続く貧困と困窮の生活。

また、労働を避けて肉体が消耗することがなく、

それゆえに回復の代わりに怠惰が訪れ、

幸福の場所に不毛が訪れるという巨富の生活。

見栄は張れるが基本的な幸福感を台無しにしているのである。

「愛ある労働」 とはつまり、

「はたらく」 を通じて消耗と回復の連続から成り立っており、

大きな喜びは役に立った後でしか訪れない。

そして常に 「幸福」 にとどまろうとする企みは

不幸にも必ずと言ってよいほど失敗に終わるのだ。



      つづく。